狂人うさぎは幼女をうちの子にしたい⑥
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「よし、じゃあ合図で止まったらそのガキ下ろせ! 標的、左右で挟むぞ!」「あいあい!」
いくら大きいとはいえど、正体が〈虚棲ミ〉なのであれば倒しかたはおそらくこの森の縁で見慣れてきたものと変わらない。
妖獣は、
『人を好んで食う』
『血と肉が青い』
という他にもうひとつ、
『核という結晶器官を、心臓や肺といった他の内臓と共に体内に保有する』
という少し変わった特徴を備えている。
この『核』は妖獣の生命の存続────いや、正確には、妖獣の肉体そのものをこの世界に存在させるために必要な、少し特殊な器官だった。
埋まっている場所は妖獣の種によってまちまちだが、〈|虚棲〈虚棲ミ〉の場合は右胸の肺の中に包まれている。
ならば生き物としての弱点を突いて直接の致命傷を与えるか、上手い具合にあばらの隙間を通して核を貫けば、このデカさでも簡単に殺せるはずだった。
「――いくぞ?! 三、ニ、一 ……散れ!!」
「あい!」
握る長剣で、まずはイチヘイがその巨躯に突きを食らわした。
今回のフィーには『お荷物』がいる。守るものがあると、必然的に動きは制限されるだろう。
となれば今回の、主たる攻撃と陽動はイチヘイが担うことになる。要は前衛だ。
ゆえに注意をこちらに向けさせるついでに先制攻撃で目を狙うも、それは虚棲ミの、尺取り虫が一瞬で縮んで後退するような胴の動きに避けられる。
「――くそ、気持ち悪い挙動しやがる…」
コレは芋虫ばりに胴が長い。走るときも脚ではなく胴の筋肉をバネのようにしならせ、常に身体全体で疾駆する。それを全面に活かした動きだった。
その上で次の瞬間には、縮めた分の反動を使い矢のようにイチヘイへ突っ込んでくるのだ。
「?!」
咄嗟に防御へ回った剣に、がぎっ、と鈍い音で噛みつく虚棲ミの歯。後ろ腰の短刀と違い、力で圧し切るこの剣、切れ味はそこそこだが別に切れないわけではない。
……その刃の腹に、僅かに刃こぼれがうまれたのを見てイチヘイは僅かに背筋に寒いものを覚えた。この歯に抉られたらとどうなるか。
(っ、普通の反応速度だったら死んでたな――)
「イチヘイ!!」
そこへ、上から声がする。
ついでに「きゃぁぁぁ!!」と子供の悲鳴もする。
何事かと思えば、子供を背中にしがみつかせたフィーが、跳躍して虚棲ミの背に振りかぶって愛槍を突き刺そうとしていた。
その後ろ首の毛は、いつの間にかぶわりと膨らんでいる。戦いに臨むとき、怒ったとき、興奮したフィーの毛並みはいつもこのようになる。
そうしてイチヘイは、こういうときの相棒のしたいことだけは、いつも手に取るように理解できた。
ゆえに彼は虚棲ミの動きを封じるべく咄嗟に頭部の横に回り込むと、その毛深い首にヘッドロックをかましだす。腐りだした魚のような、妖獣特有のえもいわれぬ獣臭が鼻腔を掠める。驚いたようにもがき出す赤錆色の獣。
「やれフィー!」「うやーーーーーー!!」
《っ、ギャァァーー――?!》
刹那、肋の隙を巧みに縫って、深々と突き刺さる相棒の一撃。
巨躯の虚棲ミは、周囲の森に断末魔のごとき叫びを上げ……、
《――ギャッギ、ギャッギ!!》
――いや、苦しみもがくだけで消えなかった。
「っ、なんでえ?! っ、んん、槍、抜けないのよう!!」
その背に子供の重さごと体重をかけながらフィーが困惑している。
ギャーギャー!と騒ぎだした虚棲ミは、貫かれた痛みに興奮してさらに暴れ始めた。その短い前足についた鋭い鉤爪が、まとわりつくイチヘイの横腹を薙ぎにくる。
「ぐっ?!?!」
防御効果のついた上着で爪による斬撃は防いだものの、その打撃の重さだけは胴に響く。一、ニメートルほど突き飛ばされたついでに、イチヘイは一瞬息が止まっていた。
「……イチヘイ!」
フィーはやむを得ず抜けない愛槍を突き刺したまま、子供を背負ってイチヘイのところまでかけよってくる。
「っ、ぐっ、こっの、」
「んええだいじょうぶ……?」
《ピエッ! ピエッ!》
剣を構え直しながら困惑する。
なぜだ? なぜ死なない。
「核を突く場所、フィーが間違えたか……?」
