9 ほつれかけの糸
精緻な細工が施された公爵邸の扉を通り抜けると、豪華な内装が俺の目に飛び込んできた。床は光沢のある大理石で敷き詰められ、壁には金縁の装飾が施されている。
「来たか。待ってたよ」
邸宅内に待機して応対を引き継いで対応してくれたのは、ヤンキー侍女だ。
彼女は俺の顔を見た途端、なぜだか肩の荷が下りたかのような、すっきりとした表情に変わった。
「手紙でも伝えていた通り、お嬢様だが――自分の部屋に引きこもっていてな」
ヤンキー侍女に先導してもらいつつ、俺たちは木製の階段を上る。階段は古木で作られており、各段には繊細な彫刻が施されていた。
「状況はどこまで伝わっているのだろうか?」
「公爵様が、殿下との婚約を解消するって言いだしてからずっとだな。事態が変わったと伝えても、聞く耳を持ってくれなくて困っている」
近況を確認しながら、ヤンキー侍女とともに推しの部屋まで廊下を歩く。
少し後ろからクール侍女も同行していた。
「ここだ」
ヤンキー侍女が扉をノックしてしばらく待つが、反応はない。
「お嬢様ー、入るぞー? ――やっぱり鍵をかけてるな」
「ふむ、出直すか」
「いや、大丈夫だ」
言いおいて、ヤンキー侍女はどこからともなく棒状の金属器具を取り出した。
それを鍵穴に差し込んで何やら動かしたかと思うと、あっけなく鍵が開いた。え、ピッキングだ……何者なのこの子……。
扉を開くと中は真っ暗だった。カーテンも閉め切っているらしい。
「あ、あ、あなたはまたそうやって! 鍵をかけてるんですから、入らないでくださいまし!」
推しはベッドの中から顔だけのぞかせて叫んだ。
そして、ヤンキー侍女の隣に俺がいることに気づいたのかはっとする。
「え、で、でで、殿下!? ど、どうしてここに!?」
「やあ、お邪魔しているよ」
「で、出て行ってください!」
大声を上げたのち、ベッドの上で頭から布団に潜り込む。
「隠れられちゃいましたね、殿下」
なぜかクール侍女はわくわく顔だ。
「殿下が来たら出てくるかと思ったんだけど、そう簡単にはいかないか……」
「仕方あるまい……」
「殿下?」
失礼するよ、と言って部屋の中に入り、布団の中で丸くなった推しの枕元まで歩いて近づく。
「ジェニファー」
呼びかけると、布団の端がすすすと下がり、ぼさぼさの髪の毛の下に腫れぼったくなった両目が出てきた。
こちらを視認したとたん、すぐにぱっと隠れる。
やばい、何このかわいい振る舞い。小動物かな?
「じょ、女性の寝所に入り込んでまで、なんのご用ですの!?」
布団の中からくぐもった声が聞こえる。
俺の後ろでヤンキー侍女がカーテンを開けた。外の日差しが入り込み、部屋の中が少し明るくなる。
「君と話がしたいんだ」
「べ、別に私には、話したいことなんてありませんけれど!?」
「うーん。ついさっきも『殿下と会いたい、おしゃべりしたい』とか言ってた気がするけどなー」
いつの間に近づいてきていたヤンキー侍女が、ぼそっとそんなことを言う。
「どうしてそれを言ってしまいますの!?」
がばっと布団がめくれて推しが顔を出す。
「そうだったのか……」
「ち、違います! いえ、その……違いませんけど! でも違うんですの! ええと、違うというのは言っていなかったというわけではなくて!?」
慌てたのか無限ループが始まっちゃった。
目もぐるぐるしてるし、思わず頬が緩むのを感じる。
「私も会いたかったよ、ジェニファー」
そう言うと、推しは唇を尖らせると同時に、眉根を寄せて渋面になった。とてもすっぱそうである。梅干しでも食べたのかな?
