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ープロローグー 獣の街

 夜。ビルの合間に霧雨が落ちる。

テナントや看板の光が、細かな雨粒にちりちりと反射していた。


 石畳の上を流れる水の流れをじっと見ながら、サクラはその流れに沿ってのろのろと歩いた。


 もう、それくらいしかできなかった。


 サクラはそっと息を吐いた。

 途端に、地面が揺れるようなおぼつかない感覚に襲われる。

 

 森とは違う、生臭い都会の匂い。

獣の吐息や濡れた体臭に、刺激の強い香水が混じっている。

 どれも嗅ぎ慣れず、鼻の奥にまとわりついた。

 通り過ぎる車のガスが、さらに空気を重くする。


 サクラは立ち止まり、ほんの少し顔をあげた。

 霧雨が顔に降りかかり、視界を淡く滲ませる。


 止まらない震えを誤魔化すように、濡れた腕を意味もなくさすった。


 強い雨ではない。けれど体はすでにじっとりと濡れ、冷え切っていた。


 もう蹲ってしまいたい。

 何度もそう思う。


 だが、蹲れば周りの視線を集めてしまう。


 歩くしかない。それなのに、足が言うことを聞かなかった。


 不意に頭に被ったフードがずれそうになって、サクラは慌てて視線を落としてフードを被りなおした。


 目深に被ったフードの裾から手を離すことができない。耳を見られれば、自分が人間だとバレてしまう。

 

 見つかれば、捕まる。

 ー今度こそ殺される。


(どうか誰も気づかないで)


 不審にならない程度に、視線だけを巡らせた。

 そのサクラのすぐ横をすれ違う、二足歩行の犬。さらに追い抜いていく羊やウサギ。


 獣たちは人のように服を着て、足早に通り過ぎていった。

 今しがたサクラの横を通った犬の獣人。そのスーツの裾からはみ出した毛が、どこか滑稽に見えた。


 その中に、人とほとんど見分けがつかない獣人もごくたまに見かけた。人と同じ顔、肌。けれど耳だけは獣人のそれだった。


ーやっぱり人間の耳は、人間だけなんだ。


 フードを押さえる指に、自然と力がこもった。


 そして人間の体と違い、見上げる獣たちは、どれも自分の倍はありそうだった。


ーきっと、子供にしか見えていない。


 実際、フードをかぶり人間であることを隠していれば、幼い子供に勘違いされているのだろう。身長で人間とバレる事はなかった。


 こんな夜遅くに子どもが歩いていれば、声をかけられるのではないかと、最初の頃、サクラはそれを恐れていた。


 だがサクラが周りの獣人に声をかけられることも見咎められることもなかった。

 薄汚れたフード付きのパーカーとサイズの合わない靴を履いた格好は、卑しい浮浪児に見えるのだろう。

 実際、鼻をつまんで追い払うような動作をする獣人もいた。


 人のように歩く、獣ばかりが闊歩する奇妙な光景。


 まるで幼いころに読んだ絵本の世界に迷い込んでしまったみたいだと、あまりの心許なさにサクラはぎゅっと唇を噛み締めた。


 サクラは獣の流れに逆らわないように、今度こそ足早に獣の中を歩く。


 レンガがひび割れた外壁の下に覗く、古くて高い建物。歩道に等間隔に並ぶ街灯。少し装飾の施された照明から放たれる橙色の光。

 それが獣たちの長い鼻先に影を作る。影の深い顔は、目を向けていればたちまちこちらを振り返り、その鋭い牙を眼前にさらしそうで、ただ歩くだけで恐ろしかった。

 

 その中、サクラと同じ人間が、ひしめく獣の中から不意に現れた。


 人だ。サクラはバッと目を輝かせて一瞬顔を上げたが、すぐさま隠れるように視線を逸らしてうつむいた。


 短い髪のこぎれいな身なりをした少年。金髪に闇夜でもきらめく薄い色素の瞳。その少年の首には太い首輪が巻かれ、片方の腕には錠のかかった腕輪がはめられていた。そこから細い鎖が伸びて犬の獣人の腰に巻かれたベルトとつながっている。

 犬の獣人は長い金色の毛を後ろに束ね、長いしっぽをひらひらと揺らしながら、長く鋭い爪の生えた手で、少年と手をつないでいた。


 サクラがうつむいて歩いている間に、そのまますれ違う。


 一瞬、少年と目が合った気がした。気がしただけで、何事もなく通り過ぎることができた。そのことにサクラは無意識に詰めていた息を深く吐いた。


「きみ、迷子? 大丈夫?」


 頭上から降ってきた野太い声に、サクラは息を呑んでびくりと体をこわばらせた。自身の目の前に巨体があり、強制的に歩みを止められた。


「夜も遅いよ? おとうさんか、おかあさんは?」


 幼子に話しかけるような声音に、渋々サクラは視線を少しだけ上げた。


 真っ黒の耳に真っ白の顔。目の周りも真っ黒に縁どられた特徴的な模様。ぬてらっと濡れた黒い鼻先から、むふうっと、生臭い息が顔にかかった。それだけで息苦しかった。


(たしか、……パンダ、だっけ)


