104.遠い日⑪ -ナマナリ- (※挿絵入)
読了目安 5~8分
(※末尾に作者手描きの挿し絵(フルカラー落書き)有。ご注意ください)
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男の子は臭くて汚くて……、でも、抱きしめた体はとても暖かかった。それは冷えて形を無くしかけた心には灼けつくような、乱暴でも熱い脈動を持っていた。
時々唸り声を上げるせいでモニススの話が聴き取れないが、フィーは辛抱づよく耳をそばだてる。
お師匠さまはまず、フィーが知っている妖獣の生態について、フィーに話すよう求めてきた。
「……えっと妖獣、は、人を襲うから、嫌われてて」
唐突な要求に困惑しつつも、知っているから答える。するとモニススは、質問を重ねてきた。
「山狼も群れて人を襲うね? ……どうして普通の獣より嫌がられているのだろうね?」
「それ、は、妖獣には私たちと違って魂がないから……」
「――うんうん?」
「だから、持っていない魂の代わりに核を持っているの。でもそれは魂じゃないから、〈円環の河〉の流れには繋がれないの。なのに、お腹の赤ちゃんに命を吹き込むためには、やっぱり私たちと同じように〈円環の河〉の〈力〉が必要だから……」
……ならばどうするのかといえば、河の力と交わりを持つ生き物から奪い、中から吸い出した河の力を、生まれる子の〈核〉に利用するのだ。
その上彼らの目には、野のケモノよりも人間の魂の方が食べ応えのあるごちそうに見えるらしく、人を見るやいなや襲いかかってくる。
「……それで、妖獣に魂を吸い取られると、魂の器ごと破壊されるから、食べられた生き物は体ごとショウメツ、してしま、って……」
そこまで話して、フィーの胸の内には彼女の片割れがあの妖獣に喰われて消える一瞬が蘇る。
「……メー、ナィ……」
ぽろりと口からこぼれた。
あの子だけじゃない。
みんな、消えた。
避難壕の中の人たちも、家族も、父の遺骸を残して、みんな消えた。
魂は河に戻り、身体は大地に還り、どちらも巡り、いつか戻るものだ。
妖獣は、肉や皮に利用価値はあるものの、同時にルマジアの人間たちの葬送観にとっては最も忌むべき存在でもあった。
「みん、な、あの魔法族の……女の子の姿をしてた妖獣に食べられちゃった……」
フィーはぎゅ、と壊れそうになる心を、いま腕の中で暴れる暖かい体を抱きしめて何とか押し止める。昏い赤色の瞳と、一瞬視線が合った気がした。
ただそこに割り込んできたモニススの言葉は、少し違う事を言う。
「フィーゼィ。あの双子はね、妖獣ではない。人間でもない。あれは妖魔というのだよ。
人と言葉を通じさせ、知恵が回るぶん妖獣よりずっと質の悪い生き物だ。妖獣と同じように魂を食べるのは変わらないけれどね」
「よう、ま」
ずびりと鼻をすする。『それは何?』と父の腕の中で問いかけたことを、今さらながらに思い出した。
「……妖魔の補食行為は、妖獣と違って繁殖のためだけに留まらない。
吾の封じた者どもはどうやら能力として、『産む』ことに固執していたけれどね。そうでなくても、あやつらは自分の魔力……正確には妖力を強めるために、好き好んで人を喰いちらかす」
つまり、あの双子は生きるためではなく、食べることを楽しむために、あるいは力を蓄えるために村砦を襲ったのかもしれなかったと、お師匠さまは言う。フィーはすべて腑に落ちて、そしてまた少し、心に隙間風の吹く穴が増えた気がした。
「それから、ね、フィーゼィ? ぬしは〈稀人〉を知っているかな? それから、『稀人は迎えよ』という言葉も、きいたことはないかな?」
次の問いも、また唐突だとフィーは思った。
〈稀人〉。異界から、白い〈門〉に浚われてやってくる特別な『お客さま』のことである。
〈門〉はどこにでもある。エナタル山脈の中にも何基か確認されている。年に二回の大祭の前には、村砦の者たち総出で周りの草を刈ったり掃除をしたりして、供え物と共にきれいに祀っていた。
この世界の種族の始祖は、誰しもこの〈門〉からやってきたと伝えられるから、ご先祖さまのお墓と同じように〈門〉もとても大切にされる。
よく解らないまま、フィーはこくりと頷いた。
「〈稀人〉は、ご先祖さまと同じ場所からきた、大事なお客さまだから……。だから、もし来たら、ちゃんとこの世界で暮らして行けるようにお迎えして、お手伝いしなきゃ、なんでしょ……?」
言葉が滑り出るも、そこに意思はない。脱け殻のような言葉だった。
ふわりと思い出しているのは家族との、楽しかった大祭の記憶ばかり。
けれどモニススは、「まあ、半分はそうなのだけれどね……」と言って、フィーの返答に複雑な表情を見せる。
そうして、フィーの面から外した視線を急激に冷やしながら、彼女が抱き締めている少年をじっと見据えた。
「フィーゼィ……ぬしが今抱いているソレはね、本当は異界から来た稀人……、いや、もはや『稀人』とも言うべきではないね。
さっき言ったように、ソレは妖魔になりかけた存在。〈生成リ〉なのだ」
「え……?」理解が追い付かず、フィーは顔を上げる。真剣に自分を見つめる、浅い夜色の瞳と目が合った。
