最終章 真堂守哉と神掛ゆんと奮闘記(前編)その1
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開け放たれた窓から入る涼しげな風が部屋を吹き抜けていく。その風は守哉の髪を揺らし、手元の文庫本のページをぱらぱらとめくる。
心地よい昼下がりのひとときに、思わず睡魔が足音を立てて来る。
だが、守哉の眼前にいる少女はその悪魔を完璧スルーして、銃の模型を持ち、テレビ画面に映るゾンビたちに騒がしく挑んでいる。
「てやあ! ばんばん、よし! このうっ!」
もちろん、これはゲームの主人公が出している声ではない。ホラー系の主人公がこんな緊迫感の欠片もないロリ声を発するはずない。
「あ、あれ? うわっ! あ、ああ! ぎゃーっ! ぐ、ぐはっ……」
銃を落として崩れ落ちる少女を見ながら、守哉は「お疲れ様でした」の顔を浮かべる。
その場でうずくまるゆんから視線をはずして、ふと画面を見てみると、そこには恐ろしい数字が叩き出されていた。
『ゲームオーバー ……命中率――100%』
とりあえず吹き出した守哉は、ごほごほと咽ながらゆんに尋ねる。
「けほっ。お、お前、それでナニゆえゲームオーバーげほ!?」
よく考えてみると、そういえばゆんは神懸かりな強運を持っていた。彼女が射撃をする場合、「数撃ちゃ当たる」ではなくて「数撃ちゃ全部当たる」なのだろう。
それならば、なぜゲームオーバーなど、この数字から不可能に思える結果が出たのか。
「うう……。リロードがあ。リロードのやり方が分かんなかったんだよう」
「ッ! リ……ロード、だとう!?」
その手があったか! 守哉の頭の中に存在していた無数の疑問符が感嘆符に転換される。
「こ、これをアハ体験というのか……! おお、すげえ。今、俺の頭は活性化しているぞお! あは! アハァ!」
「……かみやが気持ち悪くなったー」
と言うか、彼の頭脳はほぼ世界一活性化しているので、これ以上のそれは必要ないように思えるのだが、当の本人はそんなこと気にせず、ただ初めて味わった「何度考えても分からなかったことが一瞬にして理解できた時のスッキリ感」を堪能していた。そこにいままであったの「睡魔」という存在は微塵も残っていない。
なんか一人で盛り上がっている守哉を横目に、呆れ顔のゆんはゲームのリベンジに励む。
だが、何度やっても弾切れになった時の対処法が分からず、ついには近づいてきたゾンビ達にリンチされてゲームオーバーになってしまう。
「……この子には、学習能力っていうものが備わっていないのかしら?」
「うう、うがー! なんかその嫌味なお母さん口調いらいらする!」
ゆんは銃の模型をぶんぶん振り回しながら頬を膨らませる。そしてむすーっ、としながら銃を放り投げた。それが山なりの軌道を描いて床に落ちていく様を守哉が目で追う。
ずかずかと歩くゆんは守哉の隣に座る。紅い髪から漂う甘い香りが彼の鼻孔をくすぐる。
「むー。だいたい、こんな天気の日に部屋でおとなしくしているってのが無理なんだよう」
「仕方ねーだろ? 大事な客が来るらしいじゃん。お前が家中暴れまくってたら迷惑だろ」
文庫本のページを捲りながら、守哉は言う。
彼の言葉に、隣の少女は駄々をこねるようにソファの上でじたばたする。
そう、守哉が言ったように、彼らが部屋でのんびり過ごしているのは、今日、神掛家に大事な客が来る予定があり、それなのに料理長が出払っているから、料理などの準備に追われる明歌や爺やに代わって守哉がゆんの子守をしている、という理由がある。
彼女の言うとおり外に出かけてもいいのだが、それはそれで面倒なことになる可能性が大なので、自分の部屋にておとなしくしてもらうことにした。
とにかく賢明な判断ではあるが、唯一、当の対象は不満だらけですよオーラを存分に放出しまくっている。
「む~、むっむっむ、むむ~む。むぅ~っむ!」
「そこ、うめき声でリズムを取らない」
「だって何にもすることがないんだもん! 暇なんだよう! かみや、何かしてよう。これじゃ『生きじごきゅ』ってやつだよ~」
