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第8話 崩壊(2)


 サクラは広場に着くと、真っ先にロダの姿を探した。

 ざわめく群れの間を縫うように進む。けれども、どこにも見当たらない。


――こんな時に、どこに行ったの?


 気づけば、広場の中心まで来ていた。

 焚火の前に座る、おばばの姿を見つける。


「おそらく獣人だろう」


 おばばの言葉が、重く落ちる。

 姿も見えない。

 匂いもしない。音もしない。

 ただ、森の異変だけが、確実にこちらへ迫ってきている。


 大人たちの間に強い動揺が走り、口々に叫びだす。


「獣人だなんて! まだ冬の準備もできていないのに!」

「今すぐ荷物をまとめて逃げよう!」

「まとめてる間に来ちまうよ!!」

「戦うんだ!! 隣の群れの二の舞なんて御免だ!!」

「いや、敵うわけがないよ!」

「子供たちはどうしたらいいの!?」

「戦わないと、冬の間に全員死ぬぞ!!」


 大人の男たちが次々と弓や斧を手に取り、掲げた。


「森は俺たちの庭だ!! 追い返してやれ!!」


 いつも狩りを取り仕切っている大柄な男が叫ぶ。

 周りの男たちも「そうだ、そうだ!」と同調し、声を上げる。


「だ、だめだよ!!!」


 あっ、と思った時には、声に出してしまっていた。

 反射的に、サクラは口元を両手で押さえる。

 群れの男たちが、サクラのほうをばっと振り返る。


――こ、こわい。


 いますぐ、何でもないと首を振って、引っ込んでしまいたかった。

 それでも、ここで何も言わなければ、きっと深く後悔することになる。

 脳裏には、レイとロダの姿があった。


「じゅ、獣人には、弓は効かない。……斧も、鉈も!」


 じっと聞いている大人たちの前で、震える足に力を入れ、言葉をつなげる。


「ロダが言ってた! 獣人には私たちの知らない力があるって!」

「じゃあどうしろって言うんだよ!」


 男たちの中の若い一人がサクラに向かってそう叫んだ途端、サクラは全身が硬直してそれ以上しゃべれなくなった。


「このまま逃げて野垂れ死ねってのか!?」


 喉元をぎゅうっと握る。

 それでも、伝えなければと口を開くのに、言葉が一つも出てこない。


「子供はどうするの!」

「食料は!?」

「どこに逃げるんだよ!」

「戦わないと生き残れないぞ!!」

 

 どうすればいい。どうやって生き残ればいい?

 答えのない恐怖だけが、群れのあちこちから噴き出してくる。


――獣人と戦っちゃいけない。


 ロダから教わった、たくさんの知識と、おぼろげに残る元の世界の記憶。

 そのどちらもが、サクラに同じことを告げていた。


――斧や、弓なんかで、敵うわけがない。


 みんなを止めないといけない。

 なのに、喉がふさがってしまったように、声が出ない。

 代わりに、涙だけがぼろぼろと零れて頬を伝った。


――止まれ、止まれ!


 片方の手で喉元を握りしめながら、もう片方の手で目元を何度もこする。


――ロダが、いてくれたら……!


 ロダなら、知っていることをちゃんと言葉にして、みんなを説得できるはずなのに。


――どうして、こんな時に私は何も言えないの!


 すると突然、サクラの肩に手が置かれた。

 ばっと振り返ると、そこにいたのはレイだった。


「サクラ! 大丈夫か! ロダ兄は? いたか?」


 レイが涙を流すサクラの顔を見て、ぎょっとした表情をする。

 大丈夫。ロダはわからない。そう伝えたいのに言葉が出なくて、サクラは必死に首を振った。


「わかった。探しとく。大丈夫だから泣くな!」


 そう言ってサクラの喉元の手を掴み、強引に引きはがした。

 ぐりぐりと手の甲でサクラの頬の涙をこする。


「静まれい!!」


 怒号のような声が広場に響き渡り、みんなが一斉に中央に視線を向けた。


 そんなか細い身体のどこから出たのか。

 声の主は、おばばだった。


「……こうしている間にも、奴らはここに来るぞ。落ち着いて、各々やるべきことをやるんだ」


 おばばが立ち上がる。

 いつもなら、支えがないと一人で立つことさえ難しいはずなのに、その身体はすくっと伸びていた。


「獣人どもが持っていくのは人間だけだ。食料や荷物は、奴らが去った後に取りに戻ればいい。男どもは可能な限り足止めを! 女子供は北山の冬越えの場所まで逃げるのだ。荷物は捨て置け! まずは逃げるぞ!」


 おばばが進む道を示した途端、群れの空気が変わった。

 ばたばたとそれぞれが動き出す。


――足止め、なんて!


