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兄妹ではなく友として

 フェリクスが二度目の長期滞在を申し出てきたとき、私は三拍ほど黙った。


「断る理由が見つからない顔だな」

 レオンハルトが面白そうに言う。

「歓迎していないわけではないの。ただ、弟が辺境で三週間も大人しくしていられるか不安で」

「聞こえているぞ、姉上」


 本人はいつの間にか扉にもたれていた。

 王都仕込みの上質な外套なのに、北風の中でもどこか馴染んで見える。前よりも足元が軽いのは、彼が「公爵家の弟」だけではなく、「王国の実務官」として各地を回るようになったからだろう。


 滞在初日、フェリクスは市場も工房も診療室も温室も、まるで答え合わせでもするように見て回った。

 そして夕方、城壁の上で私に言う。


「姉上、昔の僕は、あなたを理解しているつもりで全然見ていなかった」

「急にどうしたの」

「帳面の中だけで生きていた頃の話だ。家の利益、婚約の価値、王都での評判。そういうもので人を測るのが当たり前だと思っていた。でもここへ来ると、数字の前に顔がある」


 彼は苦笑した。

「少しはまともになっただろう?」

「ええ。ずいぶんと」


 兄妹というのは厄介だ。

 近すぎるせいで、相手の変化を認めるのが遅れる。過去の印象が邪魔をして、今の姿を見落としやすい。


「私もよ」と、私は正直に言った。「あなたに期待しないことで、自分を守っていたところがあった」

「それは……否定しづらいな」

「でも、今は違う。助けてもらったもの」

「なら、ようやく対等だ」


 沈黙のあと、二人で笑った。

 子どもの頃に戻ることはない。けれど、戻らないまま並んで歩くことはできる。


 夜、食堂でマルタの煮込みを囲みながら、フェリクスはニナと帳簿の話で揉め、クララにパンを追加され、ハクに『食事速度が遅いです』と注意されていた。

 その光景を見ているうちに、私は胸の奥の硬いものがひとつほどけるのを感じた。


 家族は、壊れたまま捨てるしかない関係ではなかったのかもしれない。

 直し方は、きっと恋や城より難しい。けれど、無理だと決めつけるには、まだ早かった。


 その夜、私は診療室や温室、帳場をつなぐ静かな廊下でしばらく足を止めた。薬草と土と紙の匂いが混ざり、物を直す場所だった城が、人を育て、送り出す場所へ変わっているのを感じさせた。賑やかな場面や大きな会話が終わったあとほど、片づけきれなかった小さな道具の重みのような小さなものが妙にはっきり見えてくる。私はそういうときほど、わざと手を止めず、呼吸だけを落ち着かせるようにしている。


 私は今日増えた記録や依頼札を見返し、仕事が自分の手の内だけに収まらなくなってきたことを、少し誇らしく受け止めた。誰かが湯を置いていく音や、廊下を通り過ぎる足音が遠くに混じるたび、今日一日がまだ完全には終わっていないのだと分かる。大きな出来事は一度で形を変えるけれど、暮らしの方はそのあともずっと、遅れて追いついてくる。


 人を育て、役割を渡し、外へ送り出す段階に入ると、修復はもう私一人の技術ではなくなる。その変化が少し寂しくて、同時にどうしようもなく嬉しかった。 王都にいた頃の私は、結果の名前ばかりを気にしていた。勝ったか、負けたか、選ばれたか、外されたか。でも今は、その一段手前にある『明日も回るかどうか』の方がよほど重い。今日の判断が誰か一人を楽にし、その余力がまた別の仕事へ回るなら、それだけで十分に意味がある。


 私が今見ているのは、片づけきれなかった小さな道具の重みのような、誰かが見落としても不思議ではない細部ばかりだ。けれど実際に町や城を支えるのは、いつもそういう小さな部品の方だった。派手な奇跡より先に、綻びを見つけて、記録して、次の人が迷わず触れる形へ直しておくこと。そういう地味な手順が積み重なって、ようやく暮らしは丈夫になる。


 きっと明日になれば、また別の形をした不足が見つかる。次に向き合うのは、壊れていることすら当然になっていた城そのものだ。だから最初の一手が、きっと大事になる。。それでも今は、次に何を直すべきかを考えること自体が、前へ進んでいる証拠だと知っていた。 私は最後に手元の小さな綻びだけ直し、明日に回すべきものを帳面へ書きつけてから、ようやく灯りの方へ歩き出した。

ここまでお読みいただきありがとうございます。次話は『灰冠城の帳簿会議』です。引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。

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