第1話「森を出て、王都へ」
王都へ向かう馬車の窓から、ランは飽きることなく外の景色を眺めていた。
森を出てから、今日で三日目。
見慣れた木々はいつの間にか遠ざかり、代わりに広い草原や、どこまでも続く街道が窓の向こうを流れていく。
その景色だけでも十分に新鮮だったけれど、御者の男性が「そろそろ見えてきますよ」と声をかけた瞬間、ランの胸は期待でいっぱいになった。
「もうすぐ、ですか?」
「ええ。あの丘を越えれば王都が見えるはずです」
「わあ……!」
ランは窓に身を乗り出しかけて、慌てて座り直した。
育ての母からは、何度も言われている。
――ラン、初めての場所だからって、あまり身を乗り出してはいけませんよ。ーー
そのたびに「はい」と返事をしてきたのだから、ここはきちんと守らなくては。
そう思いながらも、窓の外へ向かう視線は止められなかった。
やがて馬車が丘を越える。
視界が開けた、その先に。
「…………」
ランは、言葉を失った。
遠くに見えるのは、空へ向かってそびえる白い塔。
その周囲には、どこまでも広がる街並みがあった。
石造りの建物が整然と並び、ところどころに高い建造物が顔を出している。
街を囲む城壁の向こうには、森で見ていた景色とは比べものにならないほど多くの建物が集まっていた。
そして、街のあちこちに、淡い光が浮かんでいる。
「……あれ、魔法灯でしょうか?」
ぽつりとつぶやく。
まだ日が高いというのに、街道沿いの柱には小さな光の玉が灯っていた。
よく目を凝らせば、一定の間隔で並んだ光が、まるで道を案内するように続いている。
森にも魔法はあった。
けれど、それは植物の成長を助けたり、薬草から余分な水分を取り除いたり、火を起こしたりといった、暮らしに根差したものが中心だった。
こんなふうに、街全体へ魔法を組み込むなんて。
「すごい……!」
ランの瞳が、きらきらと輝いた。
「お嬢さん、王都は初めてですか?」
御者の男性が、楽しそうに尋ねる。
「はい! 私、ずっと森で暮らしていたので……こんなに大きな街は初めてなんです」
「そりゃあ、驚くでしょうな。王都には色々な種族がいますからね。人間に獣人、エルフにドワーフ。精霊だって、探せばそこらじゅうにいると言いますよ」
「精霊も!」
ランは思わず声を弾ませた。
精霊は、森にもいた。
けれど、いつも姿を見せてくれるわけではないし、気まぐれに現れては、こちらが尋ねる前にどこかへ行ってしまうことも多かった。
王都では、どんな精霊に会えるのだろう。
ーー花の精霊はいるだろうか。
ーー水の精霊は?
もしかしたら、森では見たことのない精霊にも会えるかもしれない。
考え始めると、次から次へと疑問が浮かんでくる。
ランは膝の上に置いた鞄を、そっと抱きしめた。
中には、両親が用意してくれた開業資金と、森から持ってきた薬草や道具が入っている。
小さな薬草瓶。
使い慣れた乳鉢。
母から譲ってもらった薬草の記録帳。
そして、父が手入れしてくれた魔法道具。
どれも大切なものばかりだ。
これからは、これらを使って自分のお店を作る。
森で両親の薬草店を手伝っていた頃から、ずっと夢見ていたことだった。
「お父さん、お母さん……私、頑張るからね」
小さくつぶやく。
きっと、簡単なことばかりではないだろう。
森の外で暮らしたことはないし、商売についても、まだまだ知らないことがたくさんある。
ーーそれでも。
自分のお店を開いて、訪れてくれた人に喜んでもらいたい。
森で教わったことを生かして、誰かの役に立ちたい。
そう考えると、不思議と不安よりも楽しみな気持ちのほうが大きかった。
馬車はゆっくりと街道を進み、やがて王都の門へと近づいていく。
門の両脇には、鎧を身につけた警備兵たちが立っていた。
その向こうからは、荷車を引く獣人や、職人らしきドワーフ、長い耳を持つエルフたちが次々と出入りしている。
人々の姿を目で追っていたランは、ふと、門の脇に設置された奇妙な装置に気づいた。
石造りの台座に、透明な結晶がいくつも埋め込まれている。
「あの……御者さん」
「はい?」
「あそこにあるものは、何でしょう?」
「ああ、あれですか。街に入る荷車の確認をする魔道具ですよ。荷物に危険な魔法道具なんかが紛れていないか、調べるんです」
「荷物を調べる魔法道具……!」
ランは目を丸くした。
薬草の状態を調べる道具なら知っている。
けれど、荷車ごと確認する魔道具なんて、森では見たことがなかった。
仕組みはどうなっているのだろう。
どんな魔法式が使われているのだろう。
ーーもし中を見られたら――。
「お嬢さん」
「はいっ」
「気になるのは分かりますが、あまりじっと見ていると…… 。 ほら、順番が来ますよ」
「あっ、すみません!」
ランは慌てて座り直した。
御者の男性は、くすりと笑う。
「好奇心旺盛なのはいいことですな」
「……そうでしょうか?」
「ええ。ただ、王都には面白いものが山ほどあります。全部に足を止めていたら、いつまで経っても目的地に着きませんよ」
「……なるほど」
ランは真剣な顔でうなずいた。
そして、もう一度だけ、魔道具を振り返った。
――あとで、もう一度見に来よう。ーー
そんなことを考えているうちに、馬車は門をくぐった。
目の前には、人々の声と足音、荷車の車輪が石畳を転がる音。
見たことのない建物。
見たことのない道具。
見たことのない暮らし。
そのすべてが、ランを待っていた。
「……わあ」
今度は、声を抑えることができなかった。
こうしてランの、王都での新しい生活が始まった。
このときの彼女は、まだ知らない。
これから開く小さなお店が、たくさんの出会いを運んでくることも。
その中に、彼女の人生を大きく変える一人の竜人がいることも。
ーーそして、その竜人が。
一度出会っただけの彼女を、簡単には忘れられなくなることも。




