37 そうしたい
「食った~」
「満腹よ~。これで一週間分の栄養は取れた気がする~」
部屋に運ばれてきた料理を完食した2人は、それぞれのベッドの上に横たわる。どうやらニーアに関しての事情が伝わっていたようで、料理の量が多くなっていたことも、2人を満腹へと導いたようだった。
サクはいつもの倍近い量を食べたために体が重く感じられた。向かいのベッドの上では、満足そうに表情を緩ませたニーアが天井を見あげていた。
その様子を見てサクは安心しつつも、部屋においてあった鐘を鳴らした。やってきた従業員は、だらしなく寝そべる2人を見て口元に笑みを浮かべていた。
食器やテーブルの上を手早く片付けると、従業員は一礼して部屋から去って行った。静かになった部屋の中。寝るにはまだ早いのでサクがどうしようかと思いを巡らせる。
「……サク」
「ん? どうしたニーア……って、もう寝ちゃったか。そりゃ色々あって疲れてただろうからな」
仰向けでニーアは眠っていた。安らかなその寝顔は、安心しきっているからこそ浮かべられるものだった。
寝言に返答してしまったことに心の中で詫びながら、サクは風を引かないように毛布を掛けてあげた。温かなそれに包まれたニーアは笑みを浮かべながら寝言をつぶやく。
「……いいじゃないのニーア。たまには……、あたしの儘聞いてくれたって……」
「……自分が姉になった夢見てるっぽいな」
その睡眠を邪魔しようとは思えないサクは、忍び足で脱衣所に併設されている洗面所へと向かった。
鏡を見ながら歯を磨きたいのだが、身長が足りない。一度引き返したサクは、物音を立てないように部屋から椅子を運び込み、その上に立って歯磨きを開始する。
今日もまた色々なことがあった。小さくなったり、カーラに襲われたり、人生初の誘拐にあったり、戦ったり。それらを思い返し、ニーアと出会った以外にはろくな目に遭っていないことが分かったサクは、奥歯を磨きながら苦笑いした。
まあ、大変なこともあってこその人生なのかもしれない。これまで冴えない生活を送ってきたので、新しいことに慣れるのに時間がかかるのはしょうがない。それに、苦だけじゃないのだから。
そう考えながらサクは口を何度かゆすぎ、吐き出す。終わった歯ブラシをコップに立てかけたところで、何かを忘れているような気がしたサク。それなりに重要なことであったはずのことを思い出そうと、コップを凝視する。
洗面所で渋い顔をしていると、部屋の扉が開いた音がした。従業員は来ないはずだが、一体だれが。そう考えたサクの脳内に某アニメのような電流が迸った。
「……勘付かれたか?」
食後の後にすぐ歯磨き。ついこの間、この行為によって気持ちよくも、疲れ果てた記憶が呼び起された。今の疲れた体でそれは勘弁してほしいと願うサクは、椅子から降りると恐る恐る脱衣所の扉を開いた。
「ほふっ!?」
突然抱き上げられたサク。体の前面が柔らかな感触に包まれる。理想に近い大きさのそれにサクが真っ赤になっていると、抱きしめた主が話しかけてくる。
「こんばんは、サク」
「おお、ハクか。ど、どうしてこっちの部屋に?」
「サクが歯を磨いてるの感じたから来てみた。安心して。疲れてるだろうから、今夜はしたいとは思わないよ」
「……ありがたい。でも、これはどういった状況?」
したいという意思がないのは分かった。しかしながらハクはサクを放そうとはしない。すでにサクの股間は甘硬くなり始めていた。
そのままサクを抱きかかえたまま、ハクは壁に寄り掛かった。そして、痛みを感じない程度にサクに回した腕の力を強めていく。
とりあえずはされるがままに抱かれることにしたサク。しばらく精神を集中していくと、興奮が収まってきた。元気になり始めたムスコも小さくなっていく。
サクを感じ取るように、ハクは優しく抱きしめてくれている。それに応えようとサクもハクの首に手を回してみた。それに対し、ハクは嬉しそうに微笑んだ。
それからも抱擁は続いた。どれほど時間が経ったか分からないほど長く。それでも、ずっとこうしていたいともサクは思い始めていた。
お互いの揺るぐことのない愛を確かめ合う中で、ハクが口を開いた。
「私、すごく悔しかったの。油断したとはいえ、あのデカいのに投げ飛ばされたこと」
「あれか。確かに俺もびっくりしたよ」
「だからね、もっと強くなりたいと思った。大切で大好きなサクを守るために。こうして繋がりを深めればもっと力が増すはずなんだ」
「そうか。なら時間の許す限りこうしていよう。ハクがそうしたいなら、拒む理由はないしな」
「ありがとう。……大好きだよ、サク」
「俺も、大好きだ。これからも、ずっと、よろしくな」
「……うん!」
嬉しそうに答えるハク。サクもその声と思いに、心の底から喜んでいた。
絶対的な安心感がサクの心の中を満たしていくと、今になってやってきた疲労の波が精神を襲った。車の中でも寝たが、それだけでは足りなかったようだ。
首に回していた手の力が弱くなっていき、やがてその手はハクの首元に下された。温かく、柔らかな感触に体の全体重を倒してしまう。申し訳ないという声も出せずにサクの意識が薄れていく中で、ハクがやさしくつぶやいた。
「おやすみ、サク」
※
「……またか。でも目が覚めたら忘れてるんだろうな」
覚醒したサクが真っ白な空間に立っていた。その体は少年ではなく、いつもの冴えない顔のそれに戻っている。
