【お前が出せる全力をぶつけろ。全霊を込めてかかってこい。そのすべてを超えてやる!】
ミカエルの眉間にしわが寄る。この期に及んでなにを取引するというのか。
「天羽軍を地上から撤退させろ。その後天界の門を閉じ、二度と開けるな。その代わり、……私の命をやろう」
「なに?」
ルシファーからの提案にミカエルは唖然となった。弱くない衝撃が胸を突く。
そんなミカエルとは反対に、ルシファーは暗黒の空を寂しそうに見上げた。
「これで天界紛争は終わる。私が始めたこの戦いで、犠牲だけが広がって、悲しみだけが生まれた。この争いは終わらせなくてはならん」
正義のため。人類のため。そのために始めた戦いも気づけば取り返しのつかない悲劇になっていた。なんとかして防ごうとしていた悪夢そのものだ。
終わらせなくてはならない。誰かが。
「平和を作るんだろう? それが、私たちの夢だったはずだ、ミカエル。そのためには、どちらかが負けなくてはならん」
ルシファーは顔を戻し、ミカエルを見つめた。
「やれ」
「だが」
ルシファーの言葉にミカエルは躊躇った。互いの命を賭けた戦いと戦意のない者を一方的に斬るのでは話が違う。突きつけられる明確な死に、心の片鱗が引っかかる。
「やれ」
ルシファーが再度言う。さきほどよりも語気の強い、真剣な言葉だった。
だが、どう言われようが躊躇ってしまう。ミカエルの頭の中は葛藤でいっぱいだ。やることは分かってる。でも、相手はあのルシフェルだ。
天界紛争の終結。平和の実現。
けれど、親友との別れ。
かつての思い出がこの場面で溢れてくる。駄目だと思っても、楽しかったあの頃が。笑い合ったあの頃が。
一番幸せだったあの時が、脳裏に浮かんで離れない!
「やれ! やるんだ天羽長!」
「ッ……うああああああ!」
ミカエルは進んだ。言葉にならない声を叫んだ。引き裂かれる痛みに耐えて、蘇る思い出を踏みつけながら。
進んだ。
進んだ。
親友を、殺すために。
(それでいい)
必死な形相で向かう友をルシファーは見つめていた。穏やかな表情で、未来を託すに相応しい男を迎え入れた。
(すまないな、ミカエル)
この時、一瞬だけ、ルシファーは笑みを浮かべた。
その後、ルシファーの胸を剣先が貫いた。
「…………」
「…………」
互いに無言。ミカエルは下を向き、正面を向くルシファーの口元からは血が垂れだしている。柄を握るミカエルの手は震えて、剣を刺されたルシファーは不動のまま立っていた。互いにかける言葉もないまま二人はじっとしていた。
ミカエルは下を向いている。目の前の現実から目を逸らした。だけど分かっている。自分がなにをして、彼がどうなっているのか。
自分は、彼を刺したのだ。あんなにも憧れて、あんなにも信頼していたあの彼を。
いろいろあった。嫌なことも含めて。けれど、二人の最後はこんな形でした迎えられなかったのか。思ってしまう。こんなあんまりな最後のために、今までを過ごしてきたのか。
駄目だと分かっていても、思ってしまうのだ。
こんなことのために、二人は笑い合ったというのか。
「うっ」
感極まり、ミカエルから涙声が漏れた。
「泣くな」
だが、そこへルシファーが言った。
「天羽を統べる者ならば、泣くな……。笑え。どんな時も……」
ミカエルはゆっくりと顔を上げた。そこには、口元から血を垂らしながら、それでも自分を見つめているルシファーがいた。
わずかな時間、数秒もないこの時、二人は間近で見つめ合った。
それからルシファーは瞳を閉じ、体が剣から離れていった。それは後退ではなく落下だった。体が下に向かいそれによって刀身が引き抜かれていく。
ゆっくりと。まるで水中に沈んでいくかのように、ミカエルにはこの瞬間が遅く見えた。
両手を小さく広げ、一二枚の羽を出したまま。
ルシファーが、落ちていく。地上へと。皆から愛された天上の光が。
落ちていくのだ、二人の願いのために。
ルシファーは、その生涯に幕を下ろした。
彼が落ちていく。その姿を見届けミカエルの胸が空虚な思いに満たされていく。足元に広がる不毛な大地よりもなお乾いた苦しみがミカエルの喉元まで忍び寄る。
けれど。
「ふ、ふふ、ははは……」
ミカエルは、笑い出した。
「はっはっはっはっはっはっ!」
笑った、精一杯。大笑を空に響かせて、せり上がる感情を無視して笑った。
天羽長の笑い声に周囲の天羽たちも気づき、ミカエルに注目した。そして知る。怨敵ルシファーは地に落ちた。
勝った。戦いに勝利した。周囲は喜びに震え喝采は天にまで届かんほどだった。ここ一帯が勝利に酔い痴れている。
その中で、ミカエルは笑い続けていた。誰よりも。
誰よりも。
誰よりも。
その顔は、笑ってなどいなかった。
「はっはっはっはっ…………」
ミカエルは頭上を仰ぎ目を瞑った。
「これが、私たちの夢の終わりなのか、ルシファー?」
つぶやきに答える者はいない。風にかき消されるだけの独り言。自分にしか聞き取れない小言に名残を交えて、ミカエルはつぶやいていく。
「残念だよ、あまりにも……」
輝かしい思い出。それはもう戻ってこないことを知っている。だからこそ胸は痛み、心は寂しがっている。
不意に泣きそうになる。けれどそれを堪えて、無理やりに口元を持ち上げた。
そして、胸にわだかまる感情を埋葬し、まぶたを広げた。
「はは……。まったくもって、残念残念」
*
こうして、天界紛争は幕を下ろした。
ルシファーを討伐した天羽長ミカエルはその後堕天羽残党の監視のため一部の天羽を残し、あとの天羽軍を地上から撤退させ天界の門を閉じた。それが二度と開けられぬよう封印を施し、友との約束を果たした。これにより天羽による管理体制の実現は実質不可能となり、転じてルシファーが望んだ形となった。
彼が始め、彼の死によって幕を閉じた天界紛争。だが、彼の行動によって人類は自由を手に入れたと言っても過言ではない。彼の裏切りは多くの犠牲を生んだが、それにより世界は元に戻った。
人類が解放された瞬間だった。
だが、これより二千年後の今。かつての誓いを果たすため、天界の門は開かれた。
証明する時だ。
かつて夢見た理想を実現し、
二人の理想は間違っていなかったのだと、
証明する時だ。
そのために!
ミカエルは、宇宙に翼を広げていた!
「来い、イレギュラー! 私のすべてを賭けて、お前を倒す!」
漆黒の空間に、光の戦士が降臨する。
そして!
「いいぜ。来いよミカエル」
対する憑依形態の神愛も、譲れない思いのため拳を作っていた。
「お前が出せる全力をぶつけろ。全霊を込めてかかってこい。そのすべてを超えてやる! 夢は終わりだ。ここから先は、俺の未来だ!」
二人の激突が、始まろうとしていた。
彼の夢は、まだ終わらない。
次回から本編開始となります。




