第十三話・「愚か者(2)」
見下ろすように、見下すように、黒翼を煽る獣は赤い瞳で私を指す。
恐ろしい凶眼だ。
ただ見られているだけだというのに、思わず身をたじろがせてしまう。猫に睨まれた鼠とでも言える状態。
「フぅ――――」
前進しながらゆっくりと息を吐いた。
意思の力で恐怖を抑えつけ、力強い眼差しで殻を見る。
――狙いを定める。
我が身を守護するように二対の帯となって回る霊符。展開された霊符に霊力を回し、術の発動準備を完了させる。
この目に標的を捉えながら言を紡ぐ。
「炎葬――」
霊符に火を灯す。
同時、二対の霊符の帯が大きく広がった。
「火鳥荼毘・迅乱」
そう呪文を口にすると、展開された全ての霊符は火鳥となり、殻の追尾を開始した。
縦横無尽、空中を走るように駆け巡る。
追い迫る火鳥から逃げ惑うように、殻は空を裂き進む。ジェット機でも思わせるような、驚異的な速度で鳥達は空を舞った。
夜空に焔の軌跡が描かれる。
無数の火鳥が殻を追って生まれた軌跡。それはまるで夜空をキャンバスとして線を引いたようであった。
「――――――――」
殻は忌々しそうに自身を追う火鳥を見やる。
霊符焼き尽くすまで、どこまでも敵へと向かう火の鳥。それは決してその殻にとって脅威ではないが、だからと言って侮れるようなものでもない。
身を焼く焔の熱さを彼は覚えている。
致死に至らずとも、無防備に受け続けていい代物でもない。
その事実が彼に不快感を与えた。
殻はビルへと突撃した。
コンクリートを、鉄筋を、意にも介さずその身で掘削する。目の前の壁を抉りながら突き進み、全ての壁を越えてビルを突破した。
その時――
正面、三羽の火鳥が現れた。
突き抜けた先に出現した火鳥。いくら殻と言えど、それを回避することは敵わず――直撃。炸裂音と共に、業火が燃え盛った。
夜空に大きな火球が発生する。
ボンッボンッ、と次いで追っていた火鳥も直撃し、更なる炸裂を巻き起こす。
よし! まず一撃――
攻撃が直撃したことに喜びながら、次の手のための霊符に霊力を回した。
あれで倒せたとは思っていない。
次の手のため、再度展開した霊符に霊力を流す。
「――――――――」
「っ――」
ギロリと赤い凶眼が私を覗く。
向けられた強い敵意――額を雫が伝る。再び身が萎縮する。
けれど――
怯むな私――!
意思で捻じ伏せる。
恐怖は仕方ないけど、それに囚われていては待っているのは――〝死〟だけ。死なないため、生きるため、助けるためには、この恐怖を抱いて前に進むしかない。
走りながら霊符に魔力を回し、術を起動させる。
「ギェ――――ッ!」
奇声を上げながら殻が私へと突撃を開始する。
火鳥の大本、私を殺すことを選んだみたいだ。
「迅葬・天爆っ!」
襲い来る殻へと術を放つ。
霊符は即座に散り、無色透明な空気弾となって殻へ飛ぶ。
目視不可能な攻撃――殻はこちらが何らかの術を使ったことを理解した上で、突撃を止めない。
突如、殻の身が爆ぜる。
命中した天爆の炸裂。
炸裂する空気弾――その命には届かないまでも、距離を取らせることはできるはず。
「――――――――」
しかし、私の予想と違って殻は止まらない。
次いで身が炸裂するも、お構いなしに突撃。この殻も他の個体同様に、死など恐れていない。機能に異常を来さない攻撃なら、関係なく突撃する。
っ――、威力が足らない!
この程度の攻撃では牽制にもならない。
だけど、牽制の役割を果たせるほどの威力の技を起動できる時間はない。
急加速しながら落下する殻。
瞬間、私は二枚の霊符に瞬間的に込められる最大の霊力を込めて術を放った。
「飛翔脚っ!」
術の発動と同時に後ろへ飛ぶ。
一蹴りで十数m後方まで退避――直後、殻が地面に激突した。
あ、危なかった……。
冷や汗が頬を伝る。
反射的に飛翔脚を発動していなければ、そのまま死んでいた。
攻撃も、防御も、あの瞬間の手札であの状況を打開することはできなかった。回避以外の選択はすなわち死という極限の状況。
そんなギリギリの選択を成功させたおかげか、千載一遇のチャンスが舞い込む。
地面にめり込む殻。
ものの数秒、それでもその素早さを封じることに成功した。
このまま地面に拘束するっ!
即座に展開した霊符にありったけの霊力を籠める。
「祓へ給へ! 清め給へ!
