第7話「初めての仕入れと、頼れる隊長さん」
フェリシアを開店してから、数日が経った。
店を訪れるお客さんは、まだ多いとは言えない。
それでも、香り袋を気に入ってくれた女性が再び来店してくれたり、薬草茶を買った男性が友人を連れてきてくれたりと、少しずつ顔なじみが増えていた。
ランにとって、それは何より嬉しいことだった。
ただ、一つだけ問題がある。
「……薬草が、少なくなってきましたね」
カウンターの上に並べた小瓶を見て、ランは困ったように首を傾げた。
森から持ってきた薬草は、まだ少し残っている。
けれど、すべて使い切ってしまうわけにはいかない。
今後も商品を作り続けるためには、王都で仕入れ先を見つける必要があった。
「確か、商業区にあるとおっしゃっていましたね」
ランは、机の端に置いてあった紙を手に取った。
そこには、ディアンが教えてくれた薬草店の場所が書かれている。
通りの名前と、目印になる建物。
何度も読み返したので、道順はだいたい覚えたつもりだった。
「……よし!」
ランは小さく気合いを入れた。
今日はお店を少し早めに閉めて、仕入れに出かけることにしたのだ。
商品を補充するための大切な仕事。
それに、王都の商業区には、まだ見たことのないものがたくさんあるはずだ。
考えただけで、胸が弾んだ。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
フェリシアの扉には『CLOSED』の札が掛けられていた。
ランは戸締まりを確認し、小さな鞄を肩に掛けた。
中には財布と仕入れ用のメモ、それから、母が持たせてくれた薬草の記録帳が入っている。
「……行ってきます」
誰もいない店内にそう声をかけて、扉を閉めた。
通りへ出ると、柔らかな風が頬を撫でた。
王都の中心部へ近づくにつれて、人通りが増えていく。
大きな荷車を引く獣人。
店先で商品を並べる人間。
工房から出てきたドワーフが、何やら小さな機械を手に議論している姿も見えた。
ランは、ついつい足を止めてしまう。
「……あれは、何でしょう?」
道端に置かれた金属製の箱から、小さな光が点滅していた。
近くにいた男性が箱の側面を開くと、中から細い金属板が何枚も飛び出し、くるくると回り始める。
どうやら、何かの部品を調整しているらしい。
「すごい……」
ランは、目を輝かせた。
魔法だけではなく、機械の仕組みも組み合わさっているように見える。
どうやって動いているのだろう。
魔力はどこから供給されているのだろう。
もう少し近くで見たい。
そう思った、そのとき。
ふと、鞄の中のメモが目に入った。
「……いけません。今日は仕入れです」
ランは、名残惜しそうに箱を振り返った。
帰りに、まだあったら見せてもらおう。
そう心に決めて、再び歩き始めた。
◇ ◇ ◇
商業区に入ると、街の雰囲気はさらに変わった。
大通りの両側には、さまざまな店が並んでいる。
魔法道具の専門店。
精霊を模した小さな置物を売る店。
ドワーフが作った精密な機械を扱う店。
そして、香辛料や食材を売る市場。
どこからともなく、焼き菓子の甘い香りが漂ってきた。
「……おいしそう」
ランのお腹が、きゅう、と鳴った。
思わず周囲を見回す。
幸い、近くを歩いていた人は気づいていないようだった。
「……帰りに、何か買いましょう」
小さくつぶやき、ランは歩みを進めた。
やがて、通りの奥に、木製の看板を掲げた店が見えてきた。
看板には、薬草の葉と小瓶の絵が描かれている。
扉の横には、乾燥させた植物が束になって吊るされていた。
「……ここですね」
ランは、ほっと息をついた。
ようやく目的地に着いた。
扉を開けると、乾燥した葉の香りがふわりと漂ってきた。
「いらっしゃい」
店の奥から、落ち着いた声が聞こえる。
カウンターに立っていたのは、灰色の髪を後ろで束ねた年配の女性だった。
「こんにちは。薬草を仕入れたくて、伺いました」
「仕入れ? あなた、お店をやっているのかい?」
