第70話 狂化
──人でもなく、魔物でもない。何処から来たかも分からない。
はっきりしているのは、それが間違いなく人類の敵であること。
殺人。破壊。強奪。これが、奴らの行動原理であった。
ローブの下に隠されていたガゼルの身体は、すっかり人とは違う様相を呈していた。
紋章から供給される魔力が元々あった弱い細胞を侵食破壊し、内側からどす黒い魔人の肉体へと作り替えているようだ。
奴はそれを、嬉々として見せつけてくる。
「流石に感じるか?溢れんばかりのこの凄まじい力をォー!! はー、はっはっはっは!」
ノイズまみれの声が脳に響くたび、クライシスの中には強烈な嫌悪感が生じた。
刺すような眩暈を感じ頭を押さえる。
さらにぐらりと足元をよろめかせる。
すると、それを見て心配したペペロンチーノが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか」
「ええ……。ありがとうペペ」
「あいつ。なんてことを……! う゛うっ」
彼女も奴の醜く歪み黒ずんだ身体を見ると、思わず吐き気を催していた。
まだ辛うじて冷静ではあったが、クライシスには目の前の光景がどうしても信じられなかった。
どんな理由があろうと、あんな腐肉をどぶで煮込んだような屑と交わって歓喜を感じるなど、絶対にあり得なかったからだ。
「自ら堕ちたとでもいうのか……。それがどういう意味なのか、本当に理解しているのか??!」
「オチたダぁ~~? ブハハハ。勘違いするなッ。俺さまはな、旨い話があったから乗ったに過ぎない」
「なんだとッ」
「テメェのおかげだァ、狂気の天災。テメェを吹っ飛ばした時に報酬もたんまりと受けとった。なにより結果として、金よりこんなにいいモノが手に入ったんだからな!オラァッ!!」
そういうと、ガゼルは自分の力を誇示するように、全身に力を込め魔力を滾らせた。
強力なマナの過活性が起こり、ガゼルの周囲には小さな稲妻がいくつも迸った。
また魔力解放に肉体が反応し、奴の背中からは多関節の腕が二本生えるというさらなる変化が起こった。
「あははは。今の俺には、誰も逆らえないッ! このSS級オーパーツの能力を合わせれば、俺様のINTは軽く1000を超えるだろう!」
「せ、せんっ!!? そんな、噓でしょっ?」
「クックック。人間の限界を超越した俺様は、まさに最強となったのだっ!!!!!」
転移魔法使いのガゼルが複数属性の元素魔法を操り、何十体もの召喚を同時にこなしてみせたのは、魔人の力を取り込んでいたからだったのだ。
クライシスは鑑定魔法を発動し、変貌したガゼルのステータスを覗き見る。
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ガゼル・ホップス
(ステータス)
HP4200
STR222
INT1246
DEF884
MDF910
AGE94
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奴の言う通り、INTは1000を超えていた。これは基本的に人間が越えることの出来ない値だと言われている。
さらに、以前ならば初級冒険者並みに低かったはずの他のステータスも軒並み高くなっていた。
HP以外の数値がガンズ・オールツヴァイの全ステータス二倍効果の影響を受けているのだ。
今のガゼルは、200階層クラスのボス個体と同等の力を秘めている。
しかもステータスの数値は、浸食の経過と共に上昇し続けているようだった。
クライシスは言った。
「そんなクソほども下らない力の為にッ。あんなゲスな存在に魂を売ったというのか!」
「んー? なにがいけないんだぁ?」
「くっ……貴様がどれだけ無知であろうと、あの国の人間ならば魔人がどのような存在かくらいは知ってるはずだ!!! 奴らがいくつの国を滅ぼし、どれだけの人間に不幸をもたらしたのか。数え切れない伝承と御伽話によって、その全ての凄惨な過去が今世まで伝えられているんだ! 奴らは魔物と違って知性がある存在。だが、まともな理性なんてのは存在しない!正真正銘、人間の敵なんだぞッ?!!」
クライシスは鬼気迫る様子でそのように告げた。
だがガゼルはそれを聞くと、突如、腹のそこからこらえるように笑い出したのだ。
「ククク…… 必死だな? プっ、ククククッ……!」
「何がおかしいっ」
「あははッ! そういやそうだったな……。テメェもその、御伽話の一つだったなァ~?」
「っっ……ッ!!」
「あーはっはっは! これが笑わずにいられるかよぉ!!」
クライシスの生まれ故郷ハイブラスター王国は、一人の魔人とそれが呼び寄せた下級魔人の軍勢によって、たった七日で滅ぼされた。
そして代々公明正大な王による平和な統治が続いていた歴史ある国が、極めて残酷に滅ぼされたという報せは、世界中に震撼をもたらしたのだ。
「知ってるぜ? お前以外、全員おっ死んだんだってなーッ。ギャハハ。なあ聞かせろよ、それってどんな気持ちだったんだ?」
「ガ…、ガゼルーッ。これ以上、マスターを侮辱するなっっっ!!!!」
激昂したペペロンチーノは勢いよく飛び出すと、半魔人と化したガゼルに向かって灼熱の渦奔流を放った。それと同時に鎖鞭を振りながら飛び掛かり、二段構えの攻撃を仕掛ける。