さて、今回はどんな摩訶不思議な出来事が待ち構えているのか。できればズッキーは登場してほしくないと切に願う。
身構えるサク。すると、景色が変貌していく。ぐちゃぐちゃになったそれは、やがて色がつくとともに見慣れた光景を生み出した。
「……んん? ここは、自宅?」
見慣れ過ぎて目をつぶってでも移動できる光景が目の前に広がっている。サクが立っていたのは、自宅の玄関だった。
雑に脱ぎ捨てられた母さん専用の赤いサンダル。その横には父さんの革靴。そしてサクの履いていた高校指定の革靴。何もかもが変わっていない。
変わっていないのであれば、それがあるはず。サクは玄関の下駄箱の上に置いてるはずのデジタル時計をみた。日付や時刻以外にも、気温や湿度が分かる優れものだ。
「……え」
サクの口から漏れたのは驚きの声。その時計に表示されていた日付に、唖然とするしかなかった。
『2006年08月20日』
あり得ないはずの日付。そう、あり得ないのだ。何故こんな日付が表示されているのかサクは理解できない。
「俺が事故に遭った日は、4月20日……。何でだ。俺って死んだはずじゃ――」
「たっだいまー」
「!!」
背後からの声にサクは飛び跳ねながら驚き、振り返る。聞き慣れた声、いや、他から聞こえるないはずの声。その声は、サクのものだった。
眼前にまで迫ったもう一人の自分は、サクの体をすり抜けて家の中へと入っていった。リビングの扉を開け、奥にある台所の方まで歩いていくその様子から考えて、どうやらサクのことは見えていないようだった。
「母さんもやしー」
「母さんはもやしじゃないわ」
「ごめん、ジャガイモだっけ?」
「完熟してるからマンゴーだって前に言っただしょ」
「へいへい。そんじゃ、頼まれてたもんここに置いとくぞー」
「はーい」
くだらない親子の会話が聞こえてくる。変わることなく元気そうなその声を聞いて、サクは安心していた。
もう一人の自分と両親がいるであろうリビングにサクは向かった。たどり着いたそこで、暑さをしのぐためつけられた冷房の設定温度を見てサクは笑った。
「……つけたの父さんだな。下げすぎだろ」
エコとかそういったことをガン無視している。18度に設定されているので、サクは感じないが部屋はキンキンに冷えているはずだ。毎回食事の手前で母さんが設定し直すのが夏の定番の光景となっていた。
台所とは反対の方向にあるリビングでは、父ともう一人の自分の姿があった。ソファーに座った彼らは、母に聞かれないように最小限の声で話していた。
気になって近づいたサクだったが、すぐに事情を察することができた。そういえば、今日は20日だったの思い出す。
「父さん、最新号、どう思う?」
「ほう。今回は新人が表紙か。いいおっぱいを持ってるな」
「流石だよな」
「流石だな」
そういって2人は静かに握手を交わすと、鼻の下を伸ばして雑誌の表紙を眺めている。雑誌の名は『月刊巨乳エクスタシー』。毎月20日に発売される、サクと父の必需品だ。
ちなみに流石といっている相手は、この雑誌の編集者に対してだ。毎回サクと父の好みを射抜くその内容の数々にお世話になっているため、心の底から尊敬していた。
中学から続くその協力関係がまだ続いていることに、サクは苦笑いした。他人の視点から見れば、父子が血眼になって雑誌をみている光景は異様としか言いようがない。
「冴久、父さん、運ぶの手伝って!」
「「は~い」」
母に呼ばれた2人は同時に返事をすると、雑誌を慣れたてつきでソファーの下に隠した。その下には、サクと父が秘密裏に雑誌を隠すための細工が施されているのだ。もちろん、母はそんなこと知らない。
台所へと向かった2人は、指示に従ってテーブルへと料理を運んでいく。いつもの日常だった。でも、そこにいるのはサクじゃない。冴久だ。
あわよくば自分もその中に混じりたい。一緒に食事をしたい。サクがそう願うのと、まるでそれを許さないかのように目の前の光景が離れていく。
「おいおい、嘘だろ」
サクが歩き出した。それでも、そのリビングでの和やかな光景が遠ざかっていく。気づけばサクは全力疾走していた。
あそこにいたい。話をしたい。少しの間だけでも構わない。懇願するサクを嘲笑うかのように、サクがいるべきだった場所は小さくなっていった。
吸血鬼状態にもなれず、体力の限界が近いサクは徐々に速度が落ちてきてしまう。手の平ほどの大きさになってしまった光景に対して、サクはすがるような声で叫んだ。
「夢ならいいじゃねえか!!」
点になった光景に、必死に手を伸ばした。それをつかみ取るように開いた手を閉じる。その後、周囲は真っ暗になった。
何もない殺風景の空間の中で、サクは握った手をはなした。分かり切ってはいたが、そこには何もなかった。
無意識のうちに流していた涙が空間に落ち、消滅していく。せめて夢であっても、一緒にいたかった。話をしたかった。自分は元気にしていると伝えたかった。
揺れ動く心に耐えきれず、サクは膝をついた。溢れる感情を抑えきれることができず、たった一人しかいない孤独な空間の中で、サクは咽び泣いた。
その声は、涙は、誰に届くこともない。それが分かっていても、そうしたかった。そうすることでしか自分を慰められないと思った。
嗚咽が響き渡る。殺風景な空間に取り残されたサクは、ひたすらに泣き続けていた。




