14
カナに連れられ、二人はファミレスの隅の席に座っていた。
午後の中途半端な時間で客は少ない。
若葉はストローを噛みながら、弾まない会話に内心ため息をつく。
カナは相変わらず細すぎる体で、頬もこけ、顔色は青白かった。
だが――その異様な華奢さと整った骨格は、皮肉にもモデルのように見える。
着ている服は未成年とは思えないほどのハイブランド。
バッグも財布も、見たことのあるロゴがギラギラしている。
ふとバッグの隙間から、無造作に突っ込まれた札束がちらり。
若葉はその光景に、妙な苛立ちが喉元まで来ていた。
「……ねぇ」
我慢できず、つい問いただす。
「なんでそんなにお金持ってんの?
そのバッグ、十万以上するでしょ?」
カナはドリンクをストローでくるくる混ぜながら、得意げに笑った。
「貰たんだよ〜。
お姉さんとかオジサン達にw
仕事も紹介してもらってるし」
若葉は眉を寄せる。
やっぱり、ろくでもない。
カナはさらに、自慢げにピアスをいじり、ジャラジャラとアクセサリーを見せつける。
「ほらこれも、これも貰い物〜。
あ、これ三万。こっちは五万!」
若葉は周囲を気にして、声を潜めた。
「……まさかあんた、売春してんの?」
「うん、そうだけどw」
あまりにもあっさり。
若葉の頭の中で、何かがひっくり返った。
「だってチョー儲かるんだもん。
若葉もやる?」
当然のように差し出される言葉。
若葉はすぐ否定した。
「やるわけないでしょ。キモいだけ。
……ただ、ちょっと興味は湧いたけど」
――なぜあんたが、そんなに自信満々なの?
若葉の胸にモヤついた感情が、ゆっくり形になっていく。
カナがブランド物に包まれ、周囲から“チヤホヤ”されていることを想像するのが腹立たしかった。
(あんた……私の“下”でしょ?
小学生の頃みたいに――私の言うこと聞いてればいいのよ)
そう思った瞬間、口が勝手に動いていた。
「……まあいいわ。暇だし、行ってあげる」
カナは待ってましたと言わんばかりに、目を輝かせる。
「じゃ、決まり〜。
今から絵里さんとこ行く!」
若葉は立ち上がるカナの背中を見つめながら、胸の奥がじくじくと熱くなるのを感じていた。
――この子は、私が導いてあげないとダメなんだから。
そんな歪んだ優越感が、若葉の心に静かに根を張り始めていた。
カナに連れられて歩いていくと、二人は清潔感のある低層マンションへと着いた。
まだ建てられて間もないのか、エントランスには白い大理石が壁から床まで惜しげもなく張りつめられ、
中央には抽象的な金属のオブジェが据えられている。
空気そのものがよそ行きの高級感を放っており、それだけで一般的な住まいとは違う世界であることが若葉にもすぐに分かった。
「カナ、あんた……本当にこんなところ住んでるの? 両親は?」
思わず口に出た若葉の問いに、カナは相変わらずの調子で、まるで他人事のように肩をすくめて笑った。
「親? 知らな〜い。でも、どうよ? ここが私の新しい家よ、若葉」
そう言って勝ち誇ったように振り返るカナの顔に、若葉は胸の奥に小さな棘が刺さるような不快感を覚えた。
(気に入らない……)と静かに思う。
カナは慣れた様子でオートロックを解除し、迷いなくエレベーターへ向かった。
若葉は置いていかれまいと慌てて後を追い、数階上で降りる。
廊下は人の気配がなく静まり返り、ホテルのように落ち着いた照明が床を淡く照らしていた。
やがて、表札に「水沼絵里」と書かれた部屋の前に到着する。
カナがインターホンを押そうとしたが、指を止める。
「あ、今ね、絵里さん授業中かも。若葉、静かに入ろっか」
小声で囁くと、カナは自分の鍵を取り出し、慣れた動作で扉を開けた。
――中に入ると、カナは靴を脱ぎながら当然のように奥へ進み、若葉もその後に続いた。
黒を基調に整えられたリビングは照明が控えめで薄暗く、
壁際やソファの周りには高級ブランドのバッグや服が無造作に置かれている。
値札のついたままの箱まで積まれていて、整頓されているのに雑然とした、不思議な空気が漂っていた。
二人はそのまま 黒いレザーのソファに並んで腰を下ろす。