じごきゅって何だよ、と心でツッコむ守哉。確かに、アクティブ精神マックス電波ゆんゆん少女にとって、部屋の中で暇を弄ぶのは地獄に近い仕打ちなのだろう。
守哉が神掛家に来て初めての週末は、絶対に「休」日とは呼べないものだった。
昨日……土曜の屋敷をステージにしたサバイバル鬼ごっこ(鬼はモデルガンを持って、一般人に乱射してくる。時間内に全員撃ち終われば鬼の勝ち)はもう惨劇と呼べる。
鬼はもちろんゆんで、屋敷にいる全ての人間が標的となった。全員がゆんから軽い気持ちで逃げ惑う中、最初の料理長の断末魔を始めに、次々とあちこちから悲鳴がしたのだ。しかも、その悲鳴はだんだん守哉に近づいてくる。これは尋常ではない、と守哉は悟る。突然、降り出した豪雨、雷による停電。そして、逃げ続け、行き止まりに辿り着いた守哉の背後に気配。振り向いても暗闇。静かに響く秒針の音。その時、雷が光る。照らされて、守哉の目の前に姿を見せたそれは――……。
これ以上は思い出したくない。いや、相当のトラウマなのか、思い出せない。あの時、自分の目の前に現れたのは何だったのか。ゆんであることを願いたい。それほど気になるのなら彼女に訊けばいいのに、体がそれを拒む。真実に近づこうとすれば、頭痛が走る。だから守哉は未だにその答えを知らない。知らないほうが身のためだと体が訴える。
それに比べ、今日のなんと平和なことか。
守哉はチラリとゆんを見る。このままではテーブルクロスを首に巻きつけてベランダから「ふははは!」とか言って飛び降りてしまうかもしれない。
「そうだな……。じゃあ、手品でもする?」
「えっ? かみや、手品できるの!? すごおい! やってやって!」
がばあっ! と身を乗り出し、守哉の言葉に食いつくゆん。
それを促すように、守哉は文庫本を、ぱたん、と閉じ、笑顔で彼女を見た。
「はっはっは。そうだなー。じゃあ、ゆん、ちょっとそこの窓の前に立ってみろ」
「らじゃー!」
ゆんは飛び跳ねるようにソファから立ち上がると、急いで窓の方へ駆け出す。
窓の前に立ったゆんは、「つ、次はどうするの?」とキラキラした視線を守哉に向ける。それに応えるように、守哉もニコニコ笑顔を浮かべる。
「よし、そのまま目を閉じる」
「ぱちっ」
「そして後ろを向く」
「くるりっ」
「そして悪魔を呼び出す魔法の呪文。エネス、マイザゴ、デ、キンテオイヨモ、ウヨキ~」
「は~っは、え、えねしゅ、まいざーご、ほにゃららら~」
呪文を唱えながら守哉は手拍子を打つ。目を瞑っているゆんは、それを聞く度に体を小さく震わせる。
「……ウヨリ、あ、いや、完了。ゆん、ゆっくりと目を開けてみな」
「? 目を開けても、窓があるだけだと思うよう?」
そんなことを言いながらも、期待に胸を膨らませ、ゆんは軽い瞼を徐々に開いていく。
「ほら、窓のガラスにちっこい悪魔が映ってるだろ?」
次の瞬間、銃の模型が守哉の顔面に直撃した。
「がはあ!」
ソファから滑り落ちた守哉に、次から次へと様々なゲームのコントローラーが降り注ぐ。
「ぎゃああ! おたっ、お助け! おうッ! さ、刺さってます! 剣劇アクションゲームの擬似コントローラーの先端が、私めの肛門なる部分にストライクでございます!」
「もうっ! つまりそれってゆんが悪魔だって言いたいのかみや!? ていうかそもそも手品じゃないしい!」
「い、いや、これは悪魔じゃなくて『小悪魔』と言いたくて、つまりは可愛らしいという形容詞を比喩してみたもので、何気ない日常のスキンシップ的な痛え! あだだ! あのうお嬢様! モデルガンでもプラスチック弾を撃たれれば痛いのでありますですわよ!?」
しかもその一発一発が上手いこと急所にヒットしていれば尚更のことである。命中率100%、現実世界でも健在。
パパパパ! とハンドガンから出るマシンガンみたいな銃声が部屋に鳴り響く。
クッションを盾に床の上でうずくまる守哉はゆんの怒りが収まるのを待っていたが、案外それが早くきたのか、ふいに銃声は止んだ。
「~っ!……、……あれ? 撃ってこない……?」
怯えた顔を上げた守哉の目に映ったのは、ぼうっと足元の床を眺めているゆんだった。
