episode.82 襲撃などに屈しはしない
あの夜、私からすべてを奪った張本人の、ゼーレ。彼とこうして肩を並べる日が来るなど、誰が想像しただろうか。いや、誰一人として想像しなかったに違いない。
実際、私だって、そんな可能性を考えてみたことはなかった。
しかし、今、私とゼーレは共にある。敵同士としてではなく、共通の敵を倒さんとする仲間として。
ただ意外にも、私の胸中は、ダリアの空のようにすっきりと晴れ渡っている。ゼーレを訝しむ感情など、欠片もありはしない。こうして共にあれることが嬉しいくらいだ。
「私の蜘蛛に動きを止めさせます。貴女はそこへ、可能な限り攻撃を叩き込んで下さい」
「分かったわ。任せて」
クロはかなり強い。
人間を遥かに超越したスピード、異常な長さを誇る爪の攻撃力。それらが上手く組み合わさり、見事な戦闘力を生み出している。
だが、あくまでそれは、一対一の時にこそ大きな力となるのだ。
スピードも爪も、多数の敵を相手にするのに向いているとは、あまり言えない。
もちろん、素人が相手ならば余裕だろう。しかし、ある程度戦える者たちに一斉にかかってこられた時にどうかと言えば、話は変わってくる。
「拘束しなさい」
ゼーレが冷たい声で命令すると、既にクロの相手をしていた蜘蛛型化け物たちの動き方が急変した。
このような光景を見ると、まるでゼーレが大軍の将であるかのように思えてきて、何だか面白い。
「うわ、うわわっ。気持ち悪ーい」
大量の蜘蛛型化け物に絡まれたクロは、不快感を露骨に表しつつ言っている。
それはそうだろう。
こんな大量の蜘蛛に張り付かれるなんて、私だったら発狂していたに違いない。
「カトレア、もう少しです」
「分かったわ。よくなったら言ってちょうだい」
「そちらこそ……準備しておいて下さいねぇ」
黒い蜘蛛たちがわさわさと動き、クロの全身を包んでいく。
今は味方だと思っているから耐えられている。だが、もしいきなりこの光景を見せられたとしたら、悲鳴をあげて逃げ出していたことだろう。それほどに凄まじい光景である。
「うわっ。や、やめっ、うわぁ」
クロは四肢をじたばたさせて抵抗しようとする。けれど、ゼーレの兵たちの前では、そんなものは無力だ。手足を動かすくらいの力では、蜘蛛型化け物の群れからは逃れられない。
やがて、ゼーレが口を開く。
「……もうそろそろ良いでしょう」
翡翠色の瞳は、私を確かに捉えていた。
「では頼みますよ」
「えぇ」
頷き、右手首の腕時計へ意識を集中させる。
先ほどの光線は、至近距離から食らわせたにもかかわらず、致命傷を与えるというところまでいかなかった。それゆえ、今度は先ほどよりも威力を上げなくてはならない。だが、威力を操作するなどできるのかどうか……。
そんな風に考え込んでいた私に、ゼーレが声をかけてくる。
「力むのは不格好ですねぇ。普段通りで問題ありませんから、もっと気楽にいきなさい」
光線を発射する直前、彼の言葉が耳に入った。
その優しい言葉は、私の強張っていた心を、一瞬にしてほぐしてくれる。まるで、冬の氷を解かす春の陽のように。
「……そうね。そうよね!」
ゼーレへ返事をするのとほぼ同時に、腕時計から赤い光線が放たれた。目標であるクロに向け、光線は一直線に宙を駆ける。
——どうか、これで終わりますように。
私はただ、それだけを願った。
これ以上戦いが続くのはもう嫌だ。身体的なこともそうだが、精神的にも厳しい。早く平穏を取り戻したい。
赤い光線は、蜘蛛型化け物に取り押さえられているクロに突き刺さり、そして彼の身を貫く。これまでにないほどの力強さで。
起こる爆発。
煙が立ち込める。
それから数秒が経過し、その煙が晴れると、力なく倒れるクロの体が視認できた。
「今度こそ……やった?」
白い髪は埃にまみれたように灰色に染まっている。
ネコ耳も動いてはいない。
先ほどもしばらくしてから動き出したため、油断は禁物だが、どうも動きそうな気配はない。
「ほう……なかなか凄まじい威力が出ましたねぇ……」
すぐ隣にしゃがみ込んでいたゼーレが、心なしか動揺したような声で言った。続けて、負傷している体を重そうに持ち上げる。そして、クロの方へ歩み寄っていく。私はそんなゼーレを追って歩いた。
「そんな普通に近寄って大丈夫なの?」
「まぁ、あれだけの威力の光線ですからねぇ……問題ないかと」
倒れているクロに接近すると、ゼーレはその場へ腰を下ろす。そして、その機械の腕でクロの体に触れた。
すると驚いたことに、クロの体が、すうっと霧状に散る。
「……今度こそ、終わりましたか」
クロの体は塵となり消えた。
それは、化け物を倒した時とよく似た消滅の仕方であった。
「倒したのね」
「そのようですねぇ……」
ゼーレの言葉を聞いた途端、この胸に、嬉しさが溢れてくる。倒した、やってのけた、という達成感が大きい。
もちろん傷は痛かったが、それはさほど気にならなかった。
「やったわね! ゼーレ!」
私は夜に相応しくない大きな声を出してしまい、数秒後、慌てて口を塞ぐ。こんな大声を出しては怒られてしまう、と思ったからだ。
「あ……いきなり大声出してごめんなさい」
一応謝っておく。
するとゼーレは、一度呆れたように溜め息を漏らした後、私から視線を逸らして述べる。
「ま、よく頑張ったと思いますよ」
その後、アニタが部屋に訪ねてきた。
赤く濡れた室内や、出血によって血まみれになってしまっている私を見て、彼女はかなり驚いていた。それはもう、失神しそうなほどに。
アニタは私の腕や脇腹の傷の手当てをしっかり行ってくれた。
だが、やはりそれだけでは終わらず、説教もがっつりついてくるという悲劇。頑張って戦ったにもかかわらず叱られるのだから、何とも複雑な心境だ。
彼女の中の私は、きっと今でも、昔の私のままなのだと思う。
それから数時間。朝が来てから、私とゼーレは、グレイブらに、昨夜襲撃があったことを伝えた。狙いがゼーレであったことも含めて。




