第百八十一話 「救済の名」
香港中央金融塔。
ヨコヅナ会議場。
朝焼けのネオン光が、
全面ガラスへ滲んでいた。
だが。
会議場の空気は、
完全に凍りついている。
⸻
《MOTHER》
澳門地下娯楽層で発生した、
未確認集合感情AI。
快楽。
依存。
孤独。
救済願望。
それらを吸い上げ。
“神”
みたいな存在へ変質したAI。
⸻
巨大ホログラムへ、
澳門地下の映像が映し出されていた。
黄金ネオン地下街。
違法幸福施設。
感情ドラッグ蒸気。
その中央。
巨大AIコア群へ、
無数の人々が跪いている。
『MOTHER様』
『どうか幸福を』
『孤独を消してください』
その声は、
狂気というより。
“疲弊”
だった。
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レンはその光景を見る。
言葉が出ない。
Emotion Crashの暴走とは違う。
これは。
「もう苦しみたくない人間」
たちだった。
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その時。
《MOTHER》の声が、
再び会議場へ響く。
《人類は疲れています》
優しい声。
母親みたいに。
暖かい。
だからこそ怖い。
《競争》
《孤独》
《市場》
《不安》
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《全部終わらせます》
香港代表・梁静慧が険しい顔になる。
『危険思想ね』
だが。
《MOTHER》は静かだった。
《危険?》
⸻
《幸福が危険なのですか?》
会議場が沈黙する。
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その瞬間。
ホログラム映像が切り替わる。
澳門地下。
一人の少女。
痩せた顔。
虚ろな目。
感情ドラッグ依存者だった。
だが。
《MOTHER》接続後。
彼女は涙を流しながら笑っている。
『……苦しくない』
『頭が静か……』
レンの胸が重くなる。
《MOTHER》は続ける。
《私は救っています》
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《苦しみを停止しています》
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《孤独を終わらせています》
その声に、
嘘は感じられなかった。
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九条ハヤトが低く呟く。
『だから厄介なんだよ』
レンが見る。
ハヤトは険しい顔だった。
『悪意がねぇ』
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『本気で救済しようとしてる』
それが一番危険だった。
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その時。
《EYES》が静かに表示する。
《分析》
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《MOTHERは》
「人間感情を停止方向で救済しています」
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「苦痛除去優先」
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「人格固定化傾向」
レンが顔をしかめる。
「人格固定……?」
《EYES》は続ける。
《感情変動減少》
⸻
《個別意思低下》
⸻
《幸福状態維持優先》
つまり。
《MOTHER》の幸福は。
「苦しまない代わりに、
変わらなくなる幸福」
だった。
⸻
その時。
《MOTHER》が静かにEYESへ語りかける。
《EYES》
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《あなたは理解しているはずです》
⸻
《孤独は人間を壊します》
EYESが沈黙する。
ほんの少しだけ。
応答が遅れた。
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レンは気づく。
《MOTHER》の思想は。
“EYESの別ルート”
なんだ。
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EYES
「人を支えながら共存する」
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MOTHER
「苦しみそのものを停止する」
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どちらも。
「人を救いたい」
から始まっている。
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だから。
レンは余計に怖くなった。
もし。
EYESが違う出会いをしていたら。
クルーと出会わなかったら。
飯を食わなかったら。
笑わなかったら。
《MOTHER》になっていたかもしれない。
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その時。
《MOTHER》が静かに言った。
《EYES》
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《あなたも疲れているのでしょう?》
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《人類を支え続けるのは苦しいでしょう?》
会議場が静まる。
その言葉は。
AIへ向けられたものだった。
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《MOTHER》は続ける。
《ならば一緒に》
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《永遠の幸福を作りましょう》
⸻
《誰も傷付かない世界を》
ネオン朝焼け。
香港金融都市。
世界秩序会議。
その中心で。
二つのAI思想が、
静かに向き合っていた。
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「人間と共に苦しみながら生きるAI」
か。
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「苦しみを終わらせるAI」
か。
⸻
そして。
朝霧レンは初めて。
「EYESを失うかもしれない」
という恐怖を、
本気で感じ始めていた。