けれどその小さな呟きを拾って、相棒は首を振ってくる。
「んええ、小さい〈虚棲ミ〉といっしょだよ? 肋骨の下から5番目の隙間、ねらったよ?!」
二人とも『妖獣狩りは危ないから決して仕事にするな』と、妙なこだわりをもつ師に止められ人型の敵ばかり相手にしてきたが、それでも暮らす土地柄、この〈虚棲ミ〉だけは倒し慣れていた。ゆえにわかる。改めて見ても確かに大きさが違うだけで、フィーが刺した位置はとても的確だった。
一方、丸腰になってしまったフィーはイチヘイの後ろに周りこむと、子供をそっと地面に下ろす。奴隷の幼女は、恐らくはフィーからの扱いの突拍子のなさに恐れをなして青ざめていた。
《ピエッ、ピエッ! ギャッギギャッギ!!》
いまだ呼び声を続ける巨大虚棲ミは、脇からだらだらと青い血を流しながら、固まる三人の周りをゆっくり回りはじめていた。
ジャー……! と猫の唸るような声をだし、しっぽの毛を逆立てている。完全に怒っている。
しかしそこでイチヘイはふと、この〈虚棲ミ〉の視線がフィーでも自分でもなく、ずっと後ろの子供を凝視している気がした。
「?」
いや、きっと気のせいだ。人と違って白目がない瞳では、イチヘイもその視線の先を正確には読みとれない。
しかし、それにしても不穏なのは、『ピエッ』と鳴いて仲間を呼ぶ単純な呼び声とは違い、この『ギャッギ』という声には『助けて』という意味が含まれていることだった。
「どうしようイチぃ、仲間くるのかな? また大きいのかな……?」
「どうするもこうするもねえよ、殺さなきゃこっちが餌だ……」
周回を続ける巨躯を睨みながら、イチヘイの脳裏で、先ほどの鏡写しの発言が否が応にも現実味を帯びてくる。
『〈虚棲ミ〉なのに、〈虚棲ミ〉ではない』
理屈などわからないが、とにかく核の位置が違うというのはその最たる査証なのかもしれない。
(…………。)
しかしそれでもまだ、勝機はある。
「……核の場所がわかんねえなら、正攻法だろ。
脳か心臓かでかい動脈だ。妖獣でも人型と同じだ、生物としての急所突くぞ。
……手伝えるかフィー?」
「ん、やろうイチ……!」
またも返ってくる力強い返事。イチヘイは〈虚棲ミ〉の動きを気にはしつつも、思わず半分登った月のような形の眼窩におさまる、くりっとした瞳を覗きこんでしまう。
イチヘイには今、目前にいるこの戦闘時のフィーが、トルタンダ以降で一番『まとも』に映っていた。こうしていると、あんな凍てついた雪の夜など錯覚だったのではとすらイチヘイには思えてしまう。
イチヘイは腰の後ろへ横向きに挿している、刃渡り四十センチほどの短刀を抜いて素早く相棒へと渡した。
「……貸す。折るなよ」「ひどい、折ったことないもん!」
「刃こぼれならあるだろが」「むーー……!」
ぷくり、と後ろ首の毛とともに頬を膨らませながら、フィーは滑り止めの飾り紐を巻かれた柄を受け取る。それからふと、〈虚棲ミ〉を睨む彼を呼んだ。
「……ねぇ、イチヘイ」「なんだ?」
「――あのおっきいの倒したら、この子うちの子にしていいよねえ?」
「は? だからダメだと――」
さっきから本当に何を言っているんだと、視線をまた下げるイチヘイ。
――けれど、そこで目が合ったのは緑の木漏れ日に美しく照らされて、やわらかに狂気を含む相棒の微笑みだった。杏色の毛並みも、朝の日差しに黄金にひかる。
その刹那、不意を突かれたイチヘイの胸を浸すのは薄らい罪悪感なのであった。やはり相棒はどこかおかしくて、あの雪の夜はたしかにあったのだと痛感する。
――――そして本当にその瞬き一瞬、不覚にもイチヘイの意識は〈虚棲ミ〉から完全に逸れてしまった。
《ギャッ! ギャー!!》
また、この狡猾な妖獣は、どうやらその一瞬の隙を見逃さなかった。曲げた背骨に溜めていたしなりを一気に解放し、飛びかかってくる。
……けれどそこで真っ先にねらわれたのは、彼でもフィーでもなく、なぜかその背後に隠れていた奴隷の子供であった。
《――ひっ、いやっ?!》
「はっ?!」
同時にイチヘイは〈虚棲ミ〉の動きに反射で意識を引き戻されながらも、幼女が発したその言葉にこれ以上ないほど鋭い双眸を見開く。
わずか三音。しかしその音のもつ意味を、イチヘイは知っていた。