八百万乃神ながら、授け給へ!
――――縛符・大天輪ッ!」
展開した全ての霊符を使用した術。
霊符は三重の光の円となって殻を囲う。そして、光の円は輝きを放つと共に重力場を発生させ、殻をその場に拘束した。
「ギェェェ――――ッ!!?」
苦しそうな唸り声が上がる。
殻は大天輪の拘束から逃れようと必死に藻掻くも、その拘束力の高さに苦戦する。いくら最強種である竜の血統種とはいえ、巫術の高等捕縛術である大天輪をそう簡単に破壊できるわけがない。
しかし、そう長く持つようなものでもなかった。
――バキッ!
殻の力強い抵抗に、大天輪に綻びが生じる。
未熟な私の限界――私ではこの殻を長時間、拘束することはできない。
「っう、ぐ――――っ!」
私は必死に霊力を回し、大天輪の維持と強化に尽力する。
残る全てを乗せてここで勝ち切る。
「さ、沙耶ッ!」
その名を叫ぶ。
するとほぼ同時、殻の死角から彼女が現れる。
「――ええ」
小さく頷くと彼女は突撃。
地面の瓦礫を蹴り砕き――疾走、驚異的な速度で殻との距離を詰めた。
鞘に納めた刀に手を添え、抜刀の構えを取る。
――間合い内。
私では足りない攻撃力――彼女はそれを補い、その命に手を届かせられる。
彼女なら殻を仕留められる。
踏み込む脚に力が籠められ、隼瀬を握る腕は脱力。全身を連動させ、大地から力を得るように飛ぶ。
「――――玄渓流」
身を走る力を制御し、一撃に出力する。
「荒流いっ――――」
彼女が斬撃を放とうとしたその刹那――突如、動きが止まった。
な、んで……――?
想定外の出来事に目を丸くする。
なぜ、どうして――この状況で動きを静止した理由が、私にはまったくわからなかった。
しかし、すぐにその理由を理解することになった。
ぐにゃん
突如、視界が歪む。
「っ――!?」
同時に私は気付く。
自分が今――うつ伏せに倒れようとしている事実に。
しまった……もう、限界が……――
霊力にはまだ余裕がある。まだ術を出力できるだけの余力は残ってる。
でも、体力が先に尽きてしまった。
目眩、吐き気、頭痛、動悸、倦怠感――気付いていなかった、なんてことはない。ずっと前から知っていたし、知っていて無理やり動いていた。
こ、この瞬間にっ……。
今この時、堪えてきた疲労が決壊してしまった。
立つことすらできない、全身の力が抜け、体躯はそのまま無感動に崩れ去る。
そして――大天輪は崩壊した。
それにより殻は自由を得てしまった。
「――――――――」
赤い眼光が私を見る。
停止した沙耶がすぐさま再始動するも――既に遅い。
彼女が実際に停止した時間は、私の決壊を見た僅か一秒足らずの極短い間。しかし、この戦場においてその一秒は致命的で致死的であった。
動き始めの時点で殻は彼女の眼前から姿を消しているのだから。
そして――同時、周囲の殻がタイミングを見計らったように、沙耶へと襲い掛かり、追うことすら封じられる。
……私のミスだ。
驚異的な速度で迫る敵を前に、走馬灯のように緩慢な時の流れを体感する。
虚ろな視界で捉える殻の姿。
這い寄る死を前にして、私は自身を叱咤した。
無理をして、意地を張って……そうやってここまで来てしまった。
だから、こんなことになった。
沙耶も……逆刃大くんも、言ってくれていたのに。私はそれでも――進み続けてしまった。
多くを助けるためには、立ち止まってはいけないのだと思った。
苦しんでいる多くの人を救うためには、息を吐く間すら惜しむべきだと思った。
その結果がこれだ。
より遠くへ飛ぶには、より多くの助走が必要。
より遠くへ行くには、より多くの休憩が必要。
当たり前のこと。
私はそんな当たり前のことを忘れてしまっていた。
だから私は、ここで……――
この先のことを想像して瞳を閉じた。
…………――――
…………――――
終わりを悟ったはずの刹那。
覆らない幕引きに異変。
その時――不思議な事が起こった。
「へ――?」
突如、謎の浮遊感を覚える。
いやこれは、浮遊という感覚とは違う。どちらかと言うと、吹き飛ばされたという感じが正しい。
体が激しく振り回される。
な、なにが……!?
