襲撃14
GC.118.11.20 18:25
イグナスは機関室の重い扉の前に立ち、無言で呼吸を整えた。背後にはユナが狙撃位置につき、視線を照準器越しに固定している。
廊下の空気は静まり返り、艦の振動すら遠く感じられた。
扉の向こうから荒っぽい声が響く。
「おい、こっちに来いや!」
イグナスは低く、抑えた声で返す。
「こちらアストラル副艦長、イグナス・ケイルだ。話をしよう。」
しばし沈黙。内側で何かが擦れる音。息遣いが荒い。
「……人質はいる。」と、くぐもった声。
イグナスは短く息を吐く。
「そうか。人数は二人か?」
返答はすぐには返ってこない。扉の向こうで誰かが舌打ちした。
イグナスはその反応で状況を計算する。焦り、苛立ち、そして恐れ。
「取引がしたいんだろう。」
冷静に、しかし相手の耳に確実に届く声で告げる。
機関室の中で、わずかに金属が擦れる音。
ユナが狙撃姿勢を崩さぬまま、イグナスに視線で合図を送る。
イグナスは頷き、無線に手を添える。
「こちらイグナス、交渉開始。中に二名、人質を確認。」
そして、もう一度扉の方へ目を向けた。
「お前たちの条件を聞こう。」
静寂。次の瞬間、扉の向こうで小さな笑い声が漏れた。
「条件は一つだ、副艦長。俺たちを逃がせ。そうすりゃ女は無傷で返す。」
イグナスは眉をわずかに動かし、冷ややかに返した。
「分かった。こちらも仲間を殺されたくないのでね」
イグナスは扉に手をかけず、静かに声を落とした。
「まずは人質と話がしたい。」
機関室の奥から、短い沈黙。
その後、低い男の声が返る。
「……いいだろう。ただし、余計なことは喋らせねぇ。わかったな?」
何かが動く金属音。布のこすれる音。
そして──小さな息づかい。リサのものだ。
「……イグナス?」
かすれた声。扉越しにも、張りつめた恐怖が伝わってくる。
イグナスはわずかに目を細め、静かに答えた。
「リサか。無事か?」
「ええ……ちょっと縛られてるけど平気よ。怪我は──」
その言葉の途中で、背後の海賊が怒鳴る。
「余計なこと言うなって言ったろ!」
鈍い音。リサの短い悲鳴。
イグナスは瞬間、無線のスイッチに触れかけたが、堪えた。
深く息を吸い、冷たい声を返す。
「やめろ。人質を傷つけた瞬間、交渉は終わりだ。」
沈黙。
海賊の荒い息がドア越しに聞こえる。
「チッ……ならおとなしく聞いてろ、副艦長さんよ。俺たちゃ人殺しはしたくねぇ。ただ、生きて帰りてぇだけだ。」
イグナスはわずかに口角を上げた。
「それなら、まだ話はできそうだな。」
機関室の中で、再び何かが動く音。
ユナがスコープ越しにその変化を察知し、息を詰める。
イグナスは無線のマイクを指で押さえ、低く呟いた。
「リサは無事。交渉継続」
機関室の扉越しに、リサの声が少しだけ張る。
「コヒーレンス・ロックの値が3%下がってる。補助ユニットのコア温度が──あれ、こないだのログと比べて二割上がってるの。ディスラプションの可能性もあるわ。」
報告からイグナスはリサの真意を測る。艦橋でチェックした機関の状態は正常だった。こういうのは得意じゃないんだがな。
「なんだってぇ?それはいかん! 」
イグナスはおもむろに誇張した声で返す。
「そうなの。こいつらは核融合の基礎の基礎も知らないようだから話にならないわ」
とリサがまくしたてる。
「何言ってるかわからねぇ」と海賊
「こんな事も分からないでよく海賊やってるわね。暴走しそうなの。ぼ・う・そ・う。わかる?」
その「暴走」の単語に、海賊の顔がこわばる。
二人のやりとりは、音声越しでもぴたりと合っている。短い間に読み合い、合図を交わし、言葉が寸分たがわずはまる。艦橋のタリアンにもその気配が伝わる――普段のイグナスを知っていれば猿芝居と分かるものであったが、もちろん海賊は知らない。
扉の向こう側で、低い声が苛立ちをあらわにする。
「何だと、早く言えよ!」
リサは息を殺して舌打ちしつつ、扉の向こうへ必死に続ける。声は平静を装っているが、その口調には焦りが混ざっている。
