第8話「新しい薬草茶と、休憩を忘れる店主」
フェリシアの朝は、薬草の香りとともに始まる。
窓から差し込む柔らかな光。
棚に並んだ小瓶。
そして、カウンターの上に広げられた、たくさんの薬草。
「……ふむ」
ランは真剣な顔で、小さな瓶を見つめていた。
昨日、商業区で仕入れた薬草だ。
森では見かけなかった種類もあり、香りも少しずつ違っている。
乾燥させた葉を指先で軽く揉むと、爽やかな香りがふわりと広がった。
「やっぱり、少し甘い香りがしますね……」
ランは薬草を鼻に近づけ、目を細めた。
これを、いつもの薬草茶に少し混ぜたらどうなるだろう。
森で教わった組み合わせも大切だけれど、王都で新しく出会った薬草にも、それぞれ違ったよさがある。
せっかくなら、それを生かした商品を作ってみたい。
「……よし!」
ランは小さく頷き、乳鉢を手に取った。
まずは少量ずつ、香りを確かめながら混ぜてみよう。
そう考えたところで、ふと、昨日のディアンの言葉が頭をよぎった。
『店に戻ったら休憩を取れ。魔力を使った後は、無理をするな』
「…………」
ランは、少し考えた。
「今日は魔法を使わないので、大丈夫ですね」
そう結論づけ、再び薬草へ向き直る。
……どうやら、彼の言葉は少し違う形で解釈されてしまったらしい。
◇ ◇ ◇
最初の試作品は、少し香りが強すぎた。
「……あれ?」
湯を注いだカップから漂ってきたのは、想像していたよりもずっと濃厚な香りだった。
飲めないほどではない。
けれど、ゆっくり楽しむお茶としては、少し主張が強すぎる気がする。
「もう少し、こちらを減らして……」
ランは記録帳に分量を書き込み、次の試作品を用意した。
二つ目は、香りが穏やかになった。
けれど、今度は少し物足りない。
「うーん……」
首を傾げる。
森の薬草を少し足してみようか。
それとも、花の香りがする葉を混ぜてみようか。
考え始めると、次々に試したい組み合わせが浮かんでくる。
ランは夢中になって、薬草を量り、混ぜ、湯を注いだ。
一つ目。
二つ目。
三つ目。
気づけば、カウンターの上には小さなカップがいくつも並んでいた。
「……あっ」
ようやく手を止めたランは、窓の外を見た。
日差しの角度が変わっている。
朝の光は、いつの間にか昼の明るさへと変わっていた。
「……お昼、ですね」
そういえば、朝ごはんを食べてから何も口にしていない。
お腹が空いているはずなのに、薬草茶のことを考えていたら、すっかり忘れていた。
「……いけません」
ランは、少し反省した。
育ての母にも、よく言われていたのだ。
夢中になるのはいいけれど、自分のこともきちんと考えなさい、と。
「お昼を食べましょう」
そう宣言して、ランは台所へ向かった。
……ただし、その前に。
「この組み合わせだけ、もう一度試してから……」
小さくつぶやき、カウンターへ戻ってしまった。
◇ ◇ ◇
カラン、カラン。
入口の鐘が鳴ったのは、それからしばらく経った頃だった。
「いらっしゃいませ!」
ランは、いつものように顔を上げた。
そして、そこに立っていた人物を見て、ぱっと表情を明るくした。
「あっ、ディアンさん!」
「……また会ったな」
黒い制服に身を包んだディアンは、店内へ足を踏み入れた。
今日は巡回の途中だった。
近くの通りを確認しているうちに、ふとフェリシアのことが頭に浮かんだ。
店主は、昨日買った薬草を使って何か作ると言っていた。
どんな商品ができたのか。
それが気になったのは、仕事とはあまり関係のない理由だったけれど。
「今日は、何をお探しですか?」
「そうだな……」
ディアンは店内を見渡した。
カウンターの上には、小さなカップがいくつも並んでいる。
その隣には、薬草の入った瓶や、細かい文字が書かれた記録帳。
そして。
「…………」
ディアンは、ランの顔を見た。
「店主」
「はい?」
「お前、昼食は食べたか?」
「……えっ?」
ランは、ぴたりと動きを止めた。
ディアンは、ゆっくりとカウンターへ近づいた。
「その様子だと、まだだな」
「……どうして分かったんですか?」
「顔を見れば分かる」
ランは慌てて頬に手を当てた。
そんなに分かりやすい顔をしているだろうか。
「でも、もう少しで試作品が完成しそうで……」
「ほう」
ディアンは、カウンターに並んだカップを見下ろした。
