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父と娘の最後の対話

 博覧会の最終日前夜、父から面会を求める手紙が届いた。


 オズヴァルト・エーデルフェルト公爵。かつて私を王都の駒として扱い、断罪の夜にも沈黙を選んだ人だ。失脚後は王都郊外の旧別邸へ下がっていると聞いていたが、自分から声をかけてくるとは思わなかった。


「行くのか」

 レオンハルトが問う。

「行くわ」

 少しだけ間を置いてから、私は続けた。

「終わらせたいもの」


 別邸の応接室は、ひどく静かだった。

 昔は人と物で埋まっていた場所なのに、今は大きすぎる家具ばかりが目につく。父は窓際に座り、以前よりずっと老けて見えた。


「来たか、リディア」

「ご用件は」

「相変わらず、飾らんな」


 皮肉を返す気にもならなかった。


 父はしばらく黙ってから、テーブルの上へ古い封筒を置いた。母イリスの筆跡だ。私が持っていない手紙だった。

「……なぜ今、それを」

「渡せなかった。いや、渡さなかった。お前があれを読めば、私の選択を憎むと分かっていたからだ」


 私は封を開けた。

 母の言葉は短い。王都の権力争いに娘を巻き込むな。壊れたものを都合よく飾りに使うな。リディアが自分で選べるよう、道を塞ぐな。

 そのどれもを、父は守らなかった。


「私は、家を守るつもりだった」

 父が言う。

「王都で勝たなければ、公爵家は飲み込まれる。そう思っていた」

「それで私を差し出したのね」

「結果的には、そうだ」


 言い訳はなかった。

 だからこそ、妙に空しかった。


「謝ってほしいわけではありません」

 私は手紙を畳む。

「許すとも言いません。ただ、もうあなたの価値観の中で生きるつもりはない。それを伝えに来ました」

 父は目を伏せた。

「……そうだろうな」


 立ち上がり際、彼がかすれた声で言う。

「お前の母によく似てきた」

「光栄ではないですね」

「私には、だ」


 外へ出ると、夜気が冷たかった。

 胸が軽くなったわけではない。失った時間も、断罪の夜も、消えはしない。

 けれど、これ以上あの人の沈黙に縛られなくていいのだと思うと、足取りは確かだった。

 終わりは、和解とは限らない。

 それでも前へ進むために必要な扉は、確かに閉じられたのだと思った。


 その夜、私は郊外の別邸から戻る馬車の中でしばらく足を止めた。窓の外を流れる街路樹は静かで、蹄の音だけが、終わらせたはずの会話の余韻を一定の調子で打ち返していた。賑やかな場面や大きな会話が終わったあとほど、片づけきれなかった小さな道具の重みのような小さなものが妙にはっきり見えてくる。私はそういうときほど、わざと手を止めず、呼吸だけを落ち着かせるようにしている。


 私は膝の上に置いた手を見つめ、握りしめるのでもなく開くのでもなく、その中途半端な形が今の気分にいちばん近いと思った。誰かが湯を置いていく音や、廊下を通り過ぎる足音が遠くに混じるたび、今日一日がまだ完全には終わっていないのだと分かる。大きな出来事は一度で形を変えるけれど、暮らしの方はそのあともずっと、遅れて追いついてくる。


 王都で評価されること自体は目的ではない。それでも、辺境で積んだものが仕組みとして通用すると証明できるなら、過去に奪われた言葉を静かに取り返せる気がした。 王都にいた頃の私は、結果の名前ばかりを気にしていた。勝ったか、負けたか、選ばれたか、外されたか。でも今は、その一段手前にある『明日も回るかどうか』の方がよほど重い。今日の判断が誰か一人を楽にし、その余力がまた別の仕事へ回るなら、それだけで十分に意味がある。


 私が今見ているのは、片づけきれなかった小さな道具の重みのような、誰かが見落としても不思議ではない細部ばかりだ。けれど実際に町や城を支えるのは、いつもそういう小さな部品の方だった。派手な奇跡より先に、綻びを見つけて、記録して、次の人が迷わず触れる形へ直しておくこと。そういう地味な手順が積み重なって、ようやく暮らしは丈夫になる。


 きっと明日になれば、また別の形をした不足が見つかる。血だけではない繋がりを、言葉ではなく暮らしで証明する場面が近い。。それでも今は、次に何を直すべきかを考えること自体が、前へ進んでいる証拠だと知っていた。 私は最後に手元の小さな綻びだけ直し、明日に回すべきものを帳面へ書きつけてから、ようやく灯りの方へ歩き出した。

ここまでお読みいただきありがとうございます。次話は『新しい家族の約束』です。引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。

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