24.世の中は存外うまくできている
――東の砦
吹いた風に乗って、木の葉が舞い落ちてくる。
オリバーはそれらが地面を隠さないように、守護壁を作り出した。
その守護壁の下では、ちょうどダニエルが転移魔法陣を描き終わったところである。
「よかった、私でもなんとか書き上げられた!」
まるでこの世の春が来たかのように輝かしい笑顔を浮かべると、両手を組んで天に感謝を捧げた。
彼にとって描くという行為は、ほかのどんな活動よりも難易度が高いのだ。
この日を迎えるために、ダニエルは並々ならぬ努力をした。
まずは窓ガラスに手本を透かしてなぞる作業を数百回。
慣れたあとは紙の上で陣を書く練習を毎日続けた。
土の上に描く練習に切り替えてからは、朝から晩までひたすらに反復練習をしていたのだ。
他に頼むという選択肢は、彼の孤立無援であった生い立ちのせいか、まったく思いつかなかった。
周囲も陣に夢中なダニエルの邪魔をしてはいけないと遠慮したため、本当に一人で頑張る羽目になってしまったのだった。
ダニエルは描き終えた陣の外周を回りながら、描かれた文様と命令文を何度も見て回った。
一言一句間違っていないことを確認したあとは、袋から白く光る魔石を取り出して外周へ置いていく。
これはジルバ国から輸入した魔石で、ターニアと一緒に転移魔法陣に利用できるよう加工した代物である。
今後陣を中長期的に利用する場合に、魔法師の魔力供給による発動では汎用性に乏しい。
魔石と陣の組み合わせで発動できたなら、誰もが簡単に利用できるだろう。
これもダニエルがいつか叶うといいなと想い描いていた研究のひとつだった。
陣の端に置かれた魔石から魔力の光が流れ出し、文様が輝きを帯びていった。
その様子を、近くを行き来する東の砦の兵たちが、足を止めて不思議そうに眺めている。
陣に魔力がいきわたり準備が終わると、ダニエルは肩に手を置いて首を鳴らしながら、安堵のため息をついた。
「さて、これで完成だ」
この後は、王都にいるメンバーに準備完了の連絡をとり、彼らが東の砦に移動するのを見届けることになる。
ダニエルは持ち運び用の小さな陣が描かれた紙を開き、手の上で陣を展開した。
あらかじめ用意していた手紙を陣の中央へ落とせば、呑み込まれて消えていく。
行き先はアーサーの執務室の机の上。
きっと今日を心待ちに待機しているはずなので、すぐに返事が来るだろう。
少しして、手のひらの陣から四つ折りの紙が現れた。
中を読むと、一時間後に出発すると書いてあった。
ひと仕事終えた様子のダニエルに、様子を窺っていたオリバーが遠慮がちに話しかける。
「便利ですね、その陣という魔法は。それに、あの大きな魔石も初めて見ました!」
傍らで見守っていたオリバーは、初めて見る魔法に興味津々だ。
「陣は西の大陸に伝わる魔法さ。転移魔法が未修得の私でも利用できるんだ」
「未修得の魔法が扱えるのは凄いですね。もしかして、私でも四大元素魔法を使えるようになるのでしょうか?」
オリバーは光魔法を操る魔法師である。
先だって王都の守護壁崩壊により、ちょいブラックで安定した職場を失った。
光魔法の使い手は少数で、全員が守護壁の維持をしていたため、直後はちょっとした職迷子になっていた。
もちろん国は彼らを無下に放り出したりせず、ちゃんと別の仕事を斡旋した。
医療関係、軍の後方支援、地方の復興事業。
ただ、光魔法士の働き方は前例がないため、皆それぞれ苦戦している話を耳にしている。
今までのように、指示に従い繰り返し同じことを続けるのではなく、どういった内容で貢献するのかを問われて、頭を抱えているのだ。
光魔法でなくとも出来ることなら、必要とはされない。
光魔法だからこそ、望まれる貢献とはなんなのか?
人員が不足している仕事に、光魔法がどう利用できるのか?
