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天下界の無信仰者(イレギュラー)  作者: 奏 せいや
第1部 慈愛連立編
253/428

ついに、その時がきたのだ。

 けれど現実は残酷で、人は争い、罪のない者まで涙を流している。

 辛いのだ、そんな姿を見るだけで胸が締め付けられる。自分まで涙を流しそうになる。

 なのに人間は止めない。いつまでも、どこででも、無益な争いを始め不幸は終わることなく続いている。

 止めなくてはならない。人間にそれが出来ないなら、力尽くでも我々天羽がしなければならないのだ。

 すべては、みんなが笑顔で過ごせる、平和のために。

 だから、ウリエルは想いを叫んだ。


「誰にも泣いてほしくない。平和を作りたい。それのなにが悪い!」


 そこで、ルシファーが言った。


「人を見下しているからだ」 

「――――」


 言葉を、失った。ウリエルは茫然と立ち尽くす。思考は真っ白になり、ただ疑問だけが空回りしていった。


(人を、見下している?)


 思ったことはなかった、大切だと思ったことはあっても見下しているなど思ったこともなかった。愛し、守りたいと思った。でもそれは、自分よりも下だと決めつけていたからなのか。

 分からない。思考の歯車が抜け落ちて針が一向に進まない。

 自分が、分からなかった。


「人は、お前が思っているより弱くはない。彼らに翼はないが、自分で立つ足がある」


 空白となったウリエルに、ルシファーの言葉が溶け込んでいく。


「お前が言った通り、人間には善き心と悪しき心がある。時にお前の気持ちを裏切り、踏みにじるだろう。けれど、同じ心が善行に輝き未来を作っていく。悪しき心を封じることは、善き心を封じることも同然だ!」


 善悪は表裏一体。独立しては存在できない共依存(きょういぞん)

 良き心も悪しき心も同じ心。どちらかだけを封じることなど不可能だ。

 人類管理による平和、笑顔の実現はその時点で破綻している。

 人の笑顔を殺しているのは、自分自身だ。


「私は……」


 正義が道をさまよっている。どこを向けばいいのか見失い、途方に暮れる。

 行き着く答えは、自分を信じることだった。


「違う!」


 間違っていない。自分が信じた理想は間違っていないのだと、そう信じ、突き進む。

 思いとともに、無価値な炎を打ち放った。


「私はもう、悲しむ人を見たくないだけだぁああ!」


 ウリエルが放つ膨大な無価値な炎の奔流。それは直径で三メートルほどもある巨大な爆炎だった。でかい。それがとてつもない勢いでルシファーに迫る。


「お前の理想は正しい」


 だが、彼は動じていなかった。その目はまっすぐと青い炎を見つめ、その先にいる彼女へ言葉を送る。


「だが、幻想だ」


 ルシファーは片手を頭上にかかげ、新たな力を発現する。


「第六の力!」


 ルシファーがセフィラーを発動した直後、彼は無価値な炎に飲み込まれた。

 直撃! 勝った! ウリエルの意識が確信に埋まる。


「な!?」


 しかし、直後それはあっけなく砕け散った。


「無傷!?」


 無価値な炎が消えた先、そこには変わらぬ姿でルシファーが浮いていたのだ。黒いマントを波立たせこちらをまっすぐに見つめている。


「終わりだ」


 ルシファーが飛びウリエルに迫る。彼の魔剣にウリエルは切り裂かれた。


「がっ」


 胴体に傷がつき彼女は落ちていく。空を見上げ手を伸ばす。

 ウリエルは落下する中で、斬られた痛みよりもさきほどのことを考えていた。

 自分が信じてきた理想、正義、それは果たして正しかったのだろうか? 正しいと思っていた。周りもそう言っていた。

 でも、その正体は? 怒りに我を忘れ、破壊する中で、大切なものも失っていなかったのか?

