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暁のカトレア  作者: 四季
6.帰還

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episode.86 その腕の話

 トリスタンは白銀の剣を下ろし、ゼーレの喉元から剣先を離す。

 そして、怪訝な顔で尋ねる。


「どうしても護れない状況だったってこと?」


 ゼーレはわざとらしく、片手で、喉元をパッパッと払う。まるで、不潔な者に触られたかのように。


「そういうことです。私にでも、できることとできないことがありますからねぇ」


 あの時ゼーレがクロと交戦できなかったのは、ボスにやられた傷があったせいだ。だから仕方なかったのである。


「さすがにこの状態では……他人を護る余裕はありませんでした」


 だがトリスタンは納得しない。


「護れないと判断したなら、せめて、その場から逃がすくらいすべきだったんじゃないのかな」

「当然逃がそうとはしました。しかし、カトレアが拒否したのです」


 ゼーレを乗せている蜘蛛型化け物は、脚をさりげなく動かし、軽く足踏みしている。地味な動きが微妙に愛らしい。


「そうでしょう? カトレア」


 なっ……!

 私に話を振ってくるとは。


 しかし私は、心を落ち着けて、冷静に返す。


「そういえば、そうだったわね。あの時は勝手言っちゃって、ごめんなさい」

「いえ。謝ることはありません」


 ゼーレは視線を再びトリスタンへと戻した。


「そういうことです。納得していただけましたかねぇ」


 トリスタンは眉間にしわを寄せたまま言葉を返す。


「……分かった」


 ようやく、トリスタンの攻撃的な態度が緩んだ。刃のように鋭かった目つきは、ほんの少しだけ軟化している。


「まぁ、過ぎたことを責めても仕方ないからね。今回だけは許してあげることにするよ」


 ゼーレに対してだけは妙に上から目線なトリスタンである。


「その代わりと言っては何だけど、気になっていたことを聞かせてもらってもいいかな」


 気になっていたことってなんだろう? 私はそんなことを思いながら、トリスタンとゼーレの話の行く末を見守り続けた。

 今ばかりはフランシスカも、私と同じように、黙って二人を見守っている。


「……何です?」


 軽く首を傾げるゼーレ。

 それに対してトリスタンは、真剣な顔つきで、ゆっくりと唇を動かす。


「その腕のことなんだけど」

「腕?」

「君の腕、明らかに人間のものじゃないよね。それは何?」


 意外なところを突っ込んだトリスタンに、私は衝撃を受けた。


 てっきり、また、恋愛感情だとか違うだとかについて質問するのだろうと、想像していたからである。

 腕の話が来るとは、夢にも思わなかった。


「それは何、とは……どういう意味です?」


 ゼーレは困惑の色を浮かべている。トリスタンが言った質問の意味が、いまいちよく分からなかったようだ。


「どうしてそんな腕なのか、少し気になってね。教えてくれるかな」


 トリスタンは躊躇いなく切り込んでいく。

 日頃は優しい彼が、意外にも複雑なところについて尋ねたものだから、聞いていて不思議な気分になった。私に接する時の柔和な雰囲気とは真逆で、興味深い。

 ただ、ゼーレが不快感を抱いていないか、若干心配だったりはする。



 それから少しして、ゼーレは答える。


「……分かりました」


 ゼーレにしては珍しく、すんなりと言った。

 彼のことだから、色々と嫌み混じりの言葉を吐くものと思っていたのだが、そんなことはなかった。私の脳は、少し、ゼーレと嫌みを関連づけすぎているのかもしれない。


 ちなみに、今のところゼーレは、不快の色を浮かべてはいない。


「初めてボスに会ったのは……確か、二、三十年ほど前でしたかねぇ」


 二、三十年も前——それは、私が生まれる前。

 レヴィアス帝国に化け物が現れるようになったのよりも、ずっと昔である。


 話し出したゼーレの言葉を、トリスタンは真面目な顔つきで、黙って聞いている。余計なことを言わない方がいいな、と判断し、私も静かに聞いておくことにした。


「ある夜、私がいた島は襲撃に遭い、あっという間に陥落した……そんな感じだったはずです。もちろん、今やその頃の記憶は、あまりありませんがねぇ」


 ——同じだ。

 私の村が一夜にして壊滅したのと。


「島を護ろうと抵抗した大人たちはボスの手にかかり死に、戦いに参加しなかった幼い子どもはその身柄を拘束されたのです」


 話を聞くトリスタンの顔がほんの少し険しくなる。


「私もその中にいました。子どもたちを拘束したことをボスは、『来るべき日のための準備』と言っていた……もっとも、その意味など知る由もありませんでしたがねぇ」


 それはそうだろう。


 突然現れた謎の敵に身柄を拘束されて、『来るべき日のための準備』なんて言われても、誰だって困惑する外ない。もし仮に、その子どもの中に私がいたとしても、「何の話?そんなのいいから、早く解放してよ」程度のことしか思わなかったはずだ。


 純粋な子どもには、大人の考えはそこまで分からないものだ。

 特に、穢れた大人の思惑などは、読み取れるはずがない。


「それから十年ほどは、『来るべき日のため』とだけしか聞かされないまま、訓練を受けていましたねぇ。その中でぽんぽん死んでいったのは……懐かしい思い出です」


 ぽんぽんって……。


 表現はユニークで面白いが、内容は微塵も笑えない。


 いくら子どもだとはいえ、そんな簡単に死ぬような訓練、もはや訓練の域ではないではないか。内容の詳細までは知らないが、子どもに対してそんなに厳しい訓練を受けさせるなど、あまりに残酷だ。


「訓練で脱落する者もいれば、化け物研究のために実験体となり果てる者もいましたが……私は運が良かったので最後まで生き残ることができました。かくして、私はボス直属の部下となる権限を得たわけです」

「それで、腕は?」

「腕がこんなことになったのは、その後です。偶然ボスの意図を聞いてしまった私は、逃亡を試み、しかし結局捕まりました。そして、逃亡しようとした罪とのことで、気づけば両腕をちょっきりいかれてしまっていたのです」


 ちょっきり、とは、これまた独特な言葉選びだ。言葉自体は軽い響きだが、意味を考えると何とも言えない心境になる。


「意識が戻った時には、既にこの腕になっていましたねぇ」


 ゼーレはそこまで話すと、自嘲気味に笑うのだった。

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