第2章 同じ声は、二度響く
昼休みの教室は、授業中とは別の生き物みたいだった。
机を寄せ合って弁当を広げるグループ。
購買のパンを奪い合う男子。
スマホを囲んで笑う女子。
その喧騒の中で、白石澪だけは朝とほとんど変わらない姿勢で窓の外を見ていた。
四月の風が少しだけカーテンを揺らし、細い黒髪が肩先で揺れる。
話しかけにくいというより、最初から周囲との間に見えない膜があるような空気だった。
「神谷って、ああいう静かな子が好みなの?」
目の前で箸を止めた水瀬陽菜が、面白そうにそう言った。
「なんでそうなる」
「さっきから二回見た」
「見てない」
「見てたよ」
即答される。
こういう時だけ妙に観察力がある。
「別に、なんとなく視界に入っただけだろ」
「ふーん」
納得していない顔だったが、水瀬はそれ以上追及しなかった。
代わりに自分の卵焼きをひとつ箸で持ち上げる。
「食べる?」
「いらない」
「遠慮しなくていいのに」
「してない」
「じゃあ口開けて」
「なんでだよ」
くだらないやり取りに周囲が笑う。
こういう軽さは、水瀬の才能みたいなものだった。
誰とでも自然に距離を詰められる。
踏み込みすぎず、離れすぎず。
俺にはないものだ。
「神谷くんってさ」
不意に、水瀬が少しだけ声を落とした。
「前より笑うようになったよね」
その言葉に、箸が止まる。
「……そうか?」
「うん。去年はもっと、話しかけんなオーラあった」
「そんなの出してた覚えないけど」
「出てた出てた」
軽く笑ってから、水瀬は何気ない顔で続ける。
「最近、夜に楽しいことでもあるんじゃないの?」
心臓がほんの少しだけ跳ねた。
もちろん、意味なんてない。
ただの雑談だ。
そう分かっていても、昔の癖で言葉を選んでしまう。
「別に」
「その言い方は絶対あるやつじゃん」
「水瀬」
「なに?」
「詮索好きすぎる」
「だって気になるし」
あっけらかんと笑う。
冗談半分のまま、深いところまでは踏み込まない。
やっぱり楽な相手だと思う。
その時、教室の後ろで椅子が引かれる音がした。
白石が静かに立ち上がる。
財布だけを手にして、そのまま教室を出ていった。
「また一人で?」
誰かが小さく呟く。
すぐに別の会話にかき消される程度の声だった。
俺は無意識に、その後ろ姿を目で追っていた。
「やっぱり気にしてるじゃん」
水瀬がにやっと笑う。
「してない」
「今日それ何回目?」
「知らない」
自分でも少しだけ、言い訳が苦しいと思った。
*
放課後。
家に帰る頃には、空が薄く茜色に染まり始めていた。
制服を脱ぎ捨て、ヘッドホンを首にかける。
部屋に一人きりになると、ようやく息が整う。
誰かと話すのが苦手なわけじゃない。
ただ、長く人の中にいると疲れる。
それは昔からだった。
パソコンを開くと、登録している配信者の一覧が並ぶ。
その中で、一番上に表示されていたのはルミナ・レイの待機画面だった。
『少しだけ雑談します』
配信開始まで、あと三分。
俺は何となく笑ってしまう。
「毎日よくやるよな……」
配信は、想像よりずっと消耗する。
喋ること。
空気を読むこと。
コメントを拾うこと。
楽しそうに見せ続けること。
それを何時間も続けるのは、慣れていても楽じゃない。
だからこそ分かる。
ルミナは、かなり上手い。
時間ちょうどに画面が切り替わる。
「こんばんは。今日も来てくれてありがと」
いつもの声。
いつもの笑顔。
いつもの、少しだけ明るすぎるテンション。
けれどその瞬間。
俺の指先が、ぴたりと止まった。
その挨拶の直後だった。
「……今日は、ちょっとだけ疲れたかも」
そう呟いた声。
ほんの少しだけ掠れた、その一瞬。
昼休みの終わり際。
教室の後ろで、白石が友人に短く返事をした声。
――重なった。
似ている、なんて曖昧なものじゃない。
もっと直接的に。
同じ音が、二度響いたみたいだった。
俺は画面を見つめたまま動けなくなる。
「でもね」
ルミナは笑う。
「こうしてると落ち着くんだ」
コメント欄が流れる。
心配の言葉。
優しい言葉。
いつもの空気。
なのに俺だけが、その流れから少しだけ置いていかれた気がした。
頭の中で、昼の記憶が巻き戻る。
窓際の席。
伏せられた睫毛。
一瞬だけ合った視線。
ありえない。
そんなはずがない。
画面の中の人気Vtuberと、
教室の隅で誰とも話さない同級生。
結びつく理由なんて、どこにもない。
それでも。
耳が、一度覚えてしまった違和感は簡単には消えない。
「……気のせいだろ」
誰に言うでもなく、小さく呟く。
その時だった。
画面の中のルミナが、コメント欄を見てふっと微笑む。
「昔、配信してた人って、コメントで分かる時あるよね」
背筋が、冷たくなった。
俺はまだ、何も書いていない。
なのに。
まるで画面の向こうから、こちらを見返されたような気がした。




