106.遠い日⑬ -遠き日、全て還らずとも、-
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一つ目。彼が〈生成リ〉であることは、本人を含め誰にも伝えるな。
二つ目。〈生成リ〉の彼を愛するな。そして愛されるような行いをするな。
その日、フィーとエナタルの森の魔女モニススは、封印の墓標を抱いた砦の前でそんな約束を交わした。
お師匠さまの言う『矯正』とは、妖魔になりかけた彼が術式で禁じた心を感じる度に、その瞬間の感情もろとも記憶を削ぎ、封印の魔法を彼の魂に馴染ませて固めていくというものだった。それは夜毎少年が眠りについた後、夢見の中で行われているようだった。
次の朝が来れば、昨日彼が感じ、想った禁忌はぜんぶ無かったことになる。
フィーはその間に十歳になり、すぐに秋が来て、冬が来て、また春が巡った。
はじめはお師匠さまと二人で、威嚇と攻撃を繰り返す猛獣を手懐けるような、本当に大変な日々が続いた。
人から堕ち、妖魔にもなりきらない彼の精神はお師匠さまの言うように歪だった。モニススの魔法で言葉は分かるようになっても、心はすぐには通じない。
その間も、フィーはずっと少年の側にいた。
けれど半年が過ぎる頃には、彼はフィーの名を呼ぶようになり、獣のようには暴れなくなり、『イチヘイ』と名前を名乗った。こちらの言葉はまだ片言でも、昨日あった事はあまり忘れなくなった。
『魂を歪める都合上、この封印は一度きりしか掛けられないのだけどね……。流し込んだ、人たる精神の『外殻』が上手く固まってくれて良かったよ』
モニススはそうフィーに話して微笑んでいた。
さらにもう一つ年が巡る頃には、彼はそこそこ此方の言葉を覚えていた。その背も、いつの間にかフィーの背丈を上回るようになった。
魔女が見守ってくれる他には、お互いの暮らしにはお互いしか映らない、エナタルの家と森の中。
下の村に下りても、わずかの好奇や憐れみも含まず『おひいさま』だったフィーと接してくれる人はいない。
全部なくしたフィーの『欠けた月』は、結局のところ、この欠け落ちた〈生成リ〉の少年が埋めてくれる。
ふとした瞬間に思い出す家族の死に、フィーが震えて立ちすくむこともあった。イチヘイは、フィーが泣いているだけでは助けてはくれない。けれど、助けてとお願いすれば手ぐらいは引いてくれる。寄り添ってくれる。
以前いた世界の事を話してくれた後は、フィーの方がぼろぼろ泣いてしまってギョッとされた。
それにイチヘイはフィーより要領がよく、言葉も、まるで砂が水を吸うように覚えるのだ。祝福持ちの上になぜか少しばかり魔法が使える彼は、お師匠さまにも結局のところは気に入られていった。
……そうやって年が二つ、三つ巡る頃には、まだ時折続いていた彼の記憶の抜けもほぼ起こらなくなる。
その心は砕けて欠け、もう決して『普通の人間』とは言えないのだろう。それでもモニススやフィーの言葉と心を模倣して、彼はようやく、人間に近い何かになったのだ。
けれども……、削ぎ落とされてもなお、元の人格から見え隠れする不器用な優しさは、やはりあの日抱きしめた温もりそのものの顔をしてフィーを導く。
不器用でも、フィーのお願いを叶えようとしてくれる。
見捨てないでいてくれる。
……消えないで、どこにも行かないでいてくれる。
それだけで十分だった。
それだけで。
だから結局、三つ目の年が巡る前には、フィーはお師匠さまと交わした二つ目の約束を破った。
種族の壁だって、関係なくなってしまった。
……フィーは、イチヘイが好き。
そうしてその想いを秘めたまま、フィーゼィリタス・アビは今も此処に、傷だらけの心で息をしている。




