27 開発者の悪ふざけ
「……ママ――」
「大丈夫。ここにいるから安心して寝ていーよ」
「……ん」
機内のフッカフカな椅子に腰かけたハクの膝の上で、遊び疲れたコウが小さな寝息を立てていた。安らかな寝顔に女性陣の視線が集まる。
柔らかそうな頬をつつけばくすぐったそうに反応し、優しく撫でれば心の底から安心したような笑みを浮かべる。純粋で母性をくすぐられるコウのそれらの反応にハクたちは声を殺して悶えていた。
静かに盛り上がる機内。その一方で前方にある操縦席の空いいた一席に腰かけたサクは、だらしなく口を開けて大きないびきをかきながら眠っていた。彼もコウと遊び、疲れ果てた末にそれなりに眺めのいいここにたどり着いてここで眠りについたのだ。
心地よいひと時を存分に味わっていたが、横から頬をつつかれたことで目を覚ます。気持ちよかった眠りを妨げられて若干不機嫌になりつつ横を見れば、聞き慣れない電子音声が耳に入ってくる。
「後方のハク様たちと同じことをしてみましたが、あれは幼さからくる可愛さあってのことですね。この私、サク様は全く持って可愛いと思うことは出来ませんでした」
「……そりゃどーも。よくできてるね、お前さん」
「もちろんです。私は高性能AI、『Mr.ファイアヘッド』。このバードンの操縦も可能な万能なのですから」
「たぶん分かってて命名したんだろうな」
「何です?」
「いや、こっちの話。聞き流してくれー」
「分かりました。聞き流しましょう。何せ私は高性の――」
「分かった。分かったからもうその流れもいい。この感じはオーガストの婆さんだけでお腹いっぱいだから」
「オーガスト様ですか。光栄ですね、偉大な魔術師様と同等に扱われるのは」
「……まあ、そう考えておいてくれ」
赤と白を基調とした人型マシーン『Mr.ファイアヘッド』と僅かにしゃべっただけなのに関わらず、凄まじい疲労感に襲われる。この手の存在とのやり取りはやりづらくてしょうがなかった。
それに、名前がいい意味での悪意に満ちている気がする。恐らく自分がいた以前いた世界の特撮が好きな開発者が面白がって命名したのだろう。今は道を塞がれ、繋がっていないのにも関わらず名付けたということはかなりのお気に入りのネタだと考えられる。
でもあれはアクシデントじゃなくてスタッフの仕込みだったらしいね。寝ぼけて心の中でそうつぶやくサクは再び眠気に襲われ始めた。雲を抜け、青々とした空が映し出されるフロントガラス越しの代わり映えのない光景もそれを助長していた。
ほぼ目が閉じかけている状態だったが、もうそれなりに時間が経ったはず。何とか意識を保ち、目的地であるスモークの首都までの所要時間を問いかけた。
「ファイアヘッド、あとどれぐらいでつく?」
「予定通り進行しているので、後20分といったところでしょう。安心してくださいサク様。その時になったら起こして差し上げますよ」
「おお、そりゃ助かる」
「もちろんです。だって私は高性能……、おやおや」
「……? どうしたっておおう?」
自慢の自己紹介が突然途切れたことを疑問に思ってサクがファイアヘッドの方を見ると、彼との間に小さな存在が立っていた。
同じように眠たそうなのだが、何とも言えない不満そうな表情。初めて見たその顔に悪いとは思いつつもサクは少し吹き出してしまった。そんなサクに向けコウは両手を伸ばす。
「ママたちがつんつんしてくる。パパと寝る」
「そうか。よいしょっと」
「ん。ありがとう」
「どういたしまして。おやすみ、コウ」
「おやすみ、パ……パ」
膝の上に乗せられたコウはそのままサクの体に寄り掛かって眠りにつく。ぽかぽかとしたコウの体温を感じ、落ちないように腕を回してあげながらサクも意識を失っていった。
そんな親子のやり取りと安らかな寝顔を見せつけられ、おしゃべりなファイアヘッドはそれ以降口を開くことはなかった。逆に自分たちの下から逃げ出したコウを追って来たハクたちを無言で注意するぐらい丁重に配慮していた。
父と子が一緒に寝る姿見てこれはこれでいいと思えたハクたちはしばらく眺めた後、下りるための準備のために中心部へと戻っていった。それを確認し、ファイアヘッドも着陸における必要事項を自らの内部で何度もおさらいしていく。