「……俺は足止めのほうに行く。サクラはリルたちを頼むな」


 レイが立ち去ろうとするのをサクラはレイの腕を掴んで止めた。

 声が出ない代わりに、何度も首を振ってやめてと伝えようとする。

 レイはそんなサクラの手を取り、自分の腕からそっと離した。


 がしりと、レイがサクラの両肩を掴み、真っ直ぐに目を見た。


「大丈夫だ。いざとなったら、俺はすぐに逃げる。森に隠れるのが得意なの、サクラも知ってるだろ?」


 サクラは迷いながらも、その言葉にこくんと頷いた。


「リルを頼むぞ。サクラはまず子供たちを逃がすんだ」


「……た、戦っちゃ、だめ」


 やっと口から声が出る。

 そのか細い声を拾い、レイが頷いてみせた。


「俺は戦わない。姿は見えなくても気配はわかるさ。似非獣どもの鼻をあかしてやる」


 レイがサクラに、にやりと笑いかけた。

 「戦わない」という言葉に、サクラは身体から少し力が抜ける。


「よし! 荷物は持つなっておばばの指示だ。サクラも早くいけ!」


 レイはそう言って、駆け出した。

 サクラも広場に集まった子供たちのもとへ向かった。


 おばばの前に、女と子供が集まっている。男たちは群れの入り口へと向かっていった。レイもそこへ合流していくのが見えた。


「よし集まったな! 迷子にならないように大人の手をつなぐように! さあ行くぞ!」


 おばばの声に、子供たちはそれぞれ大人の手を握り、北山へ向かって歩きだす。

 群れを囲う葦の柵が一部取り払われ、北山への道が開かれていく。

 みんな巣の合間を縫うように進み始めた。


「おばばも行こう!」


 サクラはおばばの前に歩み出て、手を差し出す。

 おばばが一瞬、サクラの顔をじっと見つめた。

 そして下を向いて深くため息を吐いた。


「おばば?」

「私はあんな子供を逃がせと言ったんだ! お前は子供を逃がしなさい」


 おばばの言葉に、サクラは息をのむ。


「そんな、おばばを置いていけないよ!」

「誰が置いていけって言った!」


 おばばが、ふんと鼻を鳴らす。


「歩けん事くらいわかっとるわ! 男どもの一人を捕まえて、運んでもらうつもりだ。お前が余計な心配をするな!」

「おばば……」


 サクラを追い払うように、おばばがしっしと手を振る。


「先に行けと言ってるだけだ! お前は自分のことをやれ!」

「おばば」


 自分には、手を引かなければならない子供がいるわけではない。

 それなら、自分がおばばを連れて行きたい。

 でも、北山までの険しい道のりは、おばばが歩ききれるものではなく、大人の手が必要だった。

 それに、泣いている子供たちの数に、大人の手が足りていないのもわかっていた。


「サクラちゃん!」


 背後から声をかけられる。

 振り返ると、そこにいたのはライだった。


「リルをお願い。おばばは私が連れて行くから」

「でも……」


 ライが静かに首を振った。


「私は北山までの道を登れないから、おばばと一緒に遠回りしていくよ。でも、リルは登れる」


 そう言って、リルの手を引きサクラの手に握らせる。


「……お願いね」

「……」

 

 リルは、群れの様子におびえてぐすぐすと鼻を鳴らしている。

 サクラはおばばを見て、そしてリルを見た。


 ぐっと唇をかみしめて、それからライに向かって顔をあげた。


「わかった。おばばをお願いします」

「うん、頼んだよ」


 ライはそう言うと、リルの前にしゃがみ、その小さな身体をぎゅっと抱きしめた。

 リルは、ぐすぐすと鼻を鳴らしながらぽかんとしている。


「……リル、さくねえちゃんの言うことを、よく聞くんだよ。私は、お腹おっきくてゆっくりしか歩けないから、先に行ってて?」

「ライは、あとからくる?」

「うん、かならず行くから、さきに行って、お腹の子のためにいつもみたいに小枝をひろっててほしいの。できる?」

「……うん!」


 そう言うとリルはサクラの足元に抱き着いてきた。


「……いってきます!」


 にぱっと笑って、ライに向かってはきはきと応えるリルは、もうすっかりお姉ちゃんに見えた。


「……先に行ってます」

「はよ行け! お前も薪を集めとくんだぞ!」

「うん」


 サクラはおばばとライを振り返った。ライと目が合い、互いに頷く。

 それから、いつもリルと遊ぶ時と同じように、にこっと笑いかけた。


「よし、じゃあお姉ちゃんとおいかけっこしよう! さきに群れの外についたほうが勝ちね」


 足元に抱き着いていたリルが顔をあげて目を輝かせた。


「わかった! おいかけっこ!」


 リルがサクラから離れ、そのままとてとてと走り出した。

 後ろ髪を引かれる思いで、サクラもその後を追う。


 先を走っていたリルが、不意に何かにぶつかって尻もちをついた。


「え……?」


 なにもないところ。


 そこでぶつかって転んだリル。


 その先に、毛深く巨大な、黒い壁のような存在が立っていた。


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