1話 峠からハイエースでダイブ
外に出ると駐車場の街灯がぽつりぽつりと点灯し始めた。
窓のない工場で修理作業に集中していると本当に時間が過ぎるのが早い。
車に工具や荷物を放り込んだら、あとはゆっくり家に帰るだけだ。
「今週も頑張りましたっと」
長距離運転で癖になった独り言を呟きながらスタートボタンを押し込み、低く唸るエンジン音と共に片田舎の道を一路走り出したのも、つかの間。
「あちゃー、通行止めか」
本来なら札幌まで高速道路で一本のところがインター入り口の電光掲示板には通行止めの表示がされている。
「帰るのが遅くなるなぁ、まぁ誰が待っているわけでもなし。ゆっくり帰るべ」
仕方ない、下道の峠を通って帰ることにするか。
たかだか1時間、家に着くのが遅くなる程度だ。
窓を少し開け、煙草に火をつける。
ゆっくりと吐いた紫煙が窓の隙間から逃げていった。
仕事の後のタバコとコーヒーは体に悪いとわかっていても、なかなか止められないものだ。
鼻歌混じりに走らせ、山頂に差し掛かる頃には周りの霧が大分濃くなってきた。
ここの峠、携帯が圏外になるから嫌なんだよ、鹿も怖いし少しスピード落とすか。
灰皿代わりのコーヒー缶へ吸殻を投げ入れるとハンドルを握り直す。
他の車などいない暗い山道を軽快に下ってゆく、頭にあるのは出張先で手に入れたお土産を冷で楽しむか熱燗にするかくらいだった。
「実家に顔でも出して親父と呑むのもありかもなぁ、たまにはおふくろにも顔見せにゃ」
実家には年に数回しか顔を出さないが、不意に年老いた親のことが頭をよぎった。暗い夜道に心細くなったのかもしれない。仲が悪いわけじゃない、この歳まで独り身で孫も見せれない親不孝ものなのがわかっているから顔を出しにくいのだ。
「弟が孫作ってくれたからいいやって、言い訳すぎるんだよなぁ」
頭を掻きつつ、自分でも情けないことを呟きつつ坂道を下る。
次の瞬間、目の前に白い影が飛び出してきた。
「うぉ! ブレーキ!」
雨に濡れて黒く光る路面は全くタイヤを止めることはなく、そのまま車を路肩の茂みに放り込んだ。
「うおおお! やべぇ!」
ブレーキを踏み続けても斜面を滑り落ちてゆく、かろうじて横転はしていないがバウンドするように車が飛び跳ね、積んだ荷物も宙を舞う。汗ばんだ手で握りしめたハンドルが暴れる中、壁のようにデカい木が目の前に現れ衝撃と共に意識を手放した。
◇
「うぅ」
車の中に差し込む光と体の痛みに促され、ぼんやりと瞼を開けた。
強く握りしめていたハンドルからはエアバックが飛び出し、力なくしぼんでいた。
フロントガラスには大きく罅が入り、外からの光がいっそ幻想的に見えた。
「生きてるのか、とりあえず」
シートに倒れこんだ体を起こしつつ、痛みの走る箇所を確認する。
幸い打撲だけで済んだようだ。詳しく検査しないとわからないけど。
どうやら気を失っている間に、陽が登ってしまったようだ。
「とにかく外に出るか」
歪んでしまったドアを何とかこじ開け、外に転がり出る。
胸ポケットのスマホを見ればもう昼前、電波は相変わらず圏外のままだ。
「冬だったらヤバかったな、春まで発掘されないとこだった。いてて」
自嘲気味に笑うと胸の下に痛みが走った。
これからどうしたものか、携帯は圏外だし、鬱蒼と生い茂る森では元の道から何m落ちたのか見当もつかない。
「地図アプリも役に立たねぇ、民家もなにもねぇな。こりゃ助けを呼ぶのは無理だな」
ここでうだうだしていても助けは期待できない。
落ちたのが北見峠だから一番近い町は奥白滝か。
距離感が全く分からないが電波がつながるところまでは歩いて行くしかない。
車から最低限の荷物をバックに移し替えて山を登る。
何分歩いたのか腕時計を見ながら周りの木にテープを張っていこう、同じところをぐるぐる回っていたら流石に笑えない。
息を切らせながら山道を登ること二十分、ようやく道に出れた。
道と言ってもアスファルトでも砂利でもない人が通れる幅に土を固めただけの簡素な道だ。
スマホを見ても相変わらず圏外のまま、限界集落ここに極まれりだな。
痛む体に鞭打って道沿いを下ってゆくと掘っ建て小屋が見えてきた。