「はい。少し前に、王都で魔法雑貨店を開きました」
「へえ。どの辺りだい?」
ランが通りの名前を伝えると、女性は「ああ」と頷いた。
「静かな通りだね。新しくできた店っていうのは、あんたのところかい」
「ご存じなのですか?」
「商業区じゃ、店が一軒増えれば話題になるもんさ」
女性は笑い、棚から数種類の薬草を取り出した。
「それで、何が必要なんだい?」
ランは鞄からメモを取り出した。
「こちらと、こちら。それから、できれば香りのよい花も少し……」
必要な薬草の名前と量を、一つずつ伝えていく。
女性はその内容を聞きながら、時折、感心したように目を細めた。
「ずいぶん細かく使い分けるんだね」
「森で教わった方法なのです。薬草は、採れた場所や乾燥の仕方によっても、香りや使い心地が変わるので……」
「なるほどねえ」
女性は、薬草を一つ手に取った。
「じゃあ、これはどうだい? こっちの種類は少し香りが強いけれど、あんたの使い方なら合うかもしれないよ」
「……!」
ランの目が輝いた。
「本当ですか? ぜひ、香りを確かめてもいいですか?」
「もちろんさ」
ランは薬草を受け取り、そっと香りを確かめた。
爽やかさの中に、ほのかな甘みがある。
森で使っていたものとは少し違うけれど、組み合わせ次第では、とてもよい薬草茶が作れそうだった。
「……素敵な香りですね」
「だろう? 王都の近郊で採れるものさ。森の薬草とは、また違ったよさがある」
ランは嬉しそうに頷いた。
知らなかったことを教えてもらえる。
自分の知識だけでは出会えなかったものに出会える。
それが、とても楽しかった。
◇ ◇ ◇
必要な薬草を選び終え、会計を済ませたランは、包みを大切に鞄へしまった。
「ありがとうございました。また、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。分からないことがあったら、いつでも聞きにおいで」
「はい!」
店を出たランは、満足そうに空を見上げた。
仕入れは大成功だ。
新しい薬草も手に入ったし、王都の薬草についても少し知ることができた。
早くお店に戻って、試してみたい。
そう思いながら歩いていると、前方の通りで人だかりができているのが見えた。
「……何でしょう?」
何人かが足を止め、通りの中央を見つめている。
その向こうから、焦ったような声が聞こえてきた。
「止まれ! 誰か、そっちを押さえてくれ!」
ランは足を止めた。
人々の間から見えたのは、大きな荷車だった。
荷台には木箱が積まれている。
どうやら、荷車を引いていた獣人の男性が、車輪の不具合に気づいたらしい。
しかし、荷車は坂道に差しかかっていた。
荷台がゆっくりと傾き、積まれた木箱がずれ始める。
「あっ……!」
ランは思わず声を上げた。
このままでは、荷物が落ちてしまう。
周囲の人々も気づいたようだが、荷車は重く、簡単には止められそうになかった。
ランは鞄を抱え直した。
どうしよう。
何か、できることはないだろうか。
魔法で荷物を支えられれば。
けれど、あの木箱を全部支えるには、どれくらいの魔力が必要なのだろう。
考えるより先に、ランは一歩踏み出していた。
「……少しだけなら!」
指先に魔力を集める。
木箱の周囲に、淡い光が浮かび上がった。
落ちかけた箱が、ほんの一瞬だけ宙に留まる。
「おおっ!?」
周囲から驚きの声が上がった。
けれど、重い荷物をいくつも支えるには、ランの魔力では足りなかった。
木箱が再び傾き始める。
「……っ!」
ランは歯を食いしばった。
もう少し。
あと少しだけ。
そう思った瞬間だった。
「そこまでだ」
低く、落ち着いた声が響いた。
次の瞬間、荷車の傍らに一人の男が立った。
黒い制服。
漆黒の髪。
青みがかった黒い瞳。
「……ディアンさん?」
ランが目を瞬かせる。
ディアンは一瞬だけ彼女に視線を向けたあと、すぐに荷車へと向き直った。
「全員、荷台から離れろ。荷物は俺が押さえる」