生活感があるのにどこか現実離れした光景に、若葉は自然と周囲を見回した。
「絵里さん、ネットで先生してるから、うるさくしちゃダメだよ。……若葉、ちょっと待っててね」
そう注意しながらも、カナはすぐにスマホを取り出してお気に入りの動画を開き――
我慢できないとばかりに、ソファに深く沈み込んだままゲラゲラと笑い出した。
その大声に、薄暗い部屋の空気がビリッと揺れる。若葉は思わず眉をひそめ、呆れを隠せなかった。
(ほんと、なんなのよこの子……)
ため息をつきながらスマホを取り出し、一度家に連絡を入れようかと画面を見つめたが、指が止まる。
「……どうせアタシなんて、居なくてもいいんだ」
ぽつりと呟いた声は、カナの笑い声にかき消されていった。
広いはずのリビングが、なぜか息苦しいほど狭く感じられた。若葉の胸の奥には、
自分の居場所がどこにも無いような重たい孤独だけがじんわりと沈んでいった。
ソファにだらしなく寝そべりながらスマホをいじるカナ。
その隣で若葉は所在なさげに座り、微妙に気まずい時間だけが過ぎていく。
ふと視線をそらし、ベランダの窓を見ると、外は赤みが落ちはじめ、空は徐々に暗くなりつつあった。
時刻はもう六時頃。
――そのとき。
奥の部屋から、足音とともに女性が姿を現した。
その女性は、一見するだけで好感を持たれるタイプの真面目そうな顔立ちで、清潔感があり、柔らかい雰囲気をまとっていた。
だが、掛けていた眼鏡を外しながら口を開くと、その表情は一変する。
「カナ、あんた……また勝手に入って来て。
この前、あんたが住める場所、ちゃんと用意したでしょ? あんまり来るなら、合鍵取り上げますよ」
低く静かな声。メガネの奥の目は笑っていなかった。
しかし次の瞬間、女性――水沼絵里はカナの背後に立つ若葉に気づく。
「あら……カナちゃん、もしかしてお友達?」
カナはにししと笑いながら、ソファから身を乗り出した。
「そう、マブだよ。昔からの親友。あとさ、いいじゃん、あの部屋ボロいし。ここにまた住みたいんだよね〜w」
若葉は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げる。
「は、初めまして。山本若葉です。よろしくお願いします」
丁寧な挨拶に、絵里は少し驚いたように目を瞬かせた。
「……水沼絵里です。
カナ、あんた、こんな真面目そうな子と友達だったの?」
「そうだよー。そして若葉も売春したいって言ってたww」
カナは想像したのか大笑いする。
若葉は両手を振り回しながら、顔を真っ赤にして叫んだ。
「ち、違います!!!!」
その必死さを見た絵里は、急に真顔になり、若葉に視線を向けた。
「――じゃあ、何しに来たの?
でもね、あの子がここまで喋ってしまった以上、あなた……分かってるのよね?」
声の温度が落ち、背筋に冷気が走る。
若葉は思わずビクッと肩を震わせ、声が上ずった。
「売春はしません……しないですけど……。
お金に困ってる子なら……知っています。私が、その子を紹介します……」
絵里は短く「ふぅん」と息を吐き、何も言わず奥の部屋へ戻っていった。
帰り道の駅。
なぜかカナが当然のように隣を歩いていた。
「若葉……どうすんの? 絵里さんとの約束とか、マジやばいよ」
若葉は俯きながらも、心のどこかで別の計算をしていた。
(利用できる……絵里という大人を、利用できる)
「……断れない子が一人いるんだよね」
その言葉を聞いたカナは、ぴたりと足を止め、目を見開いた。
「良子!!」
若葉はゆっくりと笑う。その笑顔は、幼い頃のものとは違っていた。
「ねぇ、カナ。
また三人で――」
その後、絵里が先生をする通信制の学校へ通うようになる。
やはりどこか問題を抱えた子が多いその環境で、
若葉たちのグループは生徒の心の隙間に入り込み、支配し、洗脳し、売春を斡旋する勢力へと変貌していった。
そして最近、若葉の罠に落ちかけている新たなリスト
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袋正義




