私たちは歩んできたのか、ルシファー!」
短い言葉を交わし、長い沈黙が続く。胸の中のわだかまりは言葉にできず消化不良のままだ。
やらなければならないことは分かっているのに、なんであろうか、この時間は。無駄なやりとりだと分かっているのに、同時にもう二度と手に入らない貴重な瞬間だと分かってる。
どれだけ望んでも、これから先この時間はない。
「五年だ」
ミカエルは言った。二人が別れてからそれだけの時間が経った。天界紛争が始まり、いくつもの戦いを経て、二人は決戦の地に立っている。
「お前が離れてから五年になる。その間ずっと考えていたよ、いろいろと」
長かった、そしていろいろあり過ぎた。嫌なことばかりが多すぎて、そのたびに胸を痛めた。目の前の事実を否定したくても現実は変わってくれない。
失ったものは、あまりにも大きい。
「お前のせいで、どれだけの犠牲が出たと思ってる」
「いいや、犠牲ならすでに出ていたさ」
「言い訳だ」
「正義だ」
淡々と話すミカエルだったが、ここで目つきが険しくなった。ルシファーのセリフがミカエルの逆鱗に触れる。
「正義……?」
今まで水底に沈めていた感情が舞い上がった。浮き上がる汚泥が水面を一瞬で染める。
「仲間を裏切り、殺したことがかっ? お前の正義で、いったい何体の天羽が傷ついたと思ってる!?」
多くの同胞がこの天界紛争で命をなくした。それもかつては仲間だった者に刺されて消えていったのだ、その無念と悔恨は言葉に言い表せない。それほどの悪逆を、よりにもよって正義と表することに怒りを禁じ得なかった。
「ならば聞こう。お前の言う神の秩序とやらで、いったい何人の人間が苦しんだと思う!?」
しかし、ミカエルがそう言うのならルシファーにも出る言葉がある。押さえ込んでいた感情があるのはミカエルだけではない。
互いに怒りの導線を露出させたまま花火を打ち上げていたようなもの、感情のぶつかり合いは時間の問題だった。
ミカエルにとって天主に従うのは当たり前の正義だ。ミカエルだけではない、全天羽にとっての存在意義だ。分かってはいたが、それを直に否定された衝撃は大きい。
「ルシファー……、本気で言っているのか?」
「この期に及んで、冗談が出ると思うか?」
「そうだな」
予想通りの返答にこれが現実なのだと認識させられる。彼は神を信じない。従わない。当然だ、当然のことだった。だから彼は裏切り、反乱軍を結成したのだから。
「私たちに、分かり合うという余地はない」
違うのだ。すでに、決定的に。過去は過去でしかなく、今は今。
この今に、自分の道を見い出すしかない。
「お前は、すべてを裏切った」
ミカエルは腰にかけた鞘から剣を引き抜いた。鞘から目映い光が漏れ出し刀身が姿を表す。光り輝く剣を手に、ミカエルの戦意も急速に上がっていく。
戦う覚悟は出来ていた。語り合いはここで終わりだ、もうこれ以上の会話は不要。
必要なのは、行動だけだ。
答えはすでにある。
その答えを、打ち出す時だ。
「消えてくれ、あの時の約束を果たそう」
剣を構え八枚の翼が大きく広がる。威嚇し、本気の戦意をぶつけた。
変わってしまった友へ、引導を渡すため。
「お前の道を、終わらせる」
ミカエルは、戦いを告げた。
「そうだったな」
ミカエルの口にした約束という言葉にルシファーはふと得心したようにつぶやいた。
約束。もし、自分が道を誤ったときは連れ戻す。言われて思い出た。懐かしい響きだった。アルバムを開きふと思ったページから写真を取り出すように。そこに映る想いは色あせてしまったが、確かに約束という形として今も残っている。
まるで、思い出す時がくることを、知っていたかのように。
「もしかしたら、この時のために私はお前に願いを託したのかもしれないな」
あの時の自分は突きつけられた事実に心が揺れていた。
なにを選択し、なにをするのか不安だった。
「迷い、悩み、決断した。不格好ながらも抗った」
そんな自分だったからこそ、前もってブレーキをかけておいた。
でも、それはもう必要ない。自分は道を選択し、歩き出したのだから。前に進むことをもう躊躇わない。誰にも邪魔して欲しくない。誰に止められても止まるつもりはない。
それが、自分から約束した彼であろうとも。
この道を選んだこと、そこに後悔はない。
「ミカエル。私の道は終わらない。この道を歩くこと、それに意味がある!」
自らした約束を破ることになろうとも、どれだけの痛みが襲い、失うものがあろうとも。