ここ最近見たことがないほど見事な掘っ立て小屋だったが、屋根の隙間からは煙が出ている。
「人いるのか、助かった。第一村人発見だよ、マジで」
小屋に近づくと入り口には莚がかけられた簡素な作りだった。
だが、人の気配は感じる。
「すいません、誰かいらっしゃいますか?」
「だんじゃ! (誰だ! )」
「すいません、道わからんようになってまって」
見事に訛った声が返ってきた。
親が田舎出身なのも相まって、思わず自分も訛った言葉で返してしまった。
相手が方言使うとどうにも引っ張られるんだよな。
「まあつっどまっどけ(ちょっと待て)」
少し待っていると莚をまくって男が出てきた。
顔は煤で真っ黒、頭に手拭いをほっかぶりして、手にライフルみたいな銃を持っている。
「熊じゃねぇんだげども」
「見ゃわがる、どうしだ(見ればわかる、どうした)」
「車で事故さあってまって」
「じごだ? どごよ(事故だ? どこよ?)」
「二十分ぐらい歩いだとご」
「……おめ、つげられたな」
「えっ?」
そう言うや否や、男は前に倒れるような姿勢から一気に走り出し、いつの間にか抜き放っていたナイフを俺の首めがけて突き出した。
「ギャウ!」
温かい液体が俺の体を濡らす。
まさに俺の首へ噛みつこうとしていた灰色狼の喉笛を一突きで仕留めると、手首をねじりそのまま地面に叩きつけた。
「はっ?! えっ? 犬? 狼?」
混乱する俺を尻目に男は周囲を用心深く見渡し、他に仲間がいないことを確認するともうピクリとも動かない灰色の死骸を一瞥した。
「あー、はぐれか」
「は、はぐれって?」
びっくりし過ぎて、今にも爆発しそうな心臓を落ち着かせながらなんとか声を出すと、男は振り向き懐から取り出したボロ布で血で汚れた刃を拭いながら口を開いた。
「はぐれは、はぐれよ。めっきり鹿が減っだもんで、近頃は人まで襲うんだ」
鹿が減った?
鹿なんて北海道に溢れんばかりにいるはずだぞ、それにこのやせ細った犬? は旭山動物園で見た狼みたいだ。いや、もう野生の狼は絶滅してるはずだ。
うんうん唸っていると男が手早く死骸を筵に包み小屋に入れ、俺を手招きしていた。
「まあ、なんぎぃな(難儀だったな)、たちばなしもんだがら、はいれや」
「お、お邪魔します」
一旦考えることを止めて、入り口をくぐって入ると薄暗い小屋の中には囲炉裏が一つと周りには毛皮の敷物があった。
じいちゃん家にあったな、ウサギの毛皮。ちゃんちゃんこだったけど。
そういやこの人の服も背中がウサギの毛皮だな、珍しい。
囲炉裏の火にあたり、顔に飛んだ狼の生温かい血を拭うと、今更ながらに体の震えが止まらなくなってきた。てっきり男に殺されるのかと思ったが、あのナイフが突き出されていなければ獣に俺の首が食いちぎられていたのだ。
助けてくれた当人は何のこともないように狼の毛皮を剝いでいるが。
「電話貸してくれるところって遠いですか?」
「でんわぁ? そったらもん町にいかねばねぇ(そんなものは町に行かないと無い)」
「マジかー、どうすべ」
「あしだ、せがれっこくるがら、いっしょにいげばいいべ。それまでここにいれ、熊でっから(明日息子が来るから一緒に行けばいい。それまではここにいなさい、熊出るから)」
最近どこでも熊出すぎだよな。
正直、この小屋じゃあ3匹の子豚みたいになるけど親父さん銃持ってるし大丈夫か。
さっき助けてもらったのと、一宿の礼になるかわからないけど、気付け薬代わりに持ってきた酒でも渡すか。
「親父さん、酒好き?」
「きらぃな奴はいねぇべ」
酒と聞いて、薄暗い小屋の中で目がギラリと光った気がした。
「じゃあ、さっきの礼じゃないけどこれ飲もう、俺も飲みたい」
「あれー、そんねに気ぃつかわねでいいのに」
そうはいっても酒の瓶から目が離れてないよ。
なら、これも出しちゃおう。鮭とば。
「おめ、どごからこんなもん」
斜里行ったときに買ったんだよね、さざ波サーモン。
これは最高に美味い。
「さぁ呑むべし呑むべし、親父さん入れもんある?」
ゆっくり書いていこうと思います。本当のこと言うと、ネイティブ方言は道南なのよ。