でもその表情いい。写真に撮りたい。かわいい。
「ずるいです……」
「うん?」
「殿下は、ずるいです……そんな風にあっさり言ってしまうんですもの……」
すっぱい表情のまま、恨みがましい声で推しがそう言う。
「私は素直に本心を言っているだけに過ぎない」
「わたくしだって……殿下に、お会い……したかったと思っていたなんて、あるはずがないとは言いきれませんわ!?」
「どっちだよ……」
ヤンキー侍女がぼそっと指摘する。
「君にも素直に気持ちを伝えて欲しい。でもゆっくりでいい」
俺がそう言うと、ほんの少し驚いた顔をしたのち、推しは泣き笑いのような表情で見つめてきた。穏やかな気持ちでその視線を受け止める。
「殿下……」
「ジェニファー……」
ごほん、とわざとらしい咳払いの音。
そちらを見ると、ヤンキー侍女が苦笑いを浮かべていた。
「あー、二人だけの世界に水を差して申し訳ないんだが、後で恨み節を聞かされそうだから言っとくな? お嬢様、身だしなみ大丈夫そ?」
言われて推しは自分の状態を思い出したらしい。
ぼさぼさ髪に泣きはらした目、すっぴんに寝間着姿。おまけに、ほんのわずかに汗のにおい。まぁね、部屋に引きこもってたわけだからね。俺としては全然受け入れられるけどね。
「――っ!?」
唖然とした表情で唇をわなわなと震わせたのち、推しは声にならない悲鳴を上げた。
「わ、わたくし、帰りますっ!」
「どこへだよ……」
急に立ち上がって叫んだ推しに対して、ヤンキー侍女が苦笑しつつ突っ込みを入れる。まぁね、ここ推しの部屋だからね。これ以上、帰れる場所はないよね。
指摘されて自分でも気づいたらしい。推しは両手で顔を覆うと、よろよろと座り込んだ。再び頭からすっぽりと布団をかぶる。
「布団の中が帰れる場所ってことか……」
「今日は最高の反応がそろい踏みですね」
納得するヤンキー侍女の横で、クール侍女はずっと満足そうだった。
「もう、人のことを笑いものにして! 出て行ってくださいまし!」
布団の中で推しが騒いでいる。
「さすがの殿下効果だな……たぶん引っ張り出せそうだから、別室で待っていてもらえないか? 急いでお嬢様を磨いて連れていく」
「分かった、そうさせてもらおう」
ヤンキー侍女の指示で、他の侍女が応接室らしき部屋に案内してくれる。
用意してもらった紅茶とお菓子を楽しんでいると、クール侍女が口を開いた。
「すけこまし殿下」
「それはさすがに違う気がするが、なんだろうか」
「もはや消化試合ではありませんか?」
「何を言う。ようやく出発できたというくらいでしかないだろう」
「その認識のずれはどこからくるんでしょうね……」
いやいや、何がずれてるのだね。だって相手は推しなのだよ?
やはりクール侍女は推しに対するリスペクトが足りない。これはちゃんと教え込まなければならないだろう。
推しがいかにすばらしいかを、クール侍女に理解してもらうための説明をこころみていると、ノックの後ヤンキー侍女と推しが入ってきた。
「待たせたな……何があった?」
気づいたらクール侍女がぐったりしていた。ふむ、少しばかりやり過ぎたかもしれない。
「殿下にジェニファー様への愛を語られていました」
「あ、愛!?」
クール侍女の回答を聞いた推しが目をむく。
「愛というより事実だな。ジェニファーのすばらしさを彼女に説いていた」
推しは胸を押さえると、キッとこちらをにらんだ。
「お、お戯れが過ぎます、殿下!」
「うん? 私は本気だが……」
戯れってどういうことだろう? 冗談で言ってると思ってるのかな?
そんなことないんだけどなぁ……。
胸を押さえたまま推しがうなる。威嚇かな? 最近の推しの姿はちょっと野生動物っぽい。見たことのない姿でいっぱいである。
「お嬢様、後で愚痴を聞かされる私の身にもなってな?」
「ううぅ……」
推しはうなりながら涙目になった。
ヤンキー侍女が視線で促してくるので、口を開く。
「結論から言おう。ジェニファー、私との婚約を維持して欲しい」
「お断りしますわっ!」
即答だった。
ご覧いただき感謝です!
ブクマや☆☆☆☆☆評価ポチッをお待ちしてます!
次話で完結です。