「それで、朝からずっとこれを作っていたのか?」
「はい。昨日仕入れた薬草を使って、薬草茶を試作しているんです」
ランの瞳が、きらきらと輝いた。
「こちらは香りが強くて、こちらは少し穏やかなんです。でも、もう少し甘い香りがあるとよさそうで……」
「……なるほど」
ディアンは頷いた。
説明を聞いている間、ランはとても楽しそうだった。
自分の好きなことに夢中になっているときの彼女は、本当に生き生きとしている。
見ていて飽きない。
……だが。
「ラン」
「はい?」
「食事は?」
「……まだです」
「休憩は?」
「……していません」
「水分は?」
「……お茶を、少し」
ディアンは、静かに目を閉じた。
数秒後。
にこり、と笑った。
「なるほど。では、店主」
「は、はい」
「今すぐ、その記録帳を閉じろ」
「……えっ」
「食事をして、休憩を取れ」
声は穏やかだった。
穏やかすぎるほどに。
ランは、思わず背筋を伸ばした。
「で、でも、あと少しで……」
「あと少し、か」
ディアンは微笑んだまま、カップを一つ手に取った。
「その言葉を使う人間が、本当にあと少しで終わったところを、俺はあまり見たことがない」
「…………」
「違うか?」
「……違いません」
ランは、しゅんと肩を落とした。
図星だった。
ディアンはカップを元の場所へ戻した。
「試作品は逃げない。食事をしたあとでも作れるだろう」
「……はい」
「それに、空腹のままでは、味の判断も鈍るんじゃないか?」
「……!」
ランは目を丸くした。
確かに、そうかもしれない。
薬草茶の香りや味を比べるなら、自分の体調も整えておいたほうがいい。
「……分かりました。お昼を食べます」
「よろしい」
ディアンは満足そうに頷いた。
そして、ふと店の奥へ視線を向けた。
「食べるものはあるのか?」
「ええと……パンが少し」
「それだけか?」
「……はい」
ディアンは、また小さく息をついた。
「店主。お前は商売を始める前に、生活の仕方を学んだほうがいいな」
「……そんなにでしょうか?」
「そんなにだ」
ランは、困ったように笑った。
けれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
叱られているのに、どこか安心する。
それは、ディアンが本当に自分のことを心配してくれていると分かるからかもしれなかった。
◇ ◇ ◇
結局、ディアンは近くの食堂で買ってきた軽食を、店のカウンターへ置いた。
焼きたてのパンと、野菜を挟んだサンドイッチ。
それから、小さな果物も一つ。
「……あの、ディアンさん?」
「何だ」
「これは……?」
「昼食だ」
「それは、見れば分かりますけれど……」
「なら、食べろ」
ランは、目の前の包みとディアンを交互に見た。
「でも、わざわざ買ってきてくださったんですか?」
「店の近くだ。ついでだ」
「……ありがとうございます」
ランは、少しだけ頬を緩めた。
誰かに食事を用意してもらうなんて、久しぶりだった。
森にいた頃は、育ての母が薬草店の合間に食事を用意してくれたり、父が森で採ってきた果物を分けてくれたりした。
そのときの温かさを、ふと思い出す。
「……いただきます」
ランは手を合わせ、サンドイッチをひと口食べた。
ふんわりしたパンに、野菜の瑞々しさ。
少しだけ酸味のあるソースが、よく合っていた。
「……おいしいです」
自然と笑みがこぼれる。
ディアンは、その表情を見て、目を細めた。
「そうか」
「はい。ディアンさんも、よろしければ……」
「俺は食べてきた」
「そうなのですね」
ランは、もうひと口食べた。
おいしい。
それに、誰かとこうして食事をするのも、悪くない。
……ただ。
「ディアンさん」
「何だ」
「私、今度からちゃんと休憩を取りますね」
ランは、真剣な顔で言った。
「せっかくお店を始めたのですから、長く続けたいですし……それに、心配してくださる方に、ご迷惑をかけたくありませんから」
ディアンは、少しだけ目を見開いた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……そうしてくれ」
彼女が自分の言葉を、きちんと受け止めてくれた。
それが、思いのほか嬉しかった。
もちろん、これで完全に安心できるとは思っていない。
ランはきっと、また夢中になる。