その声に、周囲の人々がさっと動いた。
ディアンは片手で荷車の傾きを抑え、もう片方の手でずれかけた木箱を支えた。
その動きは、驚くほど速かった。
重い荷車が、ぴたりと止まる。
「……すごい」
ランは、思わずつぶやいた。
ディアンは、荷車の車輪を確認した。
「車軸が緩んでいる。無理に動かすな」
「す、すまねえ……! まさか、こんなところで壊れるとは……」
獣人の男性が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「謝るのは後でいい。まずは荷物を下ろせる場所まで移動させる。そこの者、近くの工房へ連絡してくれ」
「はい!」
周囲の人々が、すぐに動き始めた。
ディアンは的確に指示を出し、荷車を安全な場所へ誘導していく。
その姿には、普段の静かな雰囲気とは違う、隊長としての威厳があった。
やがて、荷車は無事に安定した場所へ移された。
木箱も一つも落ちることなく、事故は大事に至らずに済んだ。
「……よかった」
ランは、ほっと息を吐いた。
そのとき、ディアンがこちらへ振り返った。
「ラン」
「は、はい!」
「……何をしていた?」
「えっ?」
ランはきょとんとした。
「荷物が落ちそうだったので、少しだけ魔法で支えようと……」
「少しだけ、か」
ディアンは、静かに彼女を見つめた。
「お前は、自分がどれだけの荷物を支えようとしたのか分かっているのか?」
「……えっと」
ランは視線を泳がせた。
「……あまり、考えていませんでした」
「だろうな」
ディアンは小さく息をついた。
「助けようとしたことは悪くない。だが、自分にできる範囲を見極めろ。無理に魔力を使い切れば、倒れることもある」
「……はい」
ランは、しゅんと肩を落とした。
怒られている。
けれど、声を荒らげているわけではない。
ただ、本当に心配してくれているのだと分かった。
「……すみません」
「謝るより、覚えておけ」
ディアンは少しだけ表情を和らげた。
「お前が無事でいることも、周囲にとっては大切なんだ」
ランは、はっと顔を上げた。
自分が倒れたら、両親が心配する。
お店だって、続けられなくなるかもしれない。
誰かを助けたいと思うなら、自分自身のことも考えなければいけないのだ。
「……はい。気をつけます」
今度は、先ほどよりも真剣に頷いた。
ディアンはその様子を見て、ようやく納得したように息をついた。
「よし」
そして、ランの鞄に目を向ける。
「……仕入れか?」
「あっ、はい! 薬草を買いに来たんです」
「そうか」
ディアンは、ほんの少しだけ目を細めた。
「必要なものは買えたのか?」
「はい! 新しい薬草も教えていただけました」
ランは、嬉しそうに鞄を抱え直した。
「早くお店に戻って、試してみたいんです」
「……そうか」
その表情を見て、ディアンは内心で小さく笑った。
さっきまで魔力を使い切りそうになっていたことなど、もう忘れているのではないだろうか。
いや、本人なりに反省はしているのだろう。
ただ、興味のあることを見つけると、どうしても夢中になってしまうらしい。
「ラン」
「はい?」
「帰りは、寄り道をせずに戻れ」
「……えっ」
「その顔は、何か見に行くつもりだったな」
「……少しだけ、気になる機械がありまして」
「やはりか」
ディアンは、思わず額に手を当てた。
ランは、申し訳なさそうに笑った。
「……帰り道に、少しだけ」
「駄目だ」
「……はい」
即答だった。
けれど、ランがあまりにも素直に返事をしたものだから、ディアンはかえって調子が狂った。
「……本当に分かっているのか?」
「はい。今日はお店に戻って、薬草の整理をします!」
「それならいい」
「それに、新しく買った薬草でお茶を作ってみたいんです。どんな香りになるのか、とても楽しみで……」
話しているうちに、ランの瞳がきらきらと輝き始めた。
ディアンは数秒、彼女を見つめた。
「……お前な」
「はい?」
「いや、もういい」
