断絶
ほとんどテスト勉強も手につかないまま、中間テストが終わって、もう結果がパラパラと戻って来ていた。
あれ以来、優と一緒に通学してないし、優はその事について何も言わなくなった。帰りを待ってる事も無くなった。けど、それ以外では、努めて前と同じにしようとしているのがわかる。私もそう努力はしてる。ただ、前とは何かが違ってるのは多分、優もわかってる。
「愛理、テストどうだった?」休み時間になると、優が愛理の席までやってきた。
「ん、さいあく」本当に最悪だ。テスト勉強なんてする気になれなかったし。こんな酷い点数、生まれて初めてかも。
「ふーん、こっちもあんま良くない」
「あんま良くなくても、私よりずっと良いんだろな。」ああ、また皮肉を言ってしまった…。
優は何も言わなかった。
どうしてこっちでは素直になれないんだろ…あの青っぽい夢、あそこでは素直にありがとうって言えたのに…
「何なのこの成績…酷すぎるでしょ」
愛理が家へ帰って、テスト結果を見せると母親の小言が始まった。
「勉強したの? 少しは優ちゃんを見習いなさいっていつも言ってるのに」
いつもの事だけど、ヒステリックな母親の声は、キイキイと耳障りな機械音でも混じっているかのように聞こえて、すごく嫌。
「優ちゃんに勉強教えて貰ったらどうなの」
また、優ちゃん優ちゃんって…
「さっき、偶然そこで優ちゃんに会ったけど、あんたの事かばってくれてたわよ。ちょっと学校で何かあったって…勉強どころじゃなかったと思うって」優の事を褒める時は、心底感心したような言い方をする。これもいつもの事。「ホント、優ちゃんは相変わらず良い子ねぇ」
もう、うんざり!
ブチッ
愛理の頭の中で音がした。限界ギリギリまで伸ばしていた太いゴムが切れた音。
愛理は机をバンッと叩いて、母親を睨みつけながら叫んだ。
「何よ! 優ちゃん優ちゃんって、私が優より出来が悪いのは生まれつきよ! そんなに優が良いなら、優ちゃんみたいに産めば良かったのよ! 優ちゃんみたいに産まなかったあんたが悪いんでしょ!」
母親は驚いた顔をして硬直したようになっていた。愛理は今までも言い返した事はあったが、こんな風にブチ切れて叫び返したのは初めてだった。
愛理は自分の部屋に駆け込み、閉じこもった。ベットに潜り込んで布団に包まって泣いた。
何の涙なのか良く分からない。悔しいのか哀しいのかなんなのか…とにかくもう何も聞きたくない! 考えたくない!
しばらくそうしていると、少し落ち着いてきた。
お母さん、私があんな酷い言い返し方すると思ってなかったろうな。ホント、私、どんどん酷い人間になってくみたい…。気分も最悪だし。そういえば、しばらく、あのユーディの夢を見てない。テスト中だったからかな…やっぱり私の妄想だったのかな。 それか最近夢を見てないだけ? 見てるっけ? はっきり記憶に残ってるのはあの青っぽい夢が最後だ。後はあんまり覚えて無いけど、何か嫌な感じの夢を見てるような気もする…。
次の日の朝、起きると、あのまま寝てしまった所為で目がパンパンに腫れていた。
学校行くの嫌だな…けど、お母さんと一緒に居るのはもっと嫌。…学校行こう。
愛理が教室へ入ると、ホワイトボードにかかれているサメと、サメから離れた小判ザメの絵が目に入った。小判ザメの方には『待って~見捨てないでぇ~。私一人で電車乗れないの~』と書いたふきだしがかかれている。今回は名前は書いてはなかったが、これが優と愛理の事なのは誰にでもわかる。
またか。なんかホントに最悪。
愛理は大きな溜息をついた。うんざりし過ぎて、クラスメートの好奇の視線も何も気にもならなかった。消そうと言う気すら起こらず、そのまま無言で自分の席についた。
しばらくして優が登校してきた。教室に入ると、すぐにホワイトボードに気付いて、消した。
「大丈夫?」優は、愛理の席まで来ると心配そうに小声で聞いた。
「別に…案外、優が書いてたりしてね」愛理は優を見もせずに言った。すごい皮肉だ。優がこんな事するはずないってわかってるのに。けど、もうホントに何もかもどうでも良い。どうにでもなれ!