守哉は彼女の視線の先を追ってみたが、そこにあるのは無数のプラスチック弾の山だけ。
「……ゆん? ど、どうしたんだ? 毒電波でも受信しましたか?」
ゆんはその場にしゃがみ込むと、床を見つめたまま口を開いた。
「わあ、かみやー。鉛弾が飛んできたよ?」
「はあ? ナニ分けわかんねーこと言っ」
その時、開け放たれた窓から大量の銃弾が撃ち込まれてきた。
「わああ! ばんばん飛んできてるじゃねーか! あぶねええ!」
さっきまでのゆんによる射撃とは比べ物にならないほどの迫力は、実弾による打弾と跳弾の嵐が織り成す脅威がかもし出している。
何発かが、守哉の文庫本をズタズタにした。跳弾した一発が守哉の頬を掠め、赤い液体が伝っていく。ちょっとカッコいい。
「わあ、『じゅうたんばくげき』ってやつだー」
「微妙に違う! と、とにかく、ゆん! 逃げるぞ!」
守哉はすぐさま起き上がり、突っ立っているゆんの手を引いて急いで部屋から抜け出した。彼にしてもゆんにしても、こういう状況で冷静に物事を考えられるところはやはり普通ではない。ゆんに関しては、銃弾が命中するどころか掠ってさえいないところが素晴らしい。命中率といい回避率といい、こいつと銃撃戦をして、勝てる自信が湧かない。
勢い良く廊下に身を投げ出し、ドアを閉める。それに背中を預けて、守哉はずるずると床にへたりこんだ。
「はあっ、はっ。な、なんなんだよあれは……!」
「これは、アレだよね。自殺に見せかけた他殺」
「どこが!? 果てしなく目が節穴だらけの監察官だなおい!」
「そうだよね! ゆんたちを狙う動機がないもんね!」
「いやっほい話が噛み合わないぜい! でも確かに、俺らが狙われる理由なんて……」
そこまで言って、守哉は硬直した。……あれえ? めちゃくちゃあるんだけど? チンピラから地元のヤクザまで、多彩なバリエーションでお送りしているんですけどお!?
「ちくしょう、たかが千円から一万円ぐらいだろ!? 許しておくれよ! 多分さっきの襲撃で銃弾のお代一万越えてるぞ!?」
「……? かみや? なに言ってるの」
ゆんのきょとんとした表情に、守哉はハッとした。
「そっか、お前、知らないんだったな」
「何が? ゆんほどではないけど、かみやが頭いいってこと?」
「なぜかこめかみが引きつる言葉ありがとう。それじゃないけど、知らない方がいいな」
「ええー! 教えてよう!」
「ようし! ここは危険だ! 急いでここから離れよう、神掛君!」
「口調気持ち悪っ! それとゆんは男じゃないよう!」
「……性転換」
「なんでそんな単語を意味あり気な顔で言うの!?」
「それは、自分が一番分かってるはずだぞ、少年」
「分からないよ! 男じゃないよ!」
「まあ、とにかく。ここから離れる必要があるのは本当だろ。はいはーい、すすめー」
そう言って、守哉はゆんの後ろから彼女の肩を持って、広間へと誘導していく。
「ん~。なんか、かみやに上手いこと操られている気がする……」
「まさか。あんなことがあったから、気が動転しているのさっ! あははっ」
「爽やか! 今日のかみや気持ち悪い!」
とその時、前方から足音が近づいてきた。
「お、お嬢様ぁ! ご無事でありますかああ!」
どだだあ! とすごい勢いで階段を駆け上がってきたのは、頬や額に冷汗を伝わせ、息を切らす爺やだった。
「あ、じいやん。大丈夫だよ。銃の弾なんて、ゆんほどになれば軽々と避けきれるからね」
なんだろう。合っているとも違っているとも言えないこの気持ち。
それでも、ゆんの元気そうな姿を見て、爺やはホッと胸を撫で下ろす。ゆんの親は見たことはないが、こうして見ると本当の親みたいだ。
「良かった。本当に良かった……。突然、銃声がするものですから……。守哉殿も、ご無事で何よりでございます」
爺やはハンカチを取り出し、顔の汗を拭う。
「そうっすね。爺やの方は何もなかったすか?」
守哉の言葉に、爺やは「ええ」と頷く。ということはつまり、あれは守哉かゆんを狙ったものだということになる。
まあ、だいたい自分だろうな、とため息をつく守哉に、爺やが耳打ちをしてきた。
