97話 本音と本性
欲情塗れの酩酊にも似た感覚なんてのはどこかへ吹き飛んだ。代わりに押し寄せてきたのは蛇に睨まれた蛙のような危機感だった。
「せっかく私の部下が命を懸けて情報を持ってきたというのに、当の本人は薄汚い女郎と乳繰り合っているなんて滑稽な話ですわ。まったく面白くございませんけれど」
彼女らをつまらないものでも見るような目で見下した凜の態度に頭へ血が上った。言うに事欠いて、彼女らを女郎だと?
「……おい、お前。いい加減にしろよ。人には人の事情があるんだ。そうしたくなくてもしなきゃいけないことなんて山ほどあるだろ。お嬢様にはわかんねぇか?」
凜の視線から遮るように彼女らを俺の背の影に隠して立ち上がった。眩暈がするが盛られた薬のせいか、怒りのせいなのかはわからなかった。
「前から言いたかったがな、お前に国なんて作れない。無理だ。よしんば作ったところで皆が不幸になるだけだ」
はっきりわかった、俺はこの女が大嫌いだ。
恩人の妹だからって色々なことに目を瞑っていたが、もう限界だ。
目的の為に手段を選ばない? 大いに結構、人の気持ちも理解できないと付け加えろ。
知名度を稼ぐためだけに飛行機に乗る? 勝手にどっか遠くにでも飛んでいきやがれ。
結局のところ、未来を覗き見てもこいつには自分の狭い世界しか見えてないんだろう。判断基準も全て自分の都合だけ。そんな奴が国を作るなんて悪い冗談すぎる。
「ふふふ、ずいぶんとアバズレの肩を持つじゃありませんか。言いたいことはそれだけですか?」
俺の言葉に眉も動かさずほほ笑みながら佇む姿は、もはや同じ人間とは思えなかった。
「ああ、もっとたくさん言いたいことはあるが全部言ったら朝が来ちまう。あんたの報告とやらは明日聞かせてもらう。だが、今後は最低限の付き合いだけだ。俺はお前が嫌いなんでね」
「あら、哀しいわ。私はあなたのこと少しは気に入っていたというのに」
「それはどうも。光栄の至りだ、とでもいえばいいのか。馬鹿にしやがって」
引っ掛けていた外套を羽織り、玄関に向かうと頭領が廊下に平服していた。
「私めどもの浅慮により、大変なご無礼を──」
「いい、あの二人にはもう二度とこんな真似をさせないでくれ。護衛だけでいいんだ、他はいらない」
頭領の言葉を遮り、外に出ると雪がしんしんと降っていた。
思わず立ち止まり空を見上げる。
顔についた雪が溶けていくのも構わずに、降ってくる雪を見ていると空に落ちてゆくような錯覚に陥る。
「……時代が変わっても空と人間ってやつぁ、変わんねぇなぁ」
肩に積もった雪を払いのけ、玉蔵のとこに顔出して居酒屋にでも行くかと思い歩き出すと、ふと視線を感じて振り向いた。
さっきまで鳴っていた笛の音で隣の屋敷を見に来たのか住職がひょっこりと上半身を塀から出して俺を見つめていた。
数瞬見つめあうと住職がおもむろに弥勒菩薩の描かれたスノーボードを取り出して体を揺らして見せた。
……いや、やらねぇよ?
それよりお前、もしかして今、墓石の上に乗ってんの?
◇
怒った坂井が出て行った部屋には、すでにあの女たちの姿はなかった。
彼の影に隠れた隙に出て行ったのだろうが、奥の部屋に微かな人の気配を感じる。
坂井から否定され、今のひどい顔を見られていないのは良かったのかもしれない。
「──貴方たちのような狗は狗らしく飼い主の言うことを聞いていればよろしいのに。少し目を離せばこれですから、たまったものではありませんわ」
腹立ちまぎれに右手へ力を入れると、握っている刀の柄がギシギシと悲鳴を上げる。そのまま、部屋の柱に向かって横なぎに一閃を放つと轟音と共に屋敷が揺れた。
ブーツで踏み込んだ畳がまるでスプーンで抉った豆腐のようになっているのも気にせず、刃についた穢れでも払うかのように軽く宙で一振りして鞘に納めた。
「彼へのおいたは一度だけなら許して差し上げますわ。ですが二度目はございません。……アレは私のモノですので、それはご理解くださいまし」
◇
凜が去り、頭領や忍び装束を着た妹と共に部屋に入ると残された惨状に絶句した。
「あの女、化生の類か」
頭領が見た先には硬い樫の柱が刀で斬られたはずなのに、まるで内部から破裂したように大きく抉れ、壁という壁に傷が放射状に広がっている光景だった。
あまりに現実離れした光景に怯えたのか、無意識に双葉が私の帯をつまむ。
「一葉姉、騙したと誹りを受けてもおかしくない私たちを、坂井様はあの女から庇ってくれましたのね……」
商店街でワザと彼を襲わせて護り、こちらの領分に誘い込む。坂井という男の本性を知るために仕組んだ罠は思わぬ結末となった。
もちろん、私としては本心からのお礼でもあったのだ。とはいえ、自分の身を差し出しても彼は絶対に受け入れてくれないだろうから、と言い訳もして。
本音を言ってしまえば、あの人に蔑まれた目で見られるのが考えるだけでも怖かった。だから、頭領の提案にまんまと乗ってしまった。
……本当に身勝手な都合だ。
妹の目には彼はどう見えたのだろうか。
決して、噂通りの謀略の悪魔みたいな男ではなかったはずだ。
彼に使ったものは品行方正と謳われた男も女も、例外なく色欲に溺れ、醜い本性をさらけ出させる。そんなシロモノだ。あの姿を見れば間違いなく効いていた。だというのに、彼は泣きながら己の信念だけで捻じ伏せた。
そんな男が自分を卑下するなと言ってくれた、汚れてなんてないと。
抱きしめられると私は喜びに震えた、彼の口から「死ぬ」という言葉を聞くまでは。
──だから尊く、危うい。
「ええ、双葉。あんなすぐ死んでしまいそうな人、絶対に放っておいたらいけないのよ」




