38 初めての大泣き
「あっ……、ああ――」
掠れた声を半開きの口から発しながら、サクは目を覚ました。じんわりと感覚が戻っていく体には毛布が掛けられており、ベッドで横向きに。自らの体はふかふかのベッドの上に横たわっており、毛布が掛けられている。それだけならただ寝ていただけといえる。でも、それだけではなかった。
「何で、覚えてるんだ」
つい先ほどまで見ていた夢をサクは鮮明に覚えていた。この前見た夢は覚えていなかったのにも関わらず。混乱するサクは、頬に湿った何かが当たっているのに気付いた。
「……びしょびしょじゃねえか」
枕がぐしょぐしょに濡れていた。恐らく、自らが流した涙が原因なのだろう。絞ればしみ込んだ涙が流れ落ちそうなほどにまで重くなっている枕から頭を上げ、そのまま上半身を起こした。
閉められたカーテンの隙間からは朝日の輝きが入り込み、薄っすらと部屋の中を照らしている。爽やかなそれを避けるようにして洗面所へと向かう。
昨夜移動しておいた椅子の上に乗り、自分の顔を確かめる。腫れている目が、多くの涙を流したのを物語っていた。これまでの人生でここまで泣いたことのなかったサクは、その状態に戸惑う。
涙の跡は顔を洗うことで少しだけ消すことができた。それでも、顔から完全に違和感が消えることはなかった。そんな自分の顔を見ていると、先ほどまで見ていた夢が脳裏に浮かぶ。
「……気分転換しにいくか」
そう決めたサクは、手早く着替える。ニーアはまだ寝ていることを確認した後、静かに部屋を出て鍵を閉めた。
柔らかな光が差し込む温かな廊下を進んでいき、上に行くために切り株を呼んだ。今は何となく、上に行ってみたい気分だった。
まもなく現れた切り株に乗り込み、最も上に行きたいことを心を通して伝える。すると切り株は動き出し、いつもと変わらぬゆったりとした速度で上昇を開始した。
早朝の街の様子を見下ろしながら、サクは切り株が目的地へと到着するのを静かに待った。その間も気が緩めばあの情景が浮かびそうになるので、ひたすらハクのことを考えることにしたサクは、ハクとの初夜のことを思い出す。
サクの上で乱れるハク。覆いかぶさって動くハク。サクの名を荒い息で連呼するハク。いかん、これは別の方向で間違っていた。朝からムスコが元気溌剌状態になってしまう。
猫背で内股という奇妙な体勢を維持したままのサクは、切り株が到着した最上部分に降り立った。そこは、大木の生い茂る葉のすぐ下の部分に作られたバルコニーのようなところだった。
誰もいない静かな場所でサクは木製の手すりにつかまり、そこから見える景色を眺める。木々から溢れる光と、隙間から入り込む朝日が優しく街を照らしあげていた。美しい風景にサクが見惚れていると、背後で切り株が上昇してきたのを感じ取った。
一人でゆっくりしたかったサクは、残念そうにため息をついた。もう少しだけでも、心の整理がしたかったが仕方ない。サクは部屋に戻るために手すりから離れ、切り株の方へと振り向いた。
その後は何が起きたか分からなかった。気づいたときにはサクは理想郷に包まれている。柔らかいそれに驚いていると、フワフワとした声が聞こえてきた。
「おはようございます~、サク~」
カーラだった。抱き寄せたサクをその豊満な胸で包み込んでいる。もしかしてまた始まるのかと思ったサクの全身から嫌な汗が出始める。
怯えたその様子を見たカーラは、より一層サクを強く抱きしめる。その行為からは、邪な思いを感じ取ることができない。サクが不思議に思っていると、カーラが口を開いた。
「約束通り、抱きしめに来ました~」
「お見通しってか」
「はい~。夜中に隣の部屋からサクの泣き声が聞こえたので~」
「……しばらく続けてもらっていいか?」
「喜んで~」
絶対的な安心感。サクはその中で目をつぶった。カーラの甘い香りと温かな体を感じていると、自然と涙が出てきてしまう。
そんなサクの頭をカーラは優しく撫でてくれる。自分でも情けないと思うが、今はカーラに甘えたかった。
「なあ、カーラ。俺、夢で見たことがはっきり覚えてるんだ。それも、俺の家族の夢」