「守哉殿、少々、よいですか」
「へ? い、いいっすけど」
「左様ですか。……お嬢様」
爺やはゆんに向き直る。
「なに? じいやん」
「ダイニングで明歌殿が心配して待っておられます。私と守哉殿は屋敷の見回りをいたしてきますので、お嬢様は明歌殿に元気な顔を見せてあげてください」
「んん、わかった! かみや、じいやん、気をつけてねーっ」
ゆんはそう言い残して、とててー、と駆けていった。
「……んで、なんすか?」
ゆんが姿を消してから守哉が訊くと、爺やは懐から何かを取り出し、守哉に手渡す。
「……? ハガキ? それも速達用の」
宛名にはここの住所だけが書かれており、差出人は「神掛総一郎」と書かれている。
「これ、ゆんの父親から……?」
守哉はハガキを裏返す。そこには、走り書きでこう書かれていた。
『爺やへ。ゆんの命が狙われている。相手は気が狂っている。刺激しないように屋敷の外には出さず、身を隠せ。これが届く頃にはもう屋敷内に進入している恐れもある、気をつけろ。可能であれば撃退してくれ。娘を守ってくれ、頼んだ』
読み終えて、守哉は絶句していた。
ゆんが、狙われている……?
「爺や、これって……」
「……以前もこういうことがありました。その時は主人がいたので、元自衛官の彼の力によって捕まえることができたのですが……」
「前にもあったんすか? ゆんを狙った犯行が」
「いえ、その時に狙われていたのは主人でした。犯人は中年の男性で、主人の会社をリストラされた方でした」
「……自分の人生を壊した者への復讐、ってやつすか。じゃあ今回もそういうやつが犯人である可能性が高いんすね」
爺やは黙って頷く。
守哉は顎に手を当てて考える。それならば、相手は個人であると思える。こういう感情に任せた犯行は徒党を組むことがない傾向があって、しかも前回の犯人も一人だったというなら尚更だ。最初の銃撃も「早く殺したい」という冷静さの欠片もない感情的なものだと考えられる。
そしてターゲットをゆんにした理由だが、これは簡単である。神掛総一郎には敵わないからその大事な一人娘を殺してやろう、とか、娘を殺して精神的に追い詰めた後に殺してやろう、など、いずれも自己中心的な考えのものだろう。
そして、その八つ当たりに選ばれたのが神掛ゆんというわけか。
守哉の心の内に怒りがこみ上げる。ふざけるな。なんでこんな馬鹿みたいな事にあいつが犠牲にならなければならない。
「……そういえば、警察には通報したんすか?」
市民が銃を持った人間に命を狙われているのだ。警察が飛んでこないわけがない。
爺やは「ええ、もちろん」と答えた後、ですが、と続けた。
「前回もそうでしたが、彼らがここに到着するのには時間が掛かるのですよ。都心とも郊外ともいえない場所に位置していまして、一応、所轄は都心の方の警察署なので、交通的にも、到着に時間を要するのです。前回では通報から一時間弱掛かっての到着でした」
「なっ……!」
相手は感情に身を任せて犯行に走るタイプの人間だ。興奮状態にある犯人に、時間を掛けてじっくりと犯行を進める理性があるとは思えな
い。それでは全然間に合わない。
しかも、ゆんの父親によれば、もう屋敷内に進入している可能性だってあるのだ。銃だって持っている。それに対し、こちらにはそれを迎え撃つ術など何もない。
状況は絶望的。
爺やもそれが分かっているのか、どれだけ拭っても、冷や汗は彼の頬に流れ続けている。
と、ふいに爺やが守哉の方をがっしり掴んできた。
え? なに? ここで禁断の告白? と守哉の思考が動転する中、爺やは意を決したようにその言葉を告げた。
「私にとって自分より大事なお嬢様の命が狙われているのです! お嬢様を救えるのは、あなたの頭脳だけなのです! どうか!」
ええ――ッ!?
どうしてそうなる! と守哉は心でツッコミをいれる。が、よく考えれば、まさにここが自分の頭脳をフル活用する場面ではないか。そうか。
(……なるほどね)
そう考えが行き着くと、守哉は凶暴な笑みを作って爺やに言った。
「いいぜ。ゆんの親父より楽勝に捕まえてやる」