長くも短くも感じられた20分が過ぎ、予定通りスモークの首都が見えてきた。予め着陸のために人払いをしておいた広場に向け、バードンはゆっくりと上空を移動してそこへと近づいていく。
「ご搭乗、ありがとうございました。まもなく本機は目的地、スモークの首都、スモークに到着いたします。着陸の際に機体が揺れることがあります。着陸完了のアナウンスがあるまで席から立たぬよう、よろしくお願いします」
手早く機内放送を終えたファイアヘッドはバードンの操縦に全集中力を注ぐ。晴れていればよかったのだが、あいにくの大雨。打ち付ける雨によって視界は最悪で挙動も安定しない。そんな状況下であっても慌てることなく、外に合わせた飛行法で確実に着陸へと機体を導いていった。
少々ヒヤッとする場面もあったが、無事に着陸に成功した。結構揺れていたのにもかかわらず優雅に睡眠を続けるサクとコウに向け、ファイアヘッドは呼びかける。
「サク様、着きましたよ。スモークです」
「ん……、そっか。ご苦労さん、ゾふ……ファイアヘッド」
「今誰かと言い間違えませんでした?」
「気のせいだよ。うっし、起きろコウ。着いたぞー」
「ふあ……」
膝を動かしてコウを刺激すると、小さな手で目をこすりながら目を覚ました。隣でファイアヘッドが着陸完了のアナウンスを行う中、ぼやけているであろう視界で窓の外を見たコウは素直な感想を述べる。
「……びちゃびちゃで見えないね」
「だな。グリールは晴れてたけど、こっちは雨。濡れて風邪ひかないよう、気を付けなくちゃな」
「うん。気を付ける」
頷いたコウは膝から降りると、おぼつかない足取りでハクたちがいる中心部へと向かっていった。席を立ったサクはその場で固まった体を少しでも伸ばすために一度背伸びをした。
「ご苦労さんファイアヘッド。これからお前はどうするんだ?」
「サク様の帰りを各部の点検、確認を行いながら待つ予定です。いつでも飛ばせるようにしておきますから、安心していってらっしゃいませ」
「ありがとな。んじゃ、行ってきまーす」
礼を言いながら別れたサクは中心部へと向かう。たどり着けばすでに外へ出る準備を完了させたハクたちの姿があった。
傘などは使わず、いざというときにすぐさま行動に移せるレインコートを皆が着用している。もし降られた場合を想定して頼れるアイリスママが人数分を用意してくれていたのだ。もちろん、コウの分もきちんとあり、初めて着るそれにはしゃいでいた。
受け取った自らの分に袖を通し、用意が整ったことを前方に向けて伝えれば機内に陽気な声が響いた。
『それでは良い旅を。お帰りの際もインスタントが提供する本旅客機を是非、ご利用くださいませ』
すでに実用化を想定してのアナウンスなのだろうが、今のところこの一機しか出回っていないし、利用するとしてもこれしかないという突っ込みをサクは心に押しとどめた。
出入り口が開き、広場へと階段が下ろされる。吹き込んできた雨が機内の床を濡らしてしまうので、サクを先頭に足早に外へと出ていくのだった。
思っていた以上に強い雨が体に打ち付ける。滑らぬように慎重に降りていく中、サクの後方から楽しそうな声が聞こえてきた。
「雨! しゃーしゃーざーざー! 一杯!」
「そうだね。でもちょっと危ないから、しっかり私の手に掴まって」
「分かった!」
すっかり母としての言動が様になってきたハク。それを嬉しく思いながら下りていったサクは、ようやく地に足を付けることができた。
雨の影響で少し霞んでいるが広場からはレーナのいる『チップ城』が見える。カーボン城とほぼ同じぐらいにファンタジックな見た目だが、内部は最新の技術で一杯なところだ。訪ねる度に内部が進化していくので、サクにとって割とそこが楽しみでもあった。
しかしながらここまでくれば気を引き締めなければいけない。浮かれる気分を正そうとしていたところで、誘導灯を持った者たちの中から傘を差したスーツ姿の男性がこちらに向けて近づいてくるのが見えた。
整った黒の短髪と眼鏡が知的なイメージを連想させる。生真面目そうな男性は、サクでも分かる営業スマイルを浮かべながら話しかけてくるのだった。
「お待ちしておりました、サク様。私は『フィオニーレ・アンバサダ』。ニーアの秘書官を担当している者です。気軽に『フィレ』とお呼びください」