理解できない事象を前にひどく困惑する。しかし同時に、なぜだかとても安心した。
それはきっと私を抱いているこの腕が、とても――とても優しかったからだろう。
しばらくして回転が静止する。
私はまだ自分が生きている事実に驚きながらも、その実感を確かめるより早く、外の世界を認識することにした。
「逆、刃大……くん?」
視界に映った彼の顔を見て、大きく目を見開いた。
「――間に合った」
彼は安堵した表情で私を見る。
離れてしまわぬように、傷ついてしまわぬように、しっかりと私の体を抱き寄せる。
「……無事か?」
「――――」
「雨嶺?」
「……あ、いや……う、うん。だ、大丈夫です」
「?」
テンパる私を見て彼は困惑した表情を浮かべる。
一方、私は顔を赤くしていた。
とても真っ赤だ。自分でもよくわかる、それほどまでに顔が赤い。というか熱い。
理由は明白――だからこそ恥ずかしい。
うぅ~、い、今のは……今のはズルいよぉ。
どんどんと私の顔は赤くなった。
私がそんな風に慌てる中、彼はこちらの様子を窺っている殻へと視線を向けていた。
殻は私達を――いや、逆刃大くんのことを観察している。
表情なんてものは読み取れないけど、何となく彼に対する強い懐疑心のようなものを感じた。
それは彼が生きていることに対してか、それとも私を助けた異様な動きに対してか――私にはわからない。でもそれはいい、どっちにしても、あの殻が彼を強く警戒していることには変わらない。
「…………、っ――!」
警戒を維持したまま、立ち上がろうとする彼。
しかし、その瞬間に膝を落として苦悶の表情を浮かべた。
どうやらさっきの動きで足を痛めてしまったようだ。仕方ない、あの状況で私を助けるに至る超人的な速度、体に負担がないわけがない。
私は倒れそうになる彼の肩を持って支える。
すると、彼は突然顔を近づけてきた。
「ぅ――!?」
ひどく動揺して変な声が上がる。
そんな私に対して、彼は冷静に耳打ちをしてきた。
「え……」
その内容に私は目を見開いて驚いた。
「できるか?」
「……失敗したら死にますけど、いいんですか?」
「今更だ」
迷いなく答える。
一方、私は不安な表情を浮かべた。
「私なんかに……命を預けて怖くないんですか?」
「命を預けるのはお互い様だ……あと、私なんかってのは止めた方がいい。もっと自分に自信を持て」
「…………」
「君ならできる――俺はそう信じる」
真っ直ぐ、力強い眼差しが私を見る。
こんなにも頼りない私を、どうしてそこまで信じてくれるのか……私にはわからない。
でも、だからこそ――
私はこの信頼に応えなければならない。
「はい、やりましょう。
私もあなたを――そして私を――――信じます」
コクリと頷き彼は優しい笑みを浮かべた。
……本当に、不思議な人。
そう思いながら私も小さく笑った。
不安でいっぱいな胸の中――それでも、彼と一緒ならまだ前へと進める気がする。
そして、私達は覚悟を決めた鋭い眼差しで殻を見た。
チャンスは一度きり――二度はない。
失敗=死。
今この瞬間に――私の全てをぶつける。
フラつく彼の体を抱き寄せる。彼もまた、私の体をしっかりと掴む。
五枚の霊符を展開。
ありったけの霊力を込め――装填。霊符がクルクルと右腕の周りを公転する。
すると、こちらの動きに合わせて殻にも動きが見られた。
翼を大きくはためかせ、両脚を鋭く番え、姿勢を前に倒す。わかりやすい狙い――観察して今の私達では回避不能と判断し、突撃でまとめて轢き殺すつもりのようだ。
確かに私は、あの殻の突撃を回避できる手段を持っていない。
それにこちらが迎撃しようにも、ダメージを与えられるような威力の攻撃は、この殻なら必ず回避する。来るとわかっている攻撃を、彼が躱せないわけがない。
不可避――私には、躱せないし、受けられないし、逃げられない。
でも、そんなことは最初からわかっていた。
「――――――――」
――集中する。
殻の動きと展開したこの霊符にのみ、私は全ての意識を注ぐ。それ以外の思考は全て排斥し、ただこの瞬間に没頭した。
息が詰まるような数秒。
先程の走馬灯とは違った体感時間の延長。さっきのは虚ろな意識であったが、今はとても意識が明朗。
世界が澄み渡って見えた。
「フ――――、――――」
呼吸音が聞こえる。
私のものではない、隣の彼のものだ。
彼もまた、冷静に冷静に、その一瞬に備えて集中を高めていた。
そして――その時はやってくる。
「ギエエエェェェェェェ――――ッ!!!」
震え上がる咆哮。
刹那――殻が飛ぶ。
衝撃的な速度、それなりにあった距離が一瞬で詰められる。
黒く黒い、鋼より強固な塊が迫る。
その身に触れれば即死――私達の体なんて、塵のように散って終わり。
でも――
「Ⅳ・限数設定――
――――固定完了」
そんなことには成りはしない。
その結末を、彼は――否定する。
――飛ぶ。
瞬間、視界が移り変わる。
私の視界に殻の背後が映った。目はずっと開いていた、にも関わらず認識ができていない。
二度の踏み込み。
と言っても、やはり私にはどちらも認識できていない。
ただ二度の衝撃と音を感じた。だからおそらく、彼は無事なもう一方の脚で二回ほど地面を蹴ったのだと思う。
まあ、でも、今はそんなことはどうでもいい。
そんなことは重要じゃない。
驚愕も驚嘆も全て後回し、私はただ私のすべきことに意思を注ぐだけ。
私はただ――私にできることを――――
右腕を翳す。
公転する五枚の霊符が、銃口を模るように展開される。
既に術は起動している。
あとはただこの一撃を撃ち放つだけ――
――ドクン!
