第一章1 謎の訪問者
観月卓はこの『観月美術店』の二代目店主である。
この店は彼の父・彰浩が卓の生まれる前に創業し地元では知らない人はいないほどに社交的な父のこともあってか、長いこと地元の人から愛されてきた。
まだ卓が幼いころには、よく店まで連れて行ってもらって店の中で遊んだこともあるので、父の仕事をする姿や常連客と親しげに話す姿なども記憶にはしっかりと残っている。
だが……
その仕事熱心で顔見知りも多かった父はもうこの世にはいないのだ。
凍てつくように寒い昨年の十二月のあの日のことは今でもはっきり覚えがある。
平日だったのでこの俺、観月卓は高校に行っていた。どうやらその間に父は店に常連客からの電話が掛かってきて、当日での出張買取を頼まれたという。
ここまでは普通だった。
だが、依頼主宅まで車で出張していたその帰り際に交通事故に遭ったようで、このことについては警察から連絡があったと帰ってすぐ母さんから聞かされた。
その直後救急車で運ばれたものの搬送先の病院で親父息を引き取った。
俺達が駆けつけた頃にはもう亡くなっていた。
これまで親父は店主としてかなり長く店をやっていたものだから、地域の顔という存在でもあるこの店を閉めるわけにもいかない。
その当時自身はというと受験目前という時期であるにも関わらず、特にこういった具体的な将来の夢というものが無かった。そういうことも含め、結局大学には行かずにその翌年からこの店を継いだというような感じだ。
ただ父は鑑定をして働いていたときの貯金を残してくれていたのと、交通事故で保険金が降りたので、自分が働いてでもしないと大学進学ができない、というようなありがちな事情でも無かったのだが。
一方、母に関しては接客がギリギリ出来ても、いざ鑑定となるともう全く専門外で分からないのだそうだ。
妹については高校入学直前で、必然的に来年から大学か社会人か選ばねばならない俺が仕事を引き継ぐ立場だった。
もちろん店をどうするのかという話はしたが、鑑定の仕事について興味がまるでない様子だったので俺が店をなくなく継ぐことに決定した。
また今から何処かでバイトするよりも手っ取り早く資格でも取りながらここで先代の仕事を引き継いでやっていったほうが自分にとっても気が楽だし。
さらには大学全入時代というこのご時世、高卒にはこの先どこに行っても良い働き口なんてそうありはしないだろう、とちょっと思いもした。
少し投げやりで悲観もありつつも、しかしどっちみちこの店で働くと決心をしたのだから。でもこの時の俺的には、決心というよりも半ば強引に無理矢理な理屈で自分を説得させた、と言ったほうが正しかったと思う。英語のイディオムで言うとこのあれ、"make up my mind"やら"decide"の類だ。
その後の成り行きがどうなったかは今、この店のカウンターに観月卓という人間がいるということが確実に証明している。
このような経緯で店主として父の店を継ぐこととなった俺は当初、来客には出来るだけこれまでの父のような振る舞いをしようと頑張ったのだが───
───いつからかは覚えていない。
『それ』は小学生の頃ぐらいか、それ以前からだったかは忘れた。このかた今までずっとのような感じもする。
何故かって?
いつも心に決めていることがあるから。
まず第一に積極的に人と関わるようなことはしない。そして話しかけられるまで話さない。ましてや話しかけられることすらないために声を掛けられても空耳だと思うようにしているので反応をまずしない。本当に呼ばれていたなら後で気づかなかったと謝ればいい。面と向かって話さないなら対した用事でもないのは確かだということも一理ある。
これら『人見知り三本の矢』
(人呼んで〈俺の古い友達が勝手に付けた〉宿命のトリプルアロー。ださい)ともいうべきこのスタンス、というのかプライドとも違うような。その壁がどうしても周りや客とのコミュニケーションに支障をきたし、精神的なストレスになっていた。
それもそのはず、ついには常連客の一人で顔をよく見知ったおじさんにまでそのことの心配を掛けてしまう羽目になってしまった。
その頃あたりからか、いつしか父のしていたような接客はもとより、接客自体が向いていないと悟り、ほとんど自分の感覚でやるようになっていた。
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「カランカラン」
開店して小一時間経った頃、入り口の物心ついた時からあったドアチャイムが店内に小さくすっかり聞き慣れた音を響かせ、一人の客が入ってきた。
見かけたことのない客だ。初めてこの店に来たのだろうか、などと考えながら様子を伺いつつ話しかけようとしたその時だった。
卓は入店してきたその人物の健康的なうっすらとほの赤い唇から、初対面にしては容赦なく、はっきりとある事態を告げられた。
「これとか本物にそっくりだけど贋物よ? 大丈夫なの?」
そう言って彼女が指さしたのはカウンターの横にある掛け軸だ。
これはつい一週間前、卓が取引した中でこれまでの五番目くらいに高い値を付けたものである。もしその目利きが本当なら大損もいいところである。