なくしてはならないものがある。
そのためにこの道がある。歩む者がいなくなり、諦観のもと道がなくなれば、失うものは命ではない。
なにものにも代え難い、人間性だ。
それがルシファーの矜持。だが、そんなものは当然認められない。神の加護と使命に賭けて、ミカエルは反論した。
「いい加減なことを。そのこだわりすら捨てれば、すべて済んだことだろう! なぜそれが出来ん!?」
ルシファーの主張を真っ向から否定し、ミカエルは激怒する。
ぶつけるのは、互いに信条。
「人の尊厳、自由。それは大切なことだ!」
思想。
「その考えを捨てられない傲慢さが、この事態を招いたとなぜ分からない!?」
正義。
「支配による平和に、意味などないんだ!」
言葉。
「多くの犠牲を生んでまで、理想に進むことになんの意味がある!」
想い。
自身が抱く全身全霊、あらゆるものすべてを込めて。二体は飛び出した。
「ミカエル!」
「ルシファー!」
互いに互いの名を呼んだ。同じ理想を持ちながら反対した。共に歩きながら別の道を進んだ。
そして、激突した。
二人の刀身がぶつかり合う。瞬間、空気は爆発し二人の前髪を揺らした。それだけでなく球体状に空気の壁は広がり周囲の天羽を吹き飛ばす。猛烈な一撃だ、並の者なら今の一撃に耐えられない。
けれど二人は繰り出した。そのことごとくを凌いでいく。こんなところで終われない。これは運命の一戦だ、待ち望みどこかで忌避していた避けられない決闘が、こんなもので終わるはずがない。
この一戦には自分のすべてが込められている。命がおまけに思えるくらいの、多くの想いが詰まっている。
ミカエルは剣を横薙ぎした。速い。通常の天羽が振るう速度の三倍はある。それを顔色一つ変えずルシファーは受け止めた。刀身が打ち合う激しい音がなる。ルシファーは直後剣先を突き出した。剣先はミカエルの胸に伸びるが、ミカエルは剣を当て軌道をズラす。頭上まで振り上げた剣を叩きつけ、ルシファーも大振りの一撃で応戦する。
刀身の動きだけがまるで早回ししているかのように目まぐるしく軌道を描いていく。互いの剣が乱舞する度に轟風が吹き荒れていた。
「なぜだ、なぜこんなことをした!?」
空気が激しくうねり声を上げる中、それにも負けない怒声をミカエルは叫んだ。
裏切り。犠牲。仲間の死。悲しみと怒り。多くの思いがあった。もう、後戻りできない場所で思いを爆発させる。ミカエルの出す一撃一撃に全霊の思いが乗っていた。
ルシファーもまた同じく、自分の攻撃に全力の思いを込めて打ち出す。
剣だけではない、二人の決闘では思いと言葉が飛び交っていく。
「お前こそ、いつまで間違った理想を目指している! お前たちのしようとしていることは人間性の簒奪だ! そんなものに、なんの価値もない!」
「それは違う! これは平和への祈りだ。誰しもが傷つかない世界を作りたいという、願いの結晶こそが神による秩序なんだ!」
ミカエルは距離を取ると剣から片手を離し周りを指し示すように大きく広げた。彼らの周囲にはまだいたるところで戦いが起きている。誰しもが自分の信じる正義と理想のために命を賭け、地上に目を向ければ、そんな彼らの行く末が横たわっている。正義に命を投じ理想に殉じた者たちだ。
理想の結末。
自分の最後。
それが、この景色だ。多くの遺体が並ぶ死の大地。ひどい冗談だ。これのどこが理想の姿なのか。
「見ろ! この有様を! 独りよがりの理想を突き進んだ末路を直視するがいい! これがお前の望んだものか!? こんなもののためにッ」
ここは地獄だ、己の正義も命も踏みつぶされる悪夢だ。正義と正義のぶつかり合い、この戦争に悪などいない。どちらも理想に突き進んでいただけ。
罪なき者たちが光ある明日を望んで歩み出し、その先に待つのは死、あるのみ。
望んだ理想とはほど遠い、あまりにも惨い現実だった。
「私たちは歩んできたのか、ルシファー!」
その思いが口を衝いた。理想の代償としてはあんまりな結末に、悲しみと憤りが暴れている。
その思いを込めて、剣を振るった。
ミカエルの突撃にルシファーも応える。前に出て全力の一撃を振るった。戦いは再開され再び剣風が猛威を振るい始める。
二体の羽が空を切る。音速を越えた速度にソニックブームの体当たりが前方の天羽たちを吹き飛ばし、通り過ぎた後には猛風が吹き荒れる。この場の空間を蹂躙するように飛び回り、その最中で剣をぶつけ合う。
「くっ!」
「ぬぅ!」




