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103.遠い日⑩ -"この子は生きているの"-

読了目安 4~7分

 太陽が、広大なニムドゥーラ汽水湖の対岸から顔を出す。

 海から上がってきた船の帆影が、都市の近くにいくつも停泊している。


 世界はまたゆっくり動き出す。

 ……フィー独りを、置き去りにしたまま。


「…………」


 父の身体は、モニススの手で村砦の入口付近に埋められた。村砦に繋がる跳ね橋前の地面は、平らに鳴らされ半円形の広場になっていた。

 その広場の真ん中で、細長く盛り上がった土の上に、モニススが魔法で浮かせた墓標をそっと置いた。輝き出した朝日を受けて照り返すその石は、星のように僅かに煌めく、白い骨のようだった。


 崩壊した砦越しに見上げれば、妖魔を封じた塚は砦より堆く鈍い銀に埋もれ、段々畑があった坂に盛り上がっている。

  残る戦士たちの遺骸も、後でモニススが残らず埋めてくれると、フィーに約束してくれた。


 「ありがとう」と口から零れた言葉。


 けれどそれはおかしなくらいに乾いて、声だけがフィーの形をしている。


 何も、感じなかった。なにも。


(ずっとここに立っていたら、私もこの父さまのお墓みたいに、白い石になれる気がする……)


 そんなことはあり得ないと、思いつつも考えている。そうやって頭が回ることも、なんだかフィーは不思議に思っている。


 その時ふと村の墓所に続く坂の上から、がさがさと何かか近づいてくる音がした。

 フィーの青毛かもしれない。そうでないかもしれない。でもいまはもう、フィーはどちらでもよかった。


 取り留めもなく続く思考に、ふらふらと流されていく。


(……みんな死んでしまったのに、私だけ、考えてる。んだ……?)


「……フィーゼィ」


 しかしその流れに割り込むように、モニススの声が響いてくる。のろのろと顔を向けた。

 同時に梢をザワザワと朝の風が渡り、下生えを踏むその足音も、どうやらこちらに近付いてくるようだった。


(わえ)は一度、家に帰るからね、フィーゼィも一緒においで」


 その気配に、モニススは気づいていないらしい。でもやっぱり、フィーはどうでも良かった。彼女の耳は、目前の魔女の声だけを拾う。


「いえ……家……」


(……そうか、私も帰らなければならないのね)


 フィーの家は、この砦の上にある。上の屋敷は何とか破壊を免れ、まだそこに建っている。なのに、もう帰る場所はここではないと、彼女の師は言っている。


「……わかったよ、お師匠さま……」


 一人では生きていけないのは判るから、頷いたつもりだった。なのにその声は、まるで自分のものではないようにフィーの胸に響く。


 その時、風が止んだ。その刹那だった。


 フィーたちが立つ広場の端に、人がひとり、茂みの中から躍り出てくる。

 それは痩せぎすで小柄な、人族の少年だった。


 ――そうして姿を表すや否や、初対面の二人の元へ駆け寄ってくる。


「……ウウグルゥウヴヴウァァァ!!!」


 まるで獣のように剥き出しにした歯。焦点の合わない瞳は山狼のごとくに鋭く、乾いた血のような昏い赤色をしている。その、思ったより速く距離を詰めてくる気配にフィーは感慨もなく後ろを振り返り、同時にモニススも、ようやくその少年の存在に気付いたようだった。


 ――そして彼は、男子にしては長く伸びた黒髪を振り乱し、武器も持たぬまま真っ直ぐフィーに向かって襲いかかってきた。



 ―=❈=✣=❈=―



 身を固めるばかりで一切の防御行動に移らないフィーに、モニススはやはり彼女の心の限界を見る。


 サッと前に立ちはだかり、モニススはその礼を欠く子供を横手でなぎ倒した。一、二メートル吹き飛んだが、手加減はした。しなければ、その体は砦の空堀の底まで転げ落ちて行ったはずだ。


「……うぅぅぅぅうぅぅぅー!」


 ……しかし、なにか様子がおかしい。受身を取ることもなく倒れ、それでも吹き飛んだ先でゆらりと立ち上がる。それから再び、言葉を忘れた獣のような唸りとともにこちらを睨んできた。


 そうして次の瞬間にはまた懲りもせず、咆哮とともに飛びかかってくるのだ。

 ゆえに今度は軽やかに蔦で手足を縛り上げる。つまづいて転びかける身体を掴むついでに魔女はその喉元に長い手指を回し、片手で軽々と掴み上げてみた。


「〜〜〜?! うっあがぁぁがあ!」


 思うよりずっと軽い。モニススは至近距離で、手足を縛ったその少年をよく観察しだす。


 フィーより一、二歳は下に見える。枝のような細い肢体に、見た事もない異国の衣服を纏っている。しかし幾日も風呂に入らず着替えてもいないのか、服も肌も泥土にまみれ、汚くて臭い。