「……妖魔はね、フィーゼィ、〈稀人〉が成るものなのだよ」
モニススは、こう説明した。
魂が円環の河に繋がらない内の稀人は、状態的には妖魔と何も変わらない。ただ、そのまま何事もなければ、稀人も胞果熱を経て、晴れてこの世界の魂の流れに連なる一員となる。
「……けれどね、彼らが円環の河にちゃんと繋がりきる前に、もし、自分や周囲に対して魂を歪めてしまうほどの強い負の感情……――たとえば、憤怒や増悪などに支配されすぎるとね。
その不安定な魂は変質し、河の支配を拒み、今のコレのように心を歪ませていく。
歪みが、また歪みを産み、一度はこうして獣のような振る舞いをするまでに心をやつす。そうやって再び人のように振る舞いだす頃には、頭には黒い角、身体には、核を持つようになる……」
フィーは思わず俯いて、膝の上で抑え込んでいる少年を覗きこんだ。
「……そうなれば心も、身体も、魂も、総じて人の世とは相容れぬ化け物になり果てるのだよ」
お師匠さまの話をよそに、彼は暴れ疲れたのか、もう大人しくなっていた。そうして今度は絶対にフィーを睨み上げていて、明確に視線が噛み合う。――瞬間、この世の全てを忌むような、触れたら切れる刃のような面差しで、静かに唸り声を向けられた。
そこに、モニススは大きな身体をぐっと屈めて、フィーの翡翠色の瞳を覗き込んでくる。
「――フィーゼィ、ぬしはそれでも、ぬしに牙を向いてくるソレを生かすのかい? ソレは、ぬしの大切な人たちを滅ぼしたものと、同じ理外の存在なのだよ……?」
良く言えば労るような、悪く言えばフィーの行いを信じ難く思っているような視線だった。そうしてその手には、やはり先程の懐刀が剥き出しのまま握られているのだ。
また唸って、身をよじり出す泥土まみれの身体。
それでもぎゅっと、まだどこにも失われて行かない体温をフィーは抱き締める。
わかっている。額に角の生えかけている人族なんてどこにもいない。だからお師匠さまの言う通り、この子は普通じゃない。放っておけば、きっと本当に妖魔になってしまうのだろう。
でも、生きている。
(生きているん……だよ、お師匠さま……)
そうして確かにいまこの瞬間、この少年はフィーの中でとても大切にしたいもの、あるいは自分のために守りたくて仕方のないもの、に変わってしまったのだ。
だから庇うように抱き締める。目の前の魔女を睨み上げる。
もう誰にも奪わせないと思った。この子が生きていてくれるなら、何も無くなってしまった自分も、誰一人守れなかった自分も、まだ生きていて良いのだ。
「……私、言ったもの。
私が死ねばいいなら死ぬからって。
ねえ私、何でもするから……だからどうか殺さないで……。この子を助けて、お師匠さま……。お師匠さまなら……エナタルの森の大魔女さまなら、何とかしてくれるよね……」
「ウヴゥァウゥヴヴ……!」
「フィーゼィ……――」
するとまるで、誰かの痛ましい生傷を目の当たりにした瞬間のようなため息が返ってくる。モニススは、厳しいときには本当に容赦してくれない。やはりダメなのだろうかとフィーは思った。
「……フィーゼィ、もういいよ。
もう、解ったから、ソレを吾に預けてくれないかな?」
「嫌っ――!」
長い腕が伸びてくる。
しかし少年を抱いて後退りしだす彼女の頭を、魔女は指の根本にだけ水掻きのある異形の手で、ポンポンと撫でた。
「これ、早合点するのじゃない、殺さないよ。なんとかしてくれと、今頼んだのはおぬしだろう?」
「ふぇ……?」
見上げると、その表情はどこか諦めたように切な気だ。でももう、何時もフィーに接してくれる時と同じように優しかった。
「……けれどねフィーゼィ、もしこのまま放置すれば本当に殺さなければならなくなる。ゆえに、まずは応急で処置をしようね。手始めにはこれ以上、コレの魂が歪まぬように術式で矯めなければ」
矯める。……矯正する。
「ホントに、してくれるの?」
「そうだねえ。殺すべきこれを生かし、使うべきではない魔法を使う。――本来なら禁忌だよ、こんなことは」
返ってくるのは、けっして本望ではないという顔。
それでも、胸元の提げ石を自らの持つ魔力の色……青と緑の斑に染め上げながら、エナタルの森に住まう異形の魔女、モニスス・トゥーデクテはフィーに確認を取ってくる。
「……だからね、フィーゼィ……ぬしには協力してもらうよ……?
この魔女に|理外の頼みごとをしたのだ、ぬしに心変わりがない限りは、これを『生かしてしまった』責を共に負ってもらうよ。
それからもし、ぬしが要らないとコレを棄てるなら、その瞬間にコレは処分だ。
――いいね――――?」
フィーは、すぐに『いいよ』と頷いた。
だってこんなことを言われなくても、そもそも少年の暖かさに縋る彼女に、それ以外の道なんてもう残されていなかった。
――だからフィーは、それで良かったのだ。
「お師匠さま、必要なら私、耳長族の神さまに〈聖宣〉だってするよ……」
そんな決意まで固めたのに、なのに異形の魔女から返ってきたのは、
「其処までは、しなくても良いのだからね……?」
という苦笑い一つだった。




