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水螢  作者: タケウマ
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第九話

時計の音がやけに大きく聞こえ、一秒一秒がやけにゆっくりと進んで行くように感じる。

明かりは灯っておらず、カーテンも閉められていて部屋の中は暗闇と静寂が支配していた。

そんな部屋にとびらをコンコンとノックする音が響く。

「澪音?入るわよ」

澪音は返事が出来なかった。

思考がうまくまとまらず、考えたそばから霧散していった。

カチャリとドアノブが下り、ドアがキィと音を立てながらゆっくりと開いた。

開いた扉から母親が部屋の中を見渡すように恐る恐るといった感じで入ってきた。

そして、ベッドの上で布団を頭からかぶってうずくまっている澪音と机の上で手つかずとなっているおかゆが目に入った。

「少しは食べなきゃ、昨日から何も口にしてないでしょ」

母親は不安で下がる眉を何とか上にあげ、なるべく明るい声を取り繕った。

しかしそれでも澪音からは返事がなく、微動だにすることもなかった。

それでも母親は話しかけることをやめなかった。

「未央ちゃんのお葬式明後日だって」

その言葉は澪音の心に深く突き刺さった。

未央はもういないこと、二度と会えないということ、死という変えられようのない現実が澪音の心を強く締め付けた。

「澪音、私からは何も聞かないわよ。だって、その悲しみはあなたのものだから。一人で抱えこむことも、必死で向き合ってるってことよね。だからそれを無理に止めはしないわ」

あたたかく、まぶしい言葉だった。

「でもね、話したくなったり...」

「うるさい」

しかし、今の澪音にはまぶしすぎた。

「何も知らないくせに、何もわかっていないくせに、そんな分かったようなこと言わないでよ。わかったんだったら答えてよ。今私が疑問に思ってること全部。そうじゃないんだったら関わらないで、ほっといてよ」

母親はあっけにとられてしまった。今まで反抗期もなく、ここまで乱している澪音を見たことがなかったのだから。

「澪音...」

「出てって。出てってよ」

澪音がそう言うのと同時にピシャーンと雷が落ち、次いで激しく雨が降り始めた。

その雨音は澪音の心に不安を掻き立てた。

息は浅く、早くなり、その手は震え始めた。

母親はもう少し一人にしてあげたほうがいいと思い、部屋を出ようとした。

しかしそれは、澪音の震えた手によって引き留められた。

「澪音?」

「だめ。行っちゃだめ。また、誰か。だめ。それだけは。だめ。行かないで」

母親はどう見ても異常な澪音の様子に困惑した。

「澪音?どうしたの?ねぇ、大丈夫?」

母親の問いにも気づいていないのか、焦点の定まらない視線のまま、澪音はひたすらうわ言を繰り返している。

母親はいったい何が自分の娘をこんなことにさせているのか分からなかった。

それでも力強くその震える体を抱きしめた。

「だいじょうぶ。お母さんはここにいるから。だいじょうぶ」

そうささやき続けた。


いつまでそうしてたのかは分からない。

気づけば腕にずっしりとした重みが掛かり、耳元から穏やかな寝息が聞こえてきた。

その落ち着いた様子に、母親はほっと一息をつき澪音をベッドにそっと寝かせた。

そしてその場を離れようとしたとき、澪音の手が再び母親の手首をつかんだ。

母親は少し困った表情をした後、辺りを見渡して机の上のあるものに目を止めた。

それは母が澪音に渡していたお守りだった。

ふと、昔のことを思い出した。


母はパワフルな人だった。

考えるより先に体が動く人で、一度決めたらテコでも動かないそんな強い女性だった。

そんな母が変わってしまったのは15年ほど前だっただろうか。

事故で父を亡くした後、母は別人のようになってしまった。

一言もしゃべらなくなり、雰囲気も今までの鋭いものから柔らかくなってしまった。

いつもニコニコと柔和な笑みを浮かべる姿には以前の力強い姿の面影はなくなっているように思えた。

しかし閉じられた目の奥だけには変わらない強い意志を感じるときがあった。


そんなことを思い出しつつ手を伸ばして机の上のお守りを取り、澪音の手に握らせた。

すると澪音は母親をつかんでいた手を離した。

穏やかな寝息を立てながら眠る澪音を見て安心するとともに、何の力にもなれてあげられていない自分の無力さを恨んだ。

せめて目を覚ました時に温かい食事を用意してあげたいと思い部屋を後にした。


部屋を出て感じたのは冷たい水が靴下にしみこみ上ってくる感覚だった。

「なによ、これ」

下を見ると廊下に水が流れこみ水浸しになっていた。

流れのもとに視線を向けると、廊下の突き当り、ベランダに出る扉が開いていた。

「やだ。いつ開けたのかしら」

疑問に思いつつも閉めに行こうとすると

「ーめ」

微かな音が耳に入ってきた

「人の、声?」

少し足を止めるが、このまま開けっ放しにすることもできない。

「だー。こーーにーーー」

「はやーーげて」

その声は止まることなく、むしろだんだんと大きくなっていく。

「この声、どこか聞き覚えがあるような」

「いえーーかにみーのなーところーはーく」

気づけば扉のすぐ前まで来ていた。

「この声、もしかして未央ちゃん⁈」

そう思った瞬間一歩前に足が出た。

本物なわけないと分かってはいた。

しかし、この声ならば今の澪音を何とできるかもしれない。そんな期待が胸にあった。

「ねぇ未央ちゃんなの?」

そう聞いたとき

「速く逃げておばさん」

ドォォォン

屋根をよけまるで生きているかのような雷がすぐ後ろに落ちた。

強い衝撃が体を襲いとっさにベランダの手すりをつかんだ。

しかし手すりはその体を支えることはなく、共に地面に吸い込まれていった。

『澪音。ごめんね』




「なんの音?」

けたたましい音が鳴り響く中、久々に深く眠ることができた澪音は、その音が救急車のサイレンだと理解するのに時間がかかった。

「何かあったのかな?」

疑問に思い部屋を出た。

部屋を出るとすぐに違和感を感じた。

ベランダの扉が開け放たれ廊下が水浸しになっていた。

水に触れたと気付くと澪音はすぐに両手で耳をふさいだ。

不安が押し寄せた。

また、あの狂ったような声が聞こえるかもしれないと。

手に握っていたお守りをさらに強く握りしめた。

「ごめん」

今回も声が聞こえた。

しかしそれは、あの狂ったような声ではなかった。

澪音には絞り出したような謝罪に聞こえた。

それが澪音に別の不安を与えた。

急いで階段を駆け下り玄関の扉を開けた。



扉を開けて目に入ってきたのは

降りしきる雨の中周囲を赤く染めるランプと

救命士によって担架で運ばれるいつも見ていた人の姿だった。

「お母さん!!」

そう叫び駆け出した。

お読みいただきありがとうございます。

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