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灰冠決戦(三)

決戦の締めに入ります。最後までよろしくお願いします。

 灰冠城グレイヴォールが目を覚ました瞬間、戦場の景色が変わった。


 地下から上がった青白い光が城壁を縁取り、補助灯が一斉に明るさを増す。北斜面へ向かって細い光の筋が何本も走り、黒霧ノクスの壁を裂いた。まるで、城そのものが呼吸して牙を剥いたみたいだった。


 地上へ駆け上がると、レオンハルトとカイル殿下が並んで前線に立っていた。珍しい光景だ。灰色の剣と王家の剣が、同じ方向を向いている。


「リディア!」

 レオンハルトが振り向く。

「できたのか!」

「ええ! 城が起きました!」


 返事と同時に、北斜面の黒霧の中で何かが大きく脈打つ。セルヴァンだ。霧を操る中心が、こちらの起動に押し返されている。


 ミレイユは城壁の上へ出て、両手を組んだ。今度の祈りは震えていない。細く澄んだ光が、灰冠城の補助灯と結び合い、外へ広がっていく。祈りが灯りへ乗り、灯りが城の機構へ乗り、城の機構が前線を支える。


 私は外壁の継ぎ目へ手を当てた。崩れそうだった石が、今は城核からの力で持ち直している。修復とは、私一人の魔法だけではない。人と人、人と城、祈りと剣。その繋がり全部を整えることなのだと、この瞬間にはっきり分かった。


 北斜面の霧が裂け、白金の法衣が見えた。


「セルヴァン!」


 カイル殿下が叫び、駆ける。レオンハルトも続く。逃げようとした大神官の足元へ、灰冠城の補助光が絡みついた。床の増幅陣ではない。本来の城の制御光だ。歪んだ祈りを、城そのものが拒絶している。


 セルヴァンは最後に何かを叫んだが、言葉にはならなかった。黒霧へ飲まれかけたその身体を、レオンハルトの剣が貫き、カイル殿下の一撃がとどめを刺す。


 次の瞬間、北斜面を覆っていた黒霧ノクスが大きくうねり、そして崩れた。


 風が抜ける。冷たい、本来の北風だ。


 誰かが歓声を上げ、次々と声が続いた。兵も、町の人も、城壁の上の子どもたちまで。灰冠城は立っている。今夜も守り切った。いや、今夜はただ耐えただけじゃない。起き上がって勝ったのだ。


 私はその場へへたり込みそうになり、でも踏みとどまった。


 まだ終わっていない。終わりではなく、始まりだ。


 でも――勝った。今夜だけは、そう言っていい。


 その夜、私は灰冠城の回廊か、城壁へ続く階段の途中でしばらく足を止めた。石に触れるたび、戦いと修復の痕がまだ新しく、城そのものが次の選択をじっと待っているようだった。賑やかな場面や大きな会話が終わったあとほど、石の継ぎ目と見張り灯のかすかな震えのような小さなものが妙にはっきり見えてくる。私はそういうときほど、わざと手を止めず、呼吸だけを落ち着かせるようにしている。


 私は足を止めるたびに今日の言葉と沈黙を反芻し、それが誰の覚悟に繋がったのかを確かめるように息を整えた。誰かが湯を置いていく音や、廊下を通り過ぎる足音が遠くに混じるたび、今日一日がまだ完全には終わっていないのだと分かる。大きな出来事は一度で形を変えるけれど、暮らしの方はそのあともずっと、遅れて追いついてくる。


 大きな戦いや決断の前後では、力そのものよりも、誰が何を引き受けるかの方が人を変える。私はようやく、抱え込むことと支えることは別だと身体で分かり始めていた。 王都にいた頃の私は、結果の名前ばかりを気にしていた。勝ったか、負けたか、選ばれたか、外されたか。でも今は、その一段手前にある『明日も回るかどうか』の方がよほど重い。今日の判断が誰か一人を楽にし、その余力がまた別の仕事へ回るなら、それだけで十分に意味がある。


 私が今見ているのは、石の継ぎ目と見張り灯のかすかな震えのような、誰かが見落としても不思議ではない細部ばかりだ。けれど実際に町や城を支えるのは、いつもそういう小さな部品の方だった。派手な奇跡より先に、綻びを見つけて、記録して、次の人が迷わず触れる形へ直しておくこと。そういう地味な手順が積み重なって、ようやく暮らしは丈夫になる。


 きっと明日になれば、また別の形をした不足が見つかる。次に必要になるのは、今の出来事を一つ先の仕組みへ繋げることだ。目の前の解決だけで終わらせない工夫が、また増えていく。。それでも今は、次に何を直すべきかを考えること自体が、前へ進んでいる証拠だと知っていた。 私は最後に手元の小さな綻びだけ直し、明日に回すべきものを帳面へ書きつけてから、ようやく灯りの方へ歩き出した。

ここまでお読みいただきありがとうございます。次話は『修復できないもの』です。引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。

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