そんなこと、今まで光魔法士はなにも考えてこなかった。
でも、大多数の四大元素魔法の使い手は、当たり前のように保持した魔法の活かし方を模索していたのだ。
オリバーは行く先々で、今までさして興味を抱かなかった魔法に目を向けるようになり、とにかく話を聞いて学ぼうとした。
それしか今の自分に出来ることが、思い当たらなかったからだ。
聞いたことが、まったく役に立たないかもしれない。
それを知ったところで、何かが解決するわけでもない。
目の前の言われた仕事を上手くやるだけで、十分な気もした。
努力を放棄する理由と、諦める言い訳が、気づくと無意識に頭の中を埋め尽くす。
「そうだね。理論上は可能かな。オリバーは研究に興味ある? 最近やりたいことが山ほどあるのに手も時間も足りなくてさ。でも、私の研究の手伝いだと経歴に傷がついてしまうから、巻き込むのは申し訳ないな。忘れてくれ」
「……お、面白そうだと、思いました!」
「そう? そんなに興味ありそうな顔されたら、アーサーに頼んで配下に移動してしまうよ」
ダニエルは、オリバーが道を踏み外さないよう止めたつもりだった。
けれど陣と魔石に魅入られ新天地を求めていたオリバーは、堅実な仕事ではなく、高揚感に包まれた研究に興味をそそられてしまったようだ。
「はい、お願いします! ぜひ加えてください」
「うっそん。本当に? 大丈夫なの?」
心配するダニエルをよそに、オリバーは満面の笑みで頷いた。
なにを選んでも、オリバーが必死で努力するのは変わらない。
どの選択肢が正解かなど、実際のところ分かりっこないのだ。
思いつく限りの想定を超える未来が、その先に広がっている。
それなら、自らの良心に従うのが一番だというのが、オリバーの出した答えであった。
頭に浮かぶ不安も悩みも言い訳も、一切合切吹き飛んだのなら、今以上に頑張れる気がしたのだった。
「うーん。なら、一度アーサーを交えて話しをしよう。さて、そのアーサーたちは一時間後に全員転移してくるから、私はリリィのご両親に声を掛けてくる」
「はい。私はここで見張りをしていますね!」
オリバーを見張りに残し、ダニエルは東の砦へと向かった。
メンバー到着に合わせて、リリィの両親を連れてくるためだ。
久方ぶりの親子の再会は、どんなに感動的な場面になるだろうか。
ダニエルは、リリィのことを思い浮かべて思わず口元がゆるんだ。
己の家族とは会おうとも思わないダニエルなのだが、そんな彼にも人並みに感情というものはある。
ああいう普通の子が、我慢したり心待ちにしていた人と再会して喜ぶ姿は、ダニエルの心を十分に振るわせてくれるだろう。
(この陣の主役は間違いなくリリィだね。感動的に仕上げないと!)
ダニエルは、軽い足取りでリリィの両親を呼び出した部屋へと向かった。
王弟ダニエルに呼ばれたアダムとエマは、すぐにリリィに関わることだと察した。
リリィが登城して働きに行った先がダニエルのところだったので、当然である。
会ってすぐ、一時間後にリリィたちが転移魔法陣を使ってこちらに来ると聞かされ、アダムとエマは面食らった。
「あいつ、本当にきやがった」
「もう、やると決めたら頑固なんだから。困るわ」
文句を口にはしていたが、娘が会いに来てくれることを二人は心から喜んでいるようだ。
「この転移魔法が成功すれば、王都と東の砦の行き来が可能になります。いつでもとはいきませんが、きっと今よりは娘さんと頻繁に会えるようになりますよ」
今日会えるのもびっくりなのに、これから頻繁に会えるのだと教えられ、アダムとエマの顔が引きつる。
よもや、自分たちの娘は、どれだけ無茶を通してきたのかと背筋が凍るような想いをした。
「ダニエル殿下。娘が我儘をいって申し訳ありません」
「我儘?」
「リリィが東の砦に来たがったせいで、いろいろお手を煩わせてしまったのでしょう?」
ダニエルは口元に握った手をあてて、アダムの発言を検証した。
リリィはジルバ国の魔石輸送に転移魔法陣を利用する話をしたときに、便乗しただけだったはずだ。
我儘というよりは、良い提案をくれた認識である。
「……リリィなら、むしろもっと早く、単身東の砦に来ることができたんじゃないかな」
ターニアが従者に加わったから、リリィは自由に移動が可能だったはずだ。
そうはせず、今回のタイミングに乗っかっただけのようにみえた。
「あ、それは、禁止させましたから。一人で王都から勝手に来ることは許さないと言ってあります」
「なるほど。安心してください、アダムさん。今日はリリィの為だけではありません。東の砦の移動手段は今後のための投資です。ついでに転移魔法は別の案件で進めていました。彼女は仕事に協力してくれた延長で、チャンスを得ただけですよ」
「そうですか。それなら良かった」
「本当に。いつもは素直なのに時々無茶をする娘だから、心配で」
アダムとエマが安堵した表情を浮かべると、ダニエルは二人を安心させるために、こう付け加えた。
「ふふ。世の中というのは、存外うまいことできているのかもしれません。アダムさんもエマさんも、そう深く考えずに、今日この良き日を堪能してください」
約束の時間が近くなり、ダニエルはアダムとエマを連れて陣の周辺へと案内した。
手に持った懐中時計を見つめながら、王都から転移してくる面々の到着を待ち続けた。
陣のぼんやりとした光が、だんだんはっきりとした光線を放ち始め、眩しさに思わず目を細める。
中央に揺らぐ影が現れ、徐々に姿が鮮明になっていった。
次回、第三章・最終話です。
本日(3/8)18:00に更新・第三章完結になります!
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