これ以上何か言ったところで、きっと悪気なく笑顔で返されるだけだろう。
ディアンは小さく息をついた。
「せめて、店に戻ったら休憩を取れ。魔力を使った後は、無理をするな」
「……分かりました」
「本当だな?」
「はい!」
「……その返事も、少し信用できないな」
「ええっ?」
ランは目を丸くした。
そんなに信用できない返事だっただろうか。
首を傾げる彼女を見て、ディアンはとうとう小さく笑った。
「まあいい。何かあれば警備隊に連絡しろ。店の近くにも詰所がある」
「ありがとうございます、ディアンさん」
ランは、心から嬉しそうに微笑んだ。
「ディアンさんがいてくださって、本当に助かりました」
「……俺は仕事をしただけだ」
「それでも、です」
迷いのない言葉だった。
ディアンは、一瞬だけ返事に詰まった。
こういうところだ。
ランは、誰かに感謝するとき、少しもためらわない。
相手がどんな立場の人間であっても、まっすぐに気持ちを伝える。
その素直さが、どうしようもなく心に残る。
「……どういたしまして」
ディアンは、いつもより少しだけ柔らかい声で答えた。
◇ ◇ ◇
その後、荷車の修理を手配し終えたディアンは、再び巡回へ戻ることになった。
別れ際、ランは何度も頭を下げた。
「本当にありがとうございました。今度、お店にもいらしてくださいね」
「……ああ」
「薬草茶も、いろいろな種類をご用意していますから!」
「分かった。機会があれば寄ろう」
「はい! お待ちしております!」
ランは笑顔で手を振った。
ディアンは少し歩いたところで、ふと足を止めた。
振り返ると、ランはまだこちらを見送っていた。
目が合うと、もう一度、ぺこりと頭を下げる。
ディアンは、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……まったく」
小さくつぶやき、今度こそ歩き出す。
警備隊長として、街の安全を守る。
それが自分の仕事だ。
新しくできた店の様子を確認することも、街で起きたトラブルに対応することも、何一つ特別なことではない。
だが。
「……また、顔を見に行くか」
その言葉は、誰にも聞かれることなく、街の喧騒に溶けていった。
◇ ◇ ◇
フェリシアへ戻ったランは、買ってきた薬草をカウンターに並べた。
「ふふっ……」
思わず、頬が緩む。
新しい薬草。
知らなかった香り。
親切な薬草店の女性。
そして、今日も助けてくれたディアン。
王都に来てから、毎日新しいことがある。
知らないことを知るたびに、もっと知りたいと思う。
もっと学んで、もっと工夫して、もっとおいしい薬草茶や、便利な魔法雑貨を作れるようになりたい。
そして、自分のお店に来てくれる人たちに、喜んでもらいたい。
「……よし!」
ランは腕まくりをした。
まずは、買ってきた薬草の整理。
それから、香りを確かめて、どんな組み合わせが合うのか考えてみよう。
……あ。
その前に、休憩だった。
ランはぴたりと手を止めた。
「…………」
数秒、考える。
「……お茶を淹れてから、休憩しましょう」
自分で買ってきた薬草の香りを確かめるのも、大切な仕事だ。
そう結論づけ、ランは台所へ向かった。
もちろん、休憩のつもりが夢中になってしまう可能性については、まだあまり深く考えていない。
窓の外では、夕暮れがゆっくりと街を染め始めていた。
静かな通りに、フェリシアの窓から温かな光がこぼれる。
今日も、小さなお店の一日が終わろうとしていた。
そしてランは、まだ知らない。
今日の出来事をきっかけに、ディアンが彼女のことを以前よりも気にかけるようになったことを。
次に店を訪れたとき、彼がどんな顔で自分を迎えるのかも。
ランにとっては、頼りになる知り合いが一人増えた。
ただ、それだけのこと。
けれどディアンにとっては、もう少し違う意味を持つ出会いになり始めていた。
王都の片隅にある、小さな魔法雑貨店。
その扉の向こうで、二人の物語は少しずつ進んでいく。