「さっきから警告しようとしたじゃない。口がふさがってて、喋れなかったのよ!」
リーダーと思われる海賊は短く唸る。
「おい、お前、さっさと何とかしろ!」
リサは小さな声で、しかしはっきりと言った。
「手、ほどいて。」
海賊は一瞬たじろぐ。ナイフを握る手に、力が入らない。周囲の気配が変わるのを感じているのだ。
「あああぁ……抵抗したら殺すぞ!」
その脅しは声ばかり大きく、どこか震えている。リサは冷ややかに返す。
「早くして。」
リサは操作パネルに手をかけ、パラメータ表示の光を凝視した。心臓の鼓動が耳の奥で響く。海賊たちの視線が自分に向けられていることを感じながらも、微動だにせず声を絞り出す。
「冷却圧力……98.7……いや、94.2まで落ちたわ。出力バランス……今、102.5%……このままじゃ炉が過熱して……手遅れになるわよ」
数値を一つ一つ読み上げるたび、海賊の雰囲気が重く張り詰める。海賊たちは互いに顔を見合わせる。
全く意味の無い数値だが、海賊達は気付いていない。逆に扉越しのイグナスにはリサの真意はしっかりと伝わっているようだった。
「やるじゃない イグナス」
「さっきのセリフなんて大根役者も真っ青ね。笑いを堪えるのに神経使ったじゃない」普段のイグナスからは想像できない掛け合いにリサはほくそ笑んだ
「なんの数値だよ」海賊の一人が低く唸るように言うが、声は震えていた。
「ここで核融合理論の講義を聞きたいワケ?非常事態なのよ。あなた達死にたいの?」リサは鋭い眼差しで答え、パネルに表示される数値を指で示す。
GC.118.11.20 18:40
「炉が……危険だって……?」海賊はパネルを覗き込む。海賊の一人が蒼白になった。
表示パネルの数値はリサの芝居に合わせて、確かに不穏に点滅を繰り返している。
彼らに技術の知識などない。
その数字の意味も理解できないまま、恐怖だけが増幅されていった。数値の意味は理解できず、ただ恐怖を感じているだけだった。
「操作に2人必要よ。核融合理論の基礎も知らないあなた達では役不足よ。イグナスを呼んで」
扉の向こう、イグナスは小声で無線を送った。
「ユナ、扉が開く。正面に敵がいたら、迷わず撃て」
ユナは短く返事をする。
「了解……私に力を貸して、艦長」ライフルをさすりながら呟き、呼吸を整える。狙撃用のスコープ越しに、扉前のわずかな影や動きに神経を集中させた。
海賊はリサの声に動揺し、互いに小声で相談を始める。
「どうする!? これ、本当に爆発すんのか!?」
「知るかよ! けど、さっきから女が焦ってる……マジかもしれねぇ!」
リサは冷静に指示を続ける。
「早くして!」
海賊たちは狼狽え、戸惑いながらも動く。リサとイグナスの息はぴったり合い、互いの意図が微妙な無線のやり取りで伝わる。イグナスはその指示を受け、静かに通路を進む準備を整えた。
ユナはライフルを構え、手元の照準を微調整する。微かな金属音、パネルの警告ランプの点滅、通路の振動……すべてが鋭く耳に届き、緊張の糸は限界まで張り詰める。
リサは最後にもう一度声を絞り出した。
「死にたいの?急いで」
海賊の視線は固まり、手が震える。数値の意味も、リサの意図も完全には理解できない。しかし、その圧倒的な緊迫感だけは肌で感じ取っていた。
イグナスは無線で再びユナに目配せする。
「ユナ、準備はいいか? 扉が開くぞ」
ユナは心の中で短くつぶやく。
「さあ、行くわ……」
「――わかった、呼んでくる。だが変な真似したら殺すからな!」
海賊の一人がそう怒鳴ると、勢いのまま扉のロックに手を伸ばした。
重い金属音とともに、赤いロックランプが順次消灯していく。
本来なら、ここで扉を開く際には、片足を後ろに引き、半身で周囲を確認する。
だが彼はそれを忘れた。
恐怖と焦りが、訓練も経験も奪っていく。
ユナはライフルの銃床を肩に密着させ、呼吸をひとつだけ整えた。
その瞬間、扉が――開いた。




