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――山本若葉。

 良子、カナとは子どもの頃からの付き合いで、

三人とも同じ西区の古びた安アパートに暮らしていた。


 若葉は、市の職員である母親と二人暮らし。父親はいないが、

それなりに躾を受けており、三人の中では一番大人びていた。


 一方のカナは両親こそいるものの、

ほぼネグレクトに近い状態で、家では夫婦喧嘩が絶えない。


 そのせいでカナは心を病み、双極性障害を患っており、

情緒不安定な行動をしばしば起こす。


 良子の家族はとても大人しく、常にうつむきがちで、誰とも関わろうとしない。

 そんな二人に対して、若葉は支配的だった。

 気に入らない、普通で大人しい子を見つけては、

二人を使っていじめをしていたのだ。


放課後。

 部活の声も遠く、校舎のこのあたりはすでに静まり返っていた。

 誰もいないはずの教室の中央に、三人と、力なく座り込んだ京がいた。


 「きゃはは、2組の京ちょと感じわるい~」

 カナは積極的に若葉と一緒にいじめを行っており、

羽目を外すこともしばしばだ。


 今日も、カナは倒れた京の腕を乱暴に引っ張っていた。


 「ちょっと、カナやめなよ。これ以上は……」

 表面上は止める素振りを見せつつ、若葉の内心は

(どうなるの? なんか楽しそうなんだけどw)と浮き立っている。


 「なんで? 若葉が言ったじゃん、『ムカつく子には教えてやらなきゃ』って!」

 カナは笑いながら、さらに京の肩を押しつけた。


 「ち、違うって……そこまでしろなんて言ってないでしょ?」

 と、若葉は“いい子”の仮面をかぶった声でなだめる。

 そして目だけでカナに合図する。(そこ、もっと)


 「…………」

 良子はというと、うつむき、耳までふさぎ、必死に見ないようにしていた。

 苛めは悪い。

 でも逆らうのは、もっと怖かった。


放課後の誰もいない教室。

 静けさを破ったのは、カナの怒鳴り声だった。


 「良子、アンタさぁ……なんもやってないじゃん!」


 ビクッと肩を震わせた良子に、カナは何を思ったのか、近くの椅子を掴ませた。


 「ほら。やれよ。若葉が止めても、アンタは“手伝った”って言えるでしょ?」


 「む、無理……無理だよ、カナちゃん……」


 「いいから! ほら、持って!」


 カナと良子が同時に椅子を握った瞬間、京が弱々しい声で叫んだ。


 「や……やめて……!」


 良子は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、震える手で椅子を投げた。

 しかし狙いもつけられないまま、椅子は全く違う方向へ飛び――


 ガッシャーーン!!


 大きな破砕音とともに、教室の窓ガラスが派手に割れた。


 若葉は顔面蒼白になり、


 「ちょ、ちょっと良子!? 何してんのよ!!」


 「ごめん……ごめんんん……」

 良子は鼻水を垂らし、喉を潰したような声で泣き続けた。


 その泣き声とガラスの破片の音を聞きつけ、

廊下をバタバタと走る足音が近づく。

 次の瞬間、教室のドアが勢いよく開いた。


 「お前たち、何をしている!!!」


 怒鳴り声とともに教師が駆け込む。

 続いて用務員のおじさんも息を切らして入ってきた。


 担任はぐったりしている京を見つけ、その顔が一瞬で緊張に変わった。


 「これは……用務員さん! 救急車をお願いします!」


 用務員が走り去ると、教師は三人の少女へ向き直り、

怒りで震える声をぶつけた。


 「君たち。職員室に来なさい。

  親御さんにもすぐ連絡する!」


 若葉は瞬時に涙を溜め、必死に首を振った。


 「ち、違うんです……私じゃない! カナちゃんが……!」


 しかしカナは、ニヤァとした笑みを浮かべたまま、何も言わない。

 良子は真っ青で、立っているのもやっとの状態だった。


 その後、三人は親を交えて職員室で厳しく叱られた。

 若葉は泣き疲れ、憔悴しきった顔で椅子に座っていた。


 その様子を見た若葉の母親は、険しい表情のまま何かを考えていた。


 今回のいじめ事件は、三人がまだ小学生であることから、

学校側は“できるだけ穏便に”収めようとしていた。


 京の両親にも、何とか説得を続けていた。

 (本当は学校の管理不届きを知られたくなかったのだろう。)


 しかし若葉の母親は、この事件をきっかけに強く思った。


 ――この子には、父親が必要だ。


 ちょうど当時付き合っていた同じ職場の男性と、母親は再婚を決意した。

 相手の男性は穏やかで、経済的にも安定しており、持ち家もある人だった。


 そして若葉は、二人から離れるように、北区の静かな住宅街へ引っ越した。


 若葉が中学生になると、また家庭の環境が変わった。

 母親が妊娠し、少しして弟が生まれたのだ。


 若葉は元々“優等生の仮面”をつけて過ごしていたため、

 「この子は手がかからない」

 と両親に思われていた。


 そして――弟が生まれてから、両親の興味は完全にそちらへ向かった。


 若葉が何をしても

 「ちょっと待ってね、今この子が先だから」

 「若葉なら一人でできるでしょ?」

 そんな言葉ばかりが返ってくる。


 若葉は生まれて初めて“孤独”というものを肌で感じた。


 その孤独を埋めるように、若葉は繁華街へと通い出した。

 

 最近では、見よう見まねで化粧も始めていた。

 童顔に濃いメイクは正直まったく似合っていないが、

 本人はどこか自信に満ちていた。


 ある日のこと。

 繁華街の路地裏から、騒がしい声が聞こえた。


 「なんだよ、やんのかオラ!」

 「うっせぇ! 来いよ!」


 若葉は鼻で笑った。


 「……ケンカ? くだらない」


 無視して、お気に入りのブランド店へ向かおうとしたその時――


 ドンッ!


 「きゃっ!」


 男が走ってきて若葉にぶつかり、そのまま若葉は尻もちをついた。


 「ちょっ……何するんですか……!」


 腰を押さえて痛みに歯を食いしばりながら立ち上がろうとしたその瞬間。


 ――すっと、細い手が差し出された。


 若葉はその手を見上げ、息を呑んだ。


 「あれ……?」


 差し出した人物も、若葉を見てピクリと動きを止めた。


 「あれ、若葉?」


 その声。その軽さ。

 忘れようにも忘れられない、幼い頃の悪友。


 「……カナなの?」


 緑髪を揺らし、ニシシと笑った少女――鍵沼カナがそこにいた。


 カナは若葉の腕を掴み、強引に引き上げた。


 「よっと!」


 「ちょっと! 腰が痛いんだから、無理やり起こさないでよ!」


 文句を言っても、カナは全く気にせず若葉の顔をまじまじと見て、


 「若葉、アンタ全然変わってないね。

  化粧してイキってんのに、顔だけ子供のまんまじゃん。ぎゃはは!」


 若葉はむっとしながらも、どこか懐かしさが胸に刺さった。


 「……あんたこそ。なんでここにいんのよ。」


 「ちょっとねぇ。ウロウロしてただけ。

  てかさ、久々だし、少し付き合いなよ?」


 軽く腕を引っ張るカナ。

 その強引さも、あの頃と何一つ変わっていなかった。


 ――そして、それが若葉の歯車をまた狂わせていく。


 孤独を埋めるように、若葉は再びカナとつるみ始めた。

 それが、転落の始まりだった。

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