「そんな雑魚な炎が、俺様に効くかッ!」
するとガゼルも対抗して、強力な火炎魔法を展開してきた。
「魔瘴の黒炎よ。呪禍を以て、黄昏へと至れし灰滅をもたらせ…… くらえっ、無黒の死喜焔!」
炎と闇の二つの属性を持つ最上級魔法は、その漆黒の闇でペペロンチーノの放った灼熱の渦奔流の灯火を、まるで墨で塗りつぶすかのごとく消し潰してしまう。
そして闇の火炎球の勢いは衰えることなく、空中で鎖鞭を振りかざしたペペロンチーノに向かって直進していった。
(ああっ…。死ぬ…!…)
既に攻撃体勢に入っていたペペロンチーノには、無黒の死喜焔の高速軌道を回避することは出来そうになかった。
だがそうして死を覚悟した時、横から飛び出したクライシスが彼女の身体を抱きかかえ、魔法の被弾範囲の外へと逃がした。
クライシスは少し離れた地面の上に彼女を下ろした。
「クライシス様……! き、気を付けてください。奴の力は本物ですっ」
不安そうに見上げ、そう声をかけた。
しかし返事はない。
クライシスは、とっくに怒りの限界だったのだ。
「……もういい。もう十分わかった。 ……ガゼル・ホップス。お前に、隷属の紋章を刻印した魔人の名を言うんだ。そしたら、すぐに殺してやる…」
「ククク、まだ俺様に勝てるとでも思っているのか?」
「余計なことはいわなくていい……。さっさと教えろッ!!!」
それは普段のクライシスなら絶対に見せない荒々しく感情的で強い言い回しだった。
だが同時に、どこか不安定な揺らぎも介在していた。
魔人は全てが賢いわけではない。
この紋章のような複雑な魔法を扱える個体ともなれば、数はとても限られている。
ならば特定することも不可能ではない。
だがしかし、ガゼルはそれを聞くと、またもや馬鹿にするような皮肉的な笑みを浮かべるのだった。
「誰が魔人の力をくれたかだってー? ……クククッ。そんなこと知るか!」
「とぼけるな!」
「だって、俺じゃない」
「は? ………!!!!!!!」
その言葉の意味をすぐに理解してしまったクライシスは、もうそこから問い返すことが出来なくなった。
奴の雇い主は誰だったか。それを考えれば、答えには本来もっと早くにたどり着いても良かったはず。
しかし境遇は違えど、互いに自国の民を救う道について語り合い、なにより友として過ごした彼が、こんな非情をするとは思えなかった。
彼は私の痛みを知っている。
そんなことはあり得ない。だがそれでも、状況は火を見るよりも明らかだった。
「う゛ぅ゛ッ あ゛あ゛あ゛ッあ゛あ゛、あ゛あ、あ゛あ゛あ゛ァ ア ア あ゛ッ ア ア ア ア ア ア ッ ッ!!!!!!!!」
混乱し、何も信じられなくなる。
発狂するクライシスを見て、ガゼルは大声で笑っていた。
ペペロンチーノは涙する。
繰り返される懊悩。だが答えは出ず。
やがて思考を放棄した彼は、自らを狂気に染めることを選んだ。
「…………ペペロンチーノ。 ……ワタシ様の剣を、ください」
「あ、はい! エクシードプライムなら、私もサポートをっ!」
「いいえ、その必要はありません。モードを使います」
「ええッ! そんなの、ダメです!!!」
ペペロンチーノはそう言うと、途中まで受け渡そうとしていた極大剣、森羅に抱かれし、聖乳の石を咄嗟に引き戻す。
狂戦士が使えるもう一つのジョブスキル、極閻狂気。それは、使えば必ず自他ともに死をもたらす狂戦士の最終兵器だった。
そして、スキル:極閻狂気からクライシスが独自に生み出した二つの形態魔法。だがそれも同様に、使用の度に寿命を削るような多大な負荷がかかるものだったのだ。
だがクライシスの決意は、もはや揺らぎ無いものだった。
隙を見て彼女の手から剣を奪いとると、いきなりペペロンチーノを遠くの方へと投げ飛ばした。
「アッ!!!ダメっ…」
巻き込まないため。残された理性に従った人間的行動のつもりだった。
そしてガゼルの方に向き直り、あるエンチャントを発動させる。
「我の前に汝の真価を見せよ。価値上昇」
「ん?それはたしか、使い物にならない雑魚ランクのゴミ武器をほんの少し強化する魔法だな。燃費も悪くて、誰も使いやしない」
「ああ、そうだ。だがこの極大剣は今、この瞬間、数秒間だけS級にまで昇格したのだ」
「なにっ?!S級だと?!!」
まさか全ての装備を奪われたはずのクライシスが、すでに準S級相当の装備を所持しているとは想定できていなかったのだ。
その時ガゼルは、初めて若干の焦りを覚える。
そしていつの間にか、二人の周りは紫炎の壁に取り囲まれていた。
それに気が付いたガゼルはハッと後ろを振り向く。するとまるで彼の退路を塞ぐように、炎は生き物のように地面を這いずり走った。そしてあっという間に、獄炎の牢獄は完成した。
突然あらわれた不気味な炎。理解不能な奇妙な現象に、ガゼルも思わず狼狽える。
「なんだこれはっ!? ……ハッ」
前方を見ると、そこではクライシス自身が炎に身を焼かれていた。
それもただの炎ではない。周りを囲む紫炎よりもずっと禍々しく、汚れていた。
そしてそれは、ゆっくりとだが徐々に肉体を包む重装鎧の形へと変貌していく。
「な、何なんだ一体……!」
「……これが、狂気だ」
自らを狂気に焦がしながら、彼は補助魔法の詠唱を行った。
「狂炎形態 ……オン!」




