29:信頼
前世の話を話し終わると、長い沈黙が落ちた。
夕暮れの薄暗さが少しずつ宵闇に変わっていく中、焚き火の明るさだけが浮かび上がっている。
シルヴァはじっと炎を見つめながら、何事かを考えているようだった。
薄闇の中で、彼の整った顔立ちが炎の照り返しを受けている。
「……にわかには信じがたいが」
長い沈黙の末に、シルヴァが呟いた。
「お前は生まれる前の記憶、それもここではないどこかの記憶があるということか」
「うん」
私は頷く。
「漢字は元の私の故郷の文字なの。この国の字とは違って、字そのものに意味がある表意文字というやつで」
「では、霊珠は? あれもお前の故郷由来なのか?」
問われて私は首を横に振った。
「違う。あんなものは、前世にはなかった。というよりも前世は魔法とか魔力とかいうもの自体が存在しなかったから」
「そうか……。魔力がないというのも、信じられん話だ」
シルヴァは今まで一番深いため息をついた。
この世界は全てを魔力ありきで考える。
神々が存在し、世界を運営しているのも魔力によるもの。
その神々に祈りを届け、魔法という奇跡を起こすのにも魔力が必要。
大地や太陽といった自然の全てが魔力で作られているという説すらあるそうだ。
それが正しいのかどうかは私には分からない。
この世界は基本的な物理法則とか、ここを惑星と仮定した時の季節や星の移り変わりとか、そういうものは前世の地球と変わらないように思える。
しかし魔法と魔力は確かに存在している。
だから科学だけでは測れない何かがある。
「だが、信じなければ話が進まないな」
シルヴァが言ったので、私は目を上げた。
彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていたけれど、私から目を逸らさなかった。
「いいだろう。お前のその突拍子もない話、信じてやるよ」
「うん……! ありがとう!」
私が笑顔になると、彼は眉をしかめた。
「礼を言われることか?」
「もちろん。だって私を信じてくれるんでしょう?」
「だから言っただろうが、信じなければ話が進まないからだ!」
シルヴァは再び言った。顔が赤くなっているのは、焚き火の照り返しだけではないだろう。
「で、信じる前提で進めると、だ。僕の知る限り、お前の言う『漢字』はこの大陸にはない。世界中を探したわけではないが、僕の両親は魔族の知恵を求めて長らく旅をしていた。彼らの手記や手紙にその記述がない以上、基本的に漢字は存在しないものとなる」
「ちょっと待って。さっきの夢だと、魔王と呼ばれる人は漢字を知っているみたいだった。魔族と漢字は関係ないの?」
「少なくとも両親の手記にはないな。彼らが魔族の遺跡で見つけたのは、あの杖に使っていた回路のみだ」
「ううーん……」
私は腕を組んで首をひねるが、シルヴァは皮肉そうに言った。
「だいたい、夢をそこまで真に受けるのか? 示唆的ではあるが、夢は所詮夢だろうが」
「それはそうだけど」
漢字。日本人。魔王と魔族。シルヴァの両親が見つけた魔族の技術。
一つ一つはバラバラのように見えて、繋がっている気がしてならないのに。
だが、考えても分からない以上は仕方がない。
「それでシルヴァは、これからどうするの?」
聞いてみると、彼はニヤリと笑った。
「当然、お前の霊珠を使って杖をブラッシュアップする。漢字が入っていない状態の霊珠でも、要所に嵌め込むと魔力の流れが非常にスムーズになった。漢字を入れればどうなるのか、お前だけでなく僕も使えるのか、試したいことは色々ある」
「うん、分かった。私にできることなら何でも協力するから」
「当然だな。お前は僕の家の居候だ。命令には従え」
「はぁ~? 何その言い方。そんな生意気な口を叩くなら、お料理作ってあげないよ!」
ビシッと言えば、シルヴァはあんぐりと口を開けた。
何か言おうとしてパクパクと口を開け示した挙句、実に不機嫌そうな顔で黙ってしまった。返す言葉もございませんってやつだな。
「ふわー。ミャア~?」
と、そこへ子虎があくびまじりの声を上げた。
毛布の上から立ち上がって、トコトコとこちらに来る。
「居候がもう一人増えちゃうね。よろしくね、家主さん?」
「フニャ」
「ああ、くそっ!」
シルヴァは頭をガシガシと掻いた。せっかくのサラサラ金髪が乱れてしまっている。
「プリムローズ、そのスノータイガーはお前が責任持って飼えよ。僕は知らないからな。家を荒らしたら叩き出してやる!」
「ふふっ、家にいていいって。良かったね、お前」
「僕は叩き出してやると言ったんだが?」
「いい子にしていれば家に置いてくれるってことでしょ?」
私が言い返すと、シルヴァは再び黙った。
思春期男子はもっと口が回るものと思っていたが、彼はずっと一人暮らしをしていたから、屁理屈をこねるのに慣れていないのかもしれない。
それにスノータイガーという魔獣は、親虎の様子を見るにとても賢い種族だ。
人と暮らすためのルールをしっかり教えれば、理解するのではないかと思う。
「そういえば、前世の私は大人……というよりいい年だったんだけど。そこも驚かないのね」
「そりゃそうだろ。いい年といっても、僕より年下じゃないか」
ハーフエルフのシルヴァは、少年の見た目だが実年齢は六十二歳だ。
見た目十歳の私が実はいい年だと知っても、全く動じていない。
思わずちょっと笑ってしまった。
私は手を伸ばして、子虎の頭を撫でる。
「さて、お前に名前をつけてやらないとね。でもその前に……」
私は立ち上がった。
たっぷりと睡眠を取ったせいで、体力と魔力はすっかり回復している。
ぐっと手を握り込めば、小さな霊珠が生まれた。
「何をするつもりだ?」
「親虎の埋葬を」
周囲は岩場で地面を掘り返すのは難しい。
だから私は『爆』の漢字を刻んだ。
少しの魔力を込めた後、崖から少し離れた地面に転がす。
(……発動)
使い方はもう理解している。
この『爆』は特に制御しなければ何かに触れた時点で爆発するが、自分で起爆のスイッチを押すこともできる。
地面をコロコロと転がった霊珠は、ある地点で爆発を起こした。
爆風が巻き起こって、私の長い銀髪を夕闇の空に巻き上げる。
爆心地は縦横三メートル、深さは二メートル半ほどの穴が開いていた。
次は親虎をこの穴に入れてやらなければ。
もう一度手を握る。
昨日、消耗した状態でさえ霊珠を二つ作るのに成功した。
もっと回復した今であれば、余裕を持って……というほどではないにしろ、作れる。
少々のめまいを起こしたが、倒れるほどではなく成功した。
「『剛』」
体に力が満ちる。
霊珠を握り込んだまま親虎の体の下に手を差し込めば、抱き上げることができた。
推定二百キログラム以上ある大きな体だが、『剛』はそれ以上の力を与えてくれる。
そうして親虎の体を穴に下ろし、爆発で飛び散った石を拾い集めて上に乗せた。
「ミャ?」
子虎が不思議そうに穴に降りてくるが、抱き上げて戻してやる。
「駄目だよ。親御さんはこれから眠るの。安らかに眠れるよう、邪魔をしないであげてね」
石を積むのはシルヴァも手伝ってくれた。
しばらくすると、親虎の体はすっかり見えなくなった。
岩盤の上ではきちんと土に還るかどうか分からない。
だがさすがに、岩山の下まで持っていく余力はない。ここが埋葬の限界だ。
「さようなら、虎さん。この子のことは、どうか安心して私に任せて」
そう祈った。




