episode.83 暫し、別れ
「基地へ帰還!?」
突如グレイブから告げられた言葉に、私は、暫し脳が思考停止してしまった。
今朝のミーティングによれば、シブキガニ退治は、かなり進んではいるものの、完全に終わってはいないということだった。にもかかわらず基地へ戻らなくてはならないなんて、私にはどうしても理解ができない。
「そうだ。その怪我ではまともに動けまい」
「ですがグレイブさん。まだ終わっていないのでは……」
「もちろんだ。私たちはもうしばらくここへ残る」
淡々と話すグレイブ。
その漆黒の瞳は、夜の湖畔のように静かな雰囲気を醸し出している。
「だがマレイ。お前はその怪我だ、それではまともに戦えまい」
彼女の視線は私の左腕に注がれていた。
確かに、彼女の発言もあながち間違ってはいないのかもしれない。
だが、手当てはちゃんと行っているし、痛みも既に落ち着きつつある。動かすと痛むことは痛むが、戦えないほどの激痛ではない。それに、怪我したのは、幸い、利き手の右手ではなかった。
それゆえ、まだ戦えると思うのだが。
「私、まだ戦えると思います」
一応言ってみる。だがグレイブは首を左右に振るだけ。
「戦えなくなるまで、無理をして戦い続けることはない」
「ですが……」
私が言葉を返そうとすると、グレイブはそこへ重ねてくる。
「心配するな。もちろん、一人で帰れとは言わない。ゼーレも帰らせる」
「二人で帰るということですか?」
「そうだ。二人とも負傷組だからな、先に退いておいてくれ」
なぜだろうか。
形容し難いもやもや感が、胸の奥に広がる。
そういうことではない、と分かってはいるのだが、「もう必要でない」と言われているかのような感覚だ。仲間外れにされてしまったような気がして、正直、少し辛い。
そんなことを思い俯いていると、グレイブは、軽く首を傾げながら尋ねてくる。
「どうした、マレイ」
紅の唇から出る声は、芯はありつつも優しげな、温かみのあるものだった。そこから、負の感情が伝わってくるといったことは、少しもない。にもかかわらず憂鬱になるのは、多分、私の考えすぎなのだろう。
「何だか暗い顔をしているな。怪我のせいか?」
グレイブの発想はややずれていた。
強い心を持った彼女には、きっと、私の心など分かりはしないのだろうな。そんな風に思うと、どこか寂しくも感じられた。
私だって、私が面倒臭い人間だということは、嫌というくらい分かっている。それなのに理解してほしいと思うのは、贅沢だろうか。
……いや、考えるのはもう止めよう。
こんな答えの出ないことを考え続けている場合ではない。いくら頑張っても答えが出ないことを考え、それによって憂鬱になるなんて、損としか言い様がないではないか。この考え事は、もう止めにしよう。
それより、もっと意味のあることを考える方が、ずっと有意義だ。
「いえ。何でもありません」
だから私は、グレイブの顔を見つめて、あっさりと返した。
「では荷物をまとめてきますね。ゼーレにも伝えておきます」
「そうか。それは助かる。ではよろしく頼む」
こう言うだけで良かったのだ。
たったこれだけで話がスムーズに進むのなら、もっと早くこう言っておけば良かった——そんなことを思ったりした。
話が終わり、私が席から立とうとした瞬間、グレイブは述べる。
「それと、帰還にはフランも同行する。怪我人二人では心もとないだろうからな」
ということは、私とゼーレとフランシスカの三人で、帝都の基地まで帰るということか。
ゼーレとフランシスカは、また喧嘩しそうだ。
だが、たまには騒々しいのも良いかもしれない。今はなぜか、そんな風に思う。
グレイブとの話を終えてから、ゼーレがいるはずの部屋へ行き、基地へ帰還しなくてはならなくなったことを伝えた。それに対して彼は、「そんなことだろうと思いました」と、嫌み混じりに呟くだけだった。
その後、私は荷物を置いている自分の客室へと戻り、トランクにすべての持ち物をしまった。こんなことになってしまったがために、結局使わずじまいの物もたくさんだ。念のため、と持ってきた物の多くは、ただ持ってきただけになってしまい、非常に残念である。
ゼーレは動くのがしんどいらしく、蜘蛛型化け物の上に乗って移動していた。彼の場合は、昨夜のクロの襲撃だけではなくボスにやられた傷もあるため、仕方ない。
私とゼーレは、基地へ戻る準備が済んでから、フランシスカと合流。
アニタにお礼を述べて、宿を後にした。帝都行き列車に乗るべく、乗り場へと向かったのである。
「マレイちゃん、怪我は大丈夫なのっ?」
列車へ乗り込み、席につくなり、フランシスカが話しかけてきた。
「えぇ。このくらいなら」
「へーっ! マレイちゃんも強くなってきたねっ」
私とフランシスカ、そしてゼーレ。三人は、二人席が向かい合う形にセットされた、四人用の席に腰かけている。通路側の列に私とフランシスカが向かい合わせ、ゼーレは私の隣の窓側。そういった位置である。
「それにしても、ゼーレ狙いの襲撃だったんだっけ? 巻き込まれて災難だったね」
「えぇ。本当に驚いたわ。でも、ゼーレが一人の時じゃなくて良かった」
するとフランシスカは、目をぱちぱちさせる。
「え? そうなの?」
「そうよ」
「でもでも、ゼーレがいなかったら襲われずに済んだんじゃないのっ?」
「それはそうだけど……。でも、一番怖いのは、ゼーレが一人の時に狙われるパターンよ」
私とフランシスカが話している間、ゼーレはというと、やはり窓の外を眺めていた。金属製の指に乗った一匹の小さな蜘蛛型化け物も、脚をちょこちょこ動かしながら、窓の方を向いている。小さな蜘蛛と一緒に外を眺めるなんて、少し可愛らしい。
そんなこんなで、私たち三人のダリアから帝都へ帰る列車の旅は、まったりと続くのであった。