 朧げな記憶から名前を引っ張り出す。白と黒の特徴的な毛の色。つぶらな瞳が黒い縁取りに隠れているが、目の前に立つ生き物は、熊としての圧倒的な獰猛さが、息遣いや分厚い体躯から垣間見えるようだった。


「迷子かなあ?」


 ねちゃねちゃと大きな牙を隠した口で、器用にパンダはサクラに話しかけてくる。


 パンダの獣人は巨躯をかがめて、サクラの顔を覗き込んできた。


 もふもふの毛皮に覆われた頭部に窮屈そうに衣服に収まっている体が、なんともアンバランスだった。腕には腕章をつけており、何かの慈善団体なのかもしれない。しかし、文字の読めないサクラには、その腕章にある文字は理解する事はできなかった。パンダの手にある折りたたみの傘が小さくて、そこからはみ出した腕の毛皮に、小さな水滴がみっしりとついているのが見えた。


 香水のような香りに混じって、濡れた犬のような匂いがまとわりついた。それは、この通りを歩く多くの獣と同じような匂いだった。

 その距離になると、口の中にある鋭く大きな牙も、サクラの間近に見えた。


(こ、恐い……)

 

 サクラは総毛立った。

 遠い昔に絵本で読んだパンダの姿は、もっと愛らしかったはずなのに。この距離で、この体格差。獣としての熊が目の前にいる。そんな原始的な恐怖しか感じなかった。


「……あれ? もしかしてきみ……」


 パンダが言い終わる前に、サクラは反射的に走り出していた。言葉で聞くよりも、肌で感じるように。自分が人間だと、このパンダに気付かれたと頭で考えるよりも先に足が動いていた。


「あ、ちょっと!」


 背後で引き留める声がして、手がのばされたのも、背中で感じるようだった。あの鋭い爪が、自分の肩を切り裂くような想像が瞬時に頭の中を占めて、サクラは飲み込むような小さな悲鳴を上げた。


 パンダの獣人が追い付けないように、サクラは、獣の合間を縫うように、小さな体を滑り込ませ獣人たちの間をすり抜けた。


 何度か足がもつれ、転びそうになるが、サクラはそれでもひたすら走り続けた。


 何人かの獣人が何事かとサクラを振り返るのが視界の端に映った気がしたが、一度走り出したら止まれなかった。パンダの獣人の姿はすぐに見えなくなったが、サクラはひたすら足を動かした。


 何日もろくに食べていない体は、とたんに悲鳴を上げた。足ががくがくと震え、走れなくなる。


 サクラは誰も自分の事を見ていないのを見計らって、人通りのない細い路地に入った。


 路地の先に、ごみであふれかえった巨大な金属の箱が見えた。

 その横に、サクラは体を滑り込ませて、その場に隠れた。


 ごみの中から漂う腐敗臭が鼻についたが、荒い息を止められず、腐った空気が肺を満たし、気分が悪くなった。周囲にあるよどんだ空気から逃れるように、サクラは両足をそろえて膝を曲げ、膝頭を両腕で包んでそこに頭をうずめた。


 ーこのままいっそ何も見えないし、何も聞こえなくなりたい。


 荒い息はだんだんとおさまっていくはずなのに、今度は喉奥からしゃくりあげるような息が出てきて止められなかった。サクラは両手を喉元にあて止めようとした。痙攣のように喉が震え、涙がこぼれ、サクラは膝頭にこすりつけるように濡れた目元を押し付けた。


「……ロダ、……レイっ……」


 いまはもう、生きているのかすらわからない友人の名前を呼ぶ。誰かに縋りたい。助けを求めたい。しかし、異界の獣が跋扈する歪な街で、そんな希望を持つことは不可能だった。


 走って少し上がった体温はすぐに冷め切ってしまった。石畳に触れた座面から冷気が体を蝕んでいく。


 昨夜は古い店の裏手で、破れた麻袋に包まって凌いだ。

 朝になって、その店の店主に見つかり、走って逃げた。


 いま、サクラの手にはなにもなく、周りのゴミの中に何か使えそうなものを探す必要があった。


 だが、どんなに立とうと思っても、体が言う事を聞かなかった。


 サクラは動けなくなった。


 こんな細い路地ですら、霧雨はサクラを見逃しはせず、粛々と降り続いた。これが現実だと、思い知らせるように。


初めて投稿します。

お目汚しがあっても、寛大な心で読み飛ばしていただけたら幸いです。

亀の歩みのような投稿頻度になると思います。

よろしくお願いします。

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