「あら~。そうだったんですか~」
「でも、良い夢とは言えないものだったんだけどな」
優しく抱かれながら、サクは夢で起きた出来事を話した。それをカーラは頷きながら聞いてくれた。
全てを話し終えたところで、自らがそこから予想してみたことを口にしてみる。
「それで起きてから思ったんだ。もしかしたら、あれは夢じゃなくて、向こうの世界で起きてる事実なんじゃないかって」
「その可能性も捨てきれませんね~。ちなみに、サクはその夢を見て、他にどんなことを思いましたか~?」
「どんなこと……か。話してみたいとか、無事を伝えたいとかかな」
「そうですか~。そうですよね~。ちなみに私なら、家族が楽しく過ごしてるのを見て安心したと思います~」
カーラの言ったことに、サクは口が空いたままで止まる。そういった考え方は自分ではたどり着くことができなかった。
父さんや母さんは、もう一人の俺と平穏に暮らしている。その事実を知ることができただけでも良かった。2人は悲しんでなんかいない。俺は、實本冴久は死んでいない。
そう考えたサクだったが、涙が止まることはなかった。あんなに流したのにも関わらず、一体どこから出てくるのか自分でも不思議に思うほどに。
ハクやカーラにアイリス。大切な人たちがそばにいてくれるのも間違いなく嬉しいが、それと同じくらい元の世界の家族は大切な存在だ。簡単に割り切ることなんてできない。
複雑に絡み合う感情は、サクを涙させた。胸の中で震えるサクをカーラは強く抱きしめる。
「一杯悩んでください~。私が、私たちがそれを受け止めますから~」
「……ありがとう、本当に、ありがとう」
感謝の言葉しかサクの口からは出てこなかった。もしカーラが来てくれなかったら、自分の中で塞ぎこんで自滅してしまったかもしれない。
この異世界を進んでいく。悩むことがあっても仕方がない。力を持っていても、自分はまだまだ未熟な存在なのだから。
木々の隙間からの光が2人を照らす。温かな光の下、カーラの胸元がぐしゃぐしゃになるまで、サクはひたすらに泣き続けた。
※
「ぬわぁ!? 乱暴に扱いやがって! 覚えとけよ!!」
牢屋の中に放り込まれたバンドゥーモが騎士を睨み付けながら大声で叫んだ。やかましいその声に騎士たちは嫌そうに耳を塞ぎながら立ち去っていった。
順風満帆に進んでいた計画が全て水の泡と化した。世界中から集めた金でウハウハな生活を送る予定だったのに。しかも、最高傑作をあんなにも簡単に撃破されてしまった。
怒りの収まらないバンドゥーモは硬い床を殴りつける。他の牢獄にもその衝撃が伝わり、囚人たちを恐怖させる。
「おいおい。随分と血の気の多いのが来たな」
「ああ? 何だお前は」
ちょうどバンドゥーモの向かい側の牢屋から、誰かが話しかけてきた。暗くてよく見えないが、壁の方に寄り掛かっている男らしき存在が確認できた。
気味の悪い雰囲気の男は、牢屋の鉄格子のところまでやってきた。
「なああんた。俺と一緒に派手にやらないか?」
「何を言ってるんだ。ここに閉じ込められちゃ何も――」
「出られればいいんだな」
男はそういうとどこからともなくナイフを形成し、自らの手錠を切り裂いた。そして、同様に鉄格子を易々と切り裂いて難なく外へと這い出た。
身の危険を感じ取ったバンドゥーモは牢屋の奥へと退避しようとした。だが、男が近づくにつれて何故かその気持ちが薄れ始める。
こいつといけば何もかもが上手くいく。自らをこんな目に遭わせたあの竜と小僧の息の根も止めることができるはず。バンドゥーモの中に、根拠のない自信が満ち溢れる。
その瞳から活力を感じ取った男は、手を差し伸べた。それに応え、バンドゥーモはその手を握る。
「俺の名は金本卓。よろしくな」
「俺様は稀代の天才、バンドゥーモ・レカー。よろしく、相棒」
固い握手を交わす2人。その手を通して、バンドゥーモの体に赤い輝きが乗り移っていく。この場において、その輝きが見えているのは卓だけだった。
笑みを浮かべる卓の背後には、形を持ったオーラが無数の悲しみに暮れる顔を生み出していた。