不意に心臓が騒めく。
恐怖か、不安か、疑心か――引き金に掛けた手が震えた。
その時、ふと、私の右手に手が添えられる。
っ、――――
優しい暖かさが伝わる。
同時に、心臓の騒めきが失せた。
そうだ。
私は、私を――
彼が信じてくれた、私を――
――――信じる!
意思を鋭く、私は引き金を引いた。
「炎迅・混葬――――
――――――星霜焔天ッ!」
展開された霊符が光輝き、その中央に形成された極滅の焔を撃ち出した。
それは極限まで圧縮された浄化の焔。
触れる全てを消滅させるほどの熱量を持ち、たとえ鋼であっても瞬時に蒸発させる。そしてその焔は、不浄なるモノを跡形もなく消し飛ばす極滅が聖火。
浄化の炎弾は飛ぶ、その不浄を射して――
防御も、回避も、そして反応さえもさせない。
ただ粛々とその時を享受するだけ。
私達が紡いだこの一瞬は――あなたには決して越えられない。
焼き焦がすように、灰と尽くすように、その堅牢な黒き鋼の身を穿ち抜いた。
「ギェェェェ――――ッ!?」
我が身を襲う焔の弾丸に奇声を上げる。
眼前から姿を消した獲物、己が身に空いた孔――死、死、死。
何が要因で、何が理由で、一体何が起こったのか。その全てを一切理解できないままに、その在は終わりを告げる。
殻はその苦悶を抱いたまま、その命を円環へと還す。
しかし――
――ギロッ
「「っ、――――!」」
息さえ絶えたその身で殻は背後の私達を見る。
死を前に――いや、死んだ身で、その目は何処までも濁った赤い光を宿していた。
なんて執念っ。
正直執念なんてものが、彼らにあるかはわからないけど、そう表すしかないほどの往生際の悪さだ。
崩壊を始める肉体を引いて私達を見る。
残った力を両脚に込め、最後の一撃を装填した。
まずい! 避けられない!
回避――あとたった一度回避するだけで、私達の完全勝利なのに。
その一回ができない。
私は言わずもがな、逆刃大くんももう限界だ。
本人曰く、私を助けた時に左脚を壊し、さっきので残った脚を使うと言った。だからこれ以上、彼の力に頼ることはできない。
まずい……まずいまずい!
脳をフル回転させて、必死に打開策を模索する。
しかし、どう足掻いてもこの短い間ではどうすることもできない。
霊符を展開して霊力を込める間はないし、私の身体能力じゃあ彼を抱いたまま避けられない――いや、そもそも、彼がいなくても私の力じゃあ、あの殻の一撃は避けられない。
どうする私!
一体どうすれば!
――判断が淀む。
そして、必死に悩んでいる内に、その時はやってきてしまう。
ど、どっちも、助からない……なら――――
瞬間、覚悟を決める。
彼を抱く腕に今この瞬間に込められる最大出力の霊力を流す。
せめて! 逆刃大くんだけでも――っ!
力一杯、一縷の望みに懸けて彼を投げ飛ばそうとした。
その時――
彼の目が私を見た。
迷いのない力強い目。
その目は私の行動を拒否する。同時、離れようとする私の体を力強く抱き寄せた。
彼は小さく笑う。
それは――諦めの笑みではない。
この状況でも、彼は何一つ諦めていなかった。
「その二人に――
――――――触れるな」
聞き慣れた声が耳に響いた。
そして――
「――――荒流、一閃」
次の瞬間――空を殻の首が飛ぶ。
刹那に降ろされた幕。
頭部を殻はそのまま力無く地面に崩れ、黒い血を撒き散らす。
そうしてこの戦いは終わりを告げた。
「沙耶っ!」
私は彼女の名を叫んだ。
「――――――――」
この窮地を救ったのは彼女――伏城沙耶。
名前を呼ばれて振り返った彼女は、私の無事な姿を見て安堵の表情を浮かべた。