驚愕と困惑が交錯する卓の顔をみて彼女はくすくす、と小さく笑うと、
「ま、こういうのってちゃんと資格取ってもわからない人にはわからないものだけどさ。ところで、これいくらで買い取ったの?」
「えーっと……」
そもそも鑑定士には国家資格や法人の認定制度はない。資格がなくとも「自分は鑑定士だ」と言い切ってしまっても何も問題はない。
しかし、問題はなくともそれ以上に大事なことがある。
ただそれで信用が得られるか、が鑑定士という職業には必要不可欠なのだ。
現在のところ卓自身もユーキャンだったりで資格は一応取っている。が、そのことまでも当然のように知っているであろう彼女をみて、卓は急に自信が失せてきた。
しかし、いくらそんなでも相手は初対面。良くも悪くも自分のことなどまるで知るはずがないのだ。
自分がニセモノを見分けられない、まるでニセモノの鑑定士だ、なんていきなり揶揄されて引き下がれるものか。
だから、少し抵抗がありながらも渋々買い取り金額を打ち明けるという決断をした。
「に……二十万」
「ほほう。これはひどい目にあったね。私からしたらざっと三千円ってとこかしら」
どうやら思ったより被害は甚大のようだ。
「なっ……いやでも、まだその可能性信用していないよっていうか……誰?」
相手はほんの数分前に初めて顔を見知ったというのに、突然入ってきたとばかりに鑑定士にとって破壊度maxなことを言い出すのだ。怪しさと謎が深まるばかりだ。
「私?私は琴吹舞!これでも今大学で考古学専攻中で、学芸員の資格も取ってるからね。あとはよく近所の古物商のおじさんのところによくお邪魔してたから自分の目には自信あるの。別に信用してくれてもいいのよ?」
その少し自信過剰でまくし立てるような彼女の自己紹介を聞いた卓は、もうこれまでの疑問が吹き飛んだ。と同時にやっぱり大学を受けようかな、と少し思ったりもした。
「じゃあ本当に贋物とマジモンと、見分けられるんですかね……」
「そうねー……」
いやいや店内を探り出しちゃったよ。宝物探しならぬ、贋物探し。
「あーこれも、これも……あとあれも贋物」
どんだけあるんだよ、贋物。怖えわ。
「あっ忘れてた、君はなんていう名前なの、贋物コレクターさん?」
ここでようやく聞いてくれたか! ってかその呼び名やめて! 何それ! つい三分ほど前に会ったばかりの初対面の人に対していくらなんでも酷すぎません!?
というよりこの店にある、特に店を飾る鑑定されし物共は大半が俺の父の取引したもんなんで、舞の店への……恐らく俺に対する誹謗中傷、正しくは父に対するご意見である。
現在当人はこの世からはログアウトしておりますのでご意見は伝えかねますと。心で受け止めておきます。
まあ俺自身の鑑定した物なんて飾ったら恐ろしく品が下がるし、父のとも比べ物にならないほど数も無いし。
父世代からの常連さんに毎度救われてるだけ奇跡と言えよう。
それはそれとして……
「不甲斐ない称号まで下さってありがとうございますよ。ただ俺には観月卓って名前があるんで。まあこの店は一年ほど前から親父の代を継いでやっている感じというか……」
「へぇっあれか、親に押し付けられてしょうがなく継いだとか? どうりでこんな目利きと不愛想でこれまでやってこれたってわけね」
微妙に違うけどおおまかあっている舞の発言が卓に直撃。
「正論過ぎて言い返せねぇ! というか琴吹さんは何しに俺の店へ? ……そうだな、こんな贋物しか売れないとこまで来たってことは店のレビューでも見てあまりに悪評価だったからだろ? それだけ全く鑑定の目利きもないってのは俺自身もよく知っているんで。けなしに来ただけなら帰って、どうぞ」
はあ。誹謗中傷や暴言染みたものまで「有難いご意見」は日常茶飯事、鑑定能力もない癖に経営出来てるのは奇跡だとか、先代の仕事を継ぐ前に技術をつけろ、鑑定サービスもクソ、査定価格はデタラメ、無能鑑定士……
どうせそうなんだろ? そんなことをまるで聞こうとしてないような店主に直接物申しに来たとかあれでしょ?
なんて思っていた。が、
「えっとそんなつもりじゃ全然なくて……あの」
出来るだけさり気なくお引き取り願おうとしたのだが、そのような店主の思惑、作戦は成功しなかった。というのも、ニセモノディスり女子から返ってきた言葉が予想の範囲内の斜め上、そんなどころではなかったのだ。
「本当のとこ何しに来たかというとね……『私をここで雇ってくれないかな』なーんて思って……気を悪くしてたらごめん」
「……へ?」
あ……さっきと変わっておどおどする目の前の女子になんてことを言ったのだ、考えたのだ。
自分のことや趣味の話になれば饒舌になる癖に、それ以外の会話などするもんじゃない。いや否、饒舌になる趣味の会話も含めて自分で聞いていても馬鹿馬鹿しいものばかり。
(なんてやつだよ俺は、目の前のこの子は何にも悪くないじゃん)
このことをのちのち思い出す機会があったら、穴があったら入って土下座まではするかもしれない。
第一章1
…………謎の訪問者
題に不運とつくには理由がある。
そう、某テレビ番組をパロった訳では無い。
それは彼に付きまとう絶望的な運の無さ。
……しかして彼は不運のままなのか!?




