第二章2 なくしもの
──見つからない。
思い出せない。
それも大事だったあの××が。
ある時は××を手放すことなんてできなかった。
あれがなければ、あいつともあんなふうに仲良くなったり、あんな笑顔を浮かべることだってなかったのに。
これを大切に今まで持っていなかったことが口惜しい。
記憶から遠ざけてしまったことが腹立たしい。
そして何もかも忘れようとした自分が本当に忘れてしまったのが情けない。
何でこんなにむかむかするのだろう。
それすら分からない自分にいっそう腹が立って思わず舌打ちした。
一旦自分の部屋を離れた卓は、それが何だったのか必死に思い出そうと、ちょっと外に出て気分転換すると伯母に言い残し、表へ出てみた。
夏の暖気は七月前半だとそれほど厳しいものでは無く、まだまだ過ごしやすい。
家の中は冷房が割と効いていたが、自分の部屋は掛けていなかったからすこし蒸し暑く感じた。
そう考えると外の方が過ごしやすいだろうか。
「ちょいとまあ!」
ふと嗄れた声が掛けられた。
この声は…
「あ、どうも。益子さん」
観月家のすぐ近所に住むこの益子という白髪の女性は、ここいらの町内会の会長の奥さんにあたる。
御歳87歳。この地域一帯はかなりお年寄りも増えてきていて、腰が曲がった高齢者が手押し車で外を出歩くのも見慣れた日常だ。ここ最近はもっと高齢化が進んできているため、防犯が強化されているという話も耳に入っている。
「おやおや、久しぶりなこと。たくちゃんこのところあんまり会わんかったなぁ」
「あー、俺たくじゃないです」
「あれ、なんだったっけねぇ、あの観月さんの息子さんだからたくちゃんじゃないのかいな」
「すぐるです、確かに卓球の卓なのでたく、とも読めますが」
「そうだったのかい、ごめんなぁ。わしゃもう物忘れが酷くての」
物忘れに限らずともこう名前を間違えられるのも仕方がない。
自分の名前を漢字で書くと、
『観月卓』
パッと見で『たく』とも読めてしまう、というよりそちらの方が一般的な呼び方とも言えるだろう。
小学校の健康診断で変なものに引っかかった時に少し大きな病院へ行ったときも、
『番号札43番でお待ちのみづき……?たく……さん』
初診のときに限らず、受付の人が新しくなった時もこう呼ばれた。
最近、というか少し前のことなら母が入院している総合病院へお見舞いに行こうとしたときだろうか。
受付で『すぐるです』と何回かやり取りを繰り返すうちに覚えられてもう間違えて呼ばれることは無くなったが。
病院の件はともかく、こんなお年寄りの方が覚えられないのは仕方ないことだしスルーしちゃえばいいけど、間違って覚えられても得はないし。だったら繰り返してでも『すぐる』だと自分で言っておいたほうがいい。
「じゃお気をつけて」
「今度は忘れんようにしとくかいね、みづき……たくちゃん」
おおーい!!
「いえ、あのすぐるです!」
「わはははは、またまちごうてしまったわいな、すぐるちゃんな、またなぁ」
「さようなら」
気分はだいぶ晴れたが、なくしもののほうはまるで思い出そうとするたびにその記憶に辿り着けなくなるというのが続き、思い出すことは断念した。
「戻ろっかな……」