 自分の道は、どこに向かっていたのか。

 大きな疑問を抱いたまま、彼女は城下町に墜落した。一軒の屋根を突き破り木製の床に激突する。瓦礫を下敷きにしてウリエルは仰向けに倒れていた。


「う……」


 斬られた痛みと全身のしびれに身動きが取れない。羽はだらしなく垂れ、全身が縛られているようだ。

 その、時だった。


「ねえ、大丈夫?」


 物陰から少年が現れ、近づいてきたのだ。ウリエルは警戒しようとしたが出来なかった。あまりにも、その子には敵意というものがなかった。純粋な目だった、本当に。


「駄目、早く離れなさい!」


 子供が出てきた物陰から母親らしき女性が顔を出す。必死に子供を引き戻そうとするが、少年は下がらなかった。


「でも、困ってる人は助けないと駄目だって、お母さん言ってたよ」

「…………」


 彼の一言に、母親も彼女も、なにも言えなかった。

 ウリエルは、泣き出した。

 見失っていた優しさに触れて、大切なものを思い出した。

 あった、ここに。彼女の愛していたものが。

 それを自ら壊そうとしていたこと、それに気づけなかったこと。

 敗北して、ようやく見つけた。

 涙が、止まらなかった。




 ウリエルが落下するのをルシファーは見続けていた。また、かつての仲間を斬った。楽しかった思い出を破り捨てるように。いくつもいくつも、黒い絵の具で過去を塗りつぶしていく。彼の人生はもう真っ黒だ、裏切り者に相応しい罪悪にまみれた自分になってしまった。

 なにを守りたかったのか、なにを成したかったのか、それすら見失いそうになる。かつての友を斬り、仲間を道ずれにするだけの理想。そんなものになんの価値があるのか。

 それでも。

 目をつぶれば思い出す。青い空と隣に立つ彼を。

 共に目指した理想があったこと。それだけは決して忘れない。そのためにここまでを歩いてきたのだから。

 そして、それは自分だけじゃない。

 並んで立ち、同じ場所を目指した友がいたこと、同じ理想に従事した相棒がいたことを。忘れてなんかいない、忘れるはずがない。

 あの、輝いていた瞬間を。

 彼もまた、その瞬間を忘れられない者だった。


「ルシファー」

「来たか」


 ついに、その時がきたのだ。

 ルシファーはゆっくりと頭上へ視線を向けた。上から声をかけてきた男の姿を確認する。懐かしい顔だ、五年前に比べて少しだけ髪が伸びたように見える。表情もあどけない青年ではなく凛々しい顔つきとなっていた。でも彼だ。変わらない、思い出の中にいる彼のまま。

 友は、現れた。


「ミカエル」


 天羽長ミカエル。天羽軍の総司令官直々に、最前線たるこの場所へと赴いていた。それは本来なら愚の骨頂。司令官自ら戦線に出るなどもしものことがあれば軍そのものが機能しなくなる。

 でも、それを言えばルシファーも当てはまる。そして、それはミカエルも承知の上。すべて覚悟の上で立っていた。

 ルシファーを前線に引っ張ってくる。それがこの作戦の意義。こうでもしなければ彼とは出会えない。それは実を結び、この大一番で二人は五年ぶりの再会を果たしていた。

 ミカエルはルシファーの正面へと降り、そこで止まった。互いに相手を見つめている。複雑な空気が漂っていた。多くの思いが入り交じり混濁となった、濃密な沈黙が続く。

 ミカエルも、ルシファーもなにを言えばいいのか分からなかった。久しぶり? 違う。相手は敵だ、適切ではない。討伐の宣言? いや、今更だ。

 ではなんだ? なにを聞きたい? なにを言いたい? 分からない。たくさん聞きたいこと、言いたいことがあるはずなのに。言葉がなかなか出てこない。

 この五年は、言葉で表すには大き過ぎた。二人の溝は、五年間で広がりすぎた。

 それでも始めなければならない。最初に口を開いたのは、ミカエルだった。


「なぜ、仲間に剣を向けた?」

「私たちは、すでに仲間ではない」

「…………」

「…………」

「そうだったな」

「…………」

「…………」


 重苦しい。呼吸をするのも躊躇われるほどの空気だ。険悪とも気まずいとも違う、緊張感が漂う。


「天羽長になったんだな」

「まあな」

「…………」

「…………」


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