 それからモニススははたと、暴れて動くたび持ち上がる前髪の隙間に、皮膚に覆われた小さな盛り上がりを見つける。それは額に二つ生えかけた、三角の袋角だった。


 後ろからフィーが、少し手荒に扱われる少年を疲れきった表情で見上げている。


 そのさなか、モニススは確認のようにちらりとその少年の魂の色を眺め、「……嗚呼……」と声を上げた。

 一瞬で全部、納得している。

「そうか、ぬしは〈生成(ナマナ)リ〉か。――残念だよ、殺さなければならない」


「…………。え……?」


 小さく後ろから上がる声に、モニススはフィーの心にまだ僅かな動きがあることを知る。長い耳先を、チラと視線で撫でた。


「〈生成リ〉だよ。これは先頃(わえ)が封じた妖魔どもと同じに、この世界にいてはならない、意味の無いものなのだよ」


 ぱ、と手を離し、痩せぎすの体を地面に転がす。冷徹な色で、子供を見下ろした。暴れている。

 彼女は身に着けた、裾の長い前垂れの胸元から、手の長さ程の懐刀をスラリと抜きはなった。銀色が光る。


「……お師匠、さま?」


フィーの呼び声がする。


「……まって、ねえ、まって、お師匠さま、どうして殺すの……」


 けれど理に生きるモニススにとっては、このような穢れに染まったものは、一刻も早くこの世界から葬り去るべきものでしかない。


「すまないねフィー、後で説明はしてあげるから、コレがここに現れたことは忘れなさい。いいね?」


 素早く屈んで抑えつける。ソレの頸動脈に狙いをつけた。

 焦点の合わない"成りかけ"色の瞳を見る。せめて苦しまずに逝けと刃をあてかけたときだ。

 モニススは、横からドン!! と激しい衝撃を受けた。それは、どこにそんな力があったのかと思うほどの、フィーの力任せの体当たりだった。


「だめ、ダメだよお師匠さまっ―――!!」


 突然の突進に真横につんのめり、モニススは尻餅をつく。目を丸くする。それからフィーの顔に焦点が合って、言葉を失った。


「――――っ、ダメ! やめて……。殺さない、で!!」


 ……枯れ果てていたはずのフィーの瞳からは、ぼろぼろと涙が溢れだしていた。


「――お願い、お師匠さま、なんでもするから! 私が死ねば良いなら死ぬから! でも、ね、お師匠さまっ、」


「うううヴぅぅうガァアアアアア!!」と上がる唸り声。手足の自由を奪われてなお暴れる少年の、垢と埃にまみれた頭を、杏子色の腕が抱き締める。その上に、大粒の涙をボロボロと落とす。


「――でもこの子はっ、この子は生きているの……! 

 あのねお師匠さま。父さまも、母さまもっ、メーナィも、トーラィも、ハザウにナリャンにアーリャに、それにモニとラニも……むらの、みんなも、グスッ、――みんな……みんな死んじゃった! 死んじゃったの!! わかってる! わかってるの!!

 ――でも、この子は生きてるのよ!? だから殺さないで!! お願いします、お師匠さま!!」


「ふぃー、ぜぃ……」


 モニススはポカンと口を開けて、固まっていた。幼いフィーの翡翠の瞳内(どうない)に、もはや小さな体が負うにはあまりに重たい、狂気じみて縋るような光を見てしまったからだ。


 この魔女は記憶にないほど久しく、戦慄していた。それでも、何とか気を取り直して、


「けれどもね、フィーゼィ……」


と声を上げる。しかし泣いてこちらを睨み上げながら、無言でかぶりを振る幼い姿を前にすると、やはりそれ以上の言葉は出ない。


 無理に引き剥がしてコレを殺したら。いま、絶望の淵に死人のような顔をして浮かぶだけのこの子は……、この寄る辺をなくした『おひいさま』は、どうなってしまうのだろう。


(この黒髪の〈生成リ〉は、既に意味を失ったもの。しかし今のフィーゼィにとっては、意味のあるもの……)


 唇をへの字に曲げたまま目を閉じ、しばし考える。後味の悪い想像も、モニススの頭をよぎる。それから苦渋の決断として、


「……フィーゼィ、よくお聞き……」


まずはともかく、この少年の正体について説明してやることにした。

 話して、彼女の心変わりを期待することしか、今の魔女には出来ることがなかった。

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― 新着の感想 ―
イチヘイかと思ったら違ったみたいで……。 (・–・;)ゞ 生成りとは何なのか……謎が気になります。 (・∀・) フィーが不殺に拘るようになったのはこの頃からなんですね。 傭兵業をやっていた風でした…
重くて感想がまとまりません先生!!!!! フィーが止めてなかったらイチは殺されてたんやなって…… でこのあとお師匠さまが説明してもフィーは心変わりしなかったから生きてるわけだよなって… ( '-' …
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