そして、自分のことを後回しにする。
けれど。
少しずつでも、自分の体を大切にするようになってくれればいい。
そう思った。
◇ ◇ ◇
昼食を終えたランは、食器を片づけてから、改めて試作品を見せた。
「ディアンさん、よろしければ、香りを確かめていただけませんか?」
「……俺が?」
「はい。香りの好みは、人によって違うと思うので」
ランは、三つの小さなカップを並べた。
「こちらは、爽やかな香り。こちらは、少し甘め。そして、こちらは花の香りが強いものです」
ディアンは、順番に香りを確かめた。
最初のものは、すっきりしている。
二つ目は、柔らかく甘い香り。
三つ目は、花の香りが強く、少し華やかだった。
「……二つ目がいいな」
「本当ですか?」
「ああ。香りが強すぎず、落ち着く」
ランは、ぱっと顔を輝かせた。
「ありがとうございます!」
「……そんなに嬉しいものか?」
「はい! 自分以外の方にも気に入っていただけると、もっと工夫してみようと思えるんです」
その言葉に、ディアンは静かに頷いた。
ランは、もう一度カップを見つめた。
「……この組み合わせなら、もう少し花の香りを加えてもいいかもしれません」
「おい」
「あっ」
ランは、はっと顔を上げた。
ディアンは、笑顔のまま彼女を見つめていた。
「休憩は終わったばかりだぞ」
「……はい」
「今日はもう、試作は終わりだ」
「……はい」
ランは、素直に頷いた。
そして、少し考えてから、ふわりと笑った。
「……でも、明日が楽しみです」
ディアンは、一瞬だけ言葉を失った。
叱られても、注意されても。
ランは、明日を楽しみにできる。
失敗したことを悔やむより、次に何ができるかを考える。
その前向きさは、きっと彼女の強さなのだろう。
「……そうか」
ディアンは、柔らかな声で答えた。
「なら、明日は今日より少しだけ、うまくやれ」
「はい!」
ランは、嬉しそうに頷いた。
その笑顔を見て、ディアンは心の中で小さくため息をついた。
……本当に、困った店主だ。
だが、もう一度この笑顔を見たいと思っている自分がいる。
それもまた、困ったことだった。
◇ ◇ ◇
帰り際、ディアンは入口で振り返った。
「ラン」
「はい?」
「明日も、店は開いているか?」
「はい! いつもどおり営業する予定です」
「……そうか」
ディアンは頷いた。
「なら、また寄る」
「本当ですか? お待ちしております!」
ランは、嬉しそうに微笑んだ。
扉が閉まり、鐘の音が静かに響く。
ランは、しばらく入口を見つめていた。
「……優しい方ですね」
そうつぶやいて、カウンターへ戻る。
今日も、たくさんのことを学んだ。
薬草茶のこと。
休憩の大切さ。
そして、誰かに心配してもらえることの温かさ。
ランは、机の上の記録帳をそっと閉じた。
明日も、きっと新しいことがある。
そう思うと、胸が弾んだ。
一方、店を離れたディアンは、夕暮れの通りを歩いていた。
今日も、仕事の合間に店へ立ち寄った。
そして、また明日も行こうとしている。
……完全に、通う理由ができてしまったな。
ディアンは小さく笑った。
薬草茶の試作が気になる。
店の様子も気になる。
そして何より。
あの、何かを見つけるたびに目を輝かせる少女のことが、気になって仕方がない。
「……まいったな」
夜の空を見上げる。
東の空には、淡い月が浮かび始めていた。
ディアンはしばらく月を眺めてから、再び歩き出した。
明日も、きっとフェリシアは穏やかな一日を迎えるだろう。
ただ、その小さなお店を訪れる理由が、少しずつ変わり始めていることだけは、もう誤魔化せそうになかった。
ーーそして、フェリシアの二階では。
ランが窓辺で、温かいお茶を飲んでいた。
「……おいしい」
今日作った試作品ではなく、いつもの薬草茶。
ゆっくりと香りを楽しみながら、ランは窓の外を見つめた。
月明かりが、静かな通りを優しく照らしている。
明日は、今日より少しだけ上手にできるだろうか。
もっとおいしい薬草茶を作れるだろうか。
もっと、お客さんに喜んでもらえるだろうか。
そんなことを考えながら、ランは小さく微笑んだ。
明日も、いい日になりますように。
そう願いながら、温かいカップを両手で包み込んだ。
小さな魔法雑貨店フェリシア。
そこには今日も、穏やかな夜が訪れていた。