「そん…本気で思ってんの?」優は少し怒り口調だった。
愛理は何も答えなかった。目線すら合わせない。
「なぁ、どうなんだよ」優は怒っていた。
「もう、いいから。私に構わないでよ。バスケも戻れば良いじゃん。やりたいんでしょ」
「は? なんで、バスケ…」
「なんか知らないけど、私が関係あるんでしょ? 人の所為にしないでよ。やりたいならやれば良いでしょ」愛理は最後まで優から目を逸らしたまま、吐き捨てるように言った。
優は無言で、唇を噛み締めると、自分の席についた。
「優、一度聞きたかったんだけどさ」優が席につくと、優のナナメ前の席の子が振り返って話しかけてきた。前回のホワイトボード事件の時、言い合った未咲来だ。
「一体、愛理のどこがそんなに良いわけ?」
優は答えなかった。と言うより、答えられなかった。
「実は、愛理に何か弱みでも握られてんの?」そう言いながら、未咲来は含みのある笑みを浮かべている。
「別に」優は、相手にしなかった。
どこが良い? 確かにそうかもしれない。こんな態度とられて、なんで大事にしてる? 幼馴染だから? 別に一人で通学するのが寂しかったわけじゃない。もしも愛理に何かあった時にかばってやらなきゃって思って…なんでそんな風に思ってたんだろう? 好きなバスケも愛理の為にやめたのに、あんな風に言われてさ…ホント、バカみたいだ。私のただの一人よがりだったのかもしれない。……もう、やめよう。
《断絶》
眩しい!
愛理は、思わず両手で目を覆った。
ここは?夢?いつもの場所じゃない。こないだの青い場所とも違う。
指の隙間から周りを見ても白い光しか見えない。
何?光の中に居るの?
「愛理」声と共に、傍にユーディが現れた。
眩しくてはっきり見えないけど、いつもの鎧を纏ったユーディ? でも、何か少し雰囲気が違うような…。しっぽも無い?
愛理は、両手で目を覆ったまま指の隙間からユーディを見上げた。眩しくて顔がはっきり見えない。
「眩しい? だろうね。そんなにしなきゃならない程、下がってしまってるなんて…。私にはここは暗いんだけど…。優抜きの私と、銀のしっぽに繋がれてる上に負の感情で下がってしまっている愛理が一緒に存在出来るのは、この階層が限界なんだ。少しだけ我慢して…」
優抜き? ここに居るのはユーディだけ?ユーディそのもの? そう言えば、声もいつもと少し違うような…。
「愛理、優はもう無理みたい。優の自由意志がこっちでの使命を拒否した」
「えっ…どうして?」
「愛理の優への愛念が枯れてしまったから、優の愛理への愛念も枯れてしまった。今は愛理に会う事も拒否してる」
「愛念? どういう事?」
「優を素直に愛せなくなってただろ?」
「愛って、優に対してそんな感情は元から無いし…」
「恋愛感情じゃない。本当の愛。純粋に相手の事を思っての気持ちとか行為とか、感謝の気持ちとか」
「え…それは…」愛理は口籠った。そう、私は優を妬んでた。優にやさしくなれなくなってた。酷い態度をとったし、酷い事言った。
「向こうの愛理が変わってくれるのを期待して、愛理のこちらでの意識を覚醒させたんだけど、肉体を纏った愛理は疑り深い。向こうへ戻ると頭で考え過ぎて信じてくれなかった。こちらでの記憶を自分の妄想かただの夢と片付けてしまった。心で感じればわかったはずなのに、肉体を離れてこちらへ来ている時は、素直に信じてくれるのに…」
眩しくてユーディの顔が良く見えない。けど哀しげな表情をしているのを感じる。
「肉体ってのはやっかいな物だとは思ってはいたけど、これ程とは…まるで拘束着でも着ているかのように愛理の心を縛り付けてしまうらしい。この使命は元々二人揃ってこそ成し遂げられるモノ。優がこれ以上続けられないなら仕方ないね。これで終わりにしよう」ユーディは淡々と語った。
「え…」そんな簡単に、そっけなく言わないで。「ユーディ!」愛理は叫んだが、ユーディの返事はなかった。もう姿も見えない。
落っこちた穴から引き上げようとしてくれていた手を突然離されたような、そんな気分。真っ暗な気分。ここはこんなに眩しいのに。哀しいなんてものじゃない。これは…
絶望。
愛理は体の力が抜けてその場に崩れ落ちた。
「愛理、私はいつも一緒にいるから。これからもずっと。だから大丈夫」
突然、澄んだ女性の声が聞こえた。それは、どこか懐かしさを覚える声だった。
アイリーン…きっとこれは、アイリーンだ! 傍に居る。
指の隙間から覗くが、眩しくてはっきり見えない。が、あの鏡にうつった愛らしい姿のような輪郭と、アイリーン自身が放つ美しい色彩と光輝を少し感じ取れた。
綺麗…全然はっきり見えないのに、こんなに綺麗って感じるなんて。天使ってきっとこんなんじゃないのかな…。
「愛理、これから、あなたは、あなたのした事の責任を取らなきゃいけない」
「責任? 私のした事って?」
「酷い事言ったり、したり、したでしょう。優にもお母さんにも」
確かに、した。
「その責任。自分がした事は必ず自分に戻ってくるの。だからこれから少し辛いと思う」
「だって…でも、優のは確かに私が悪い。けど、お母さんのは、あっちが悪いのよ。どうして私が責任取らなきゃならないの!」
「例えどういう状況であれ、愛理が思った事、言った事、した事には愛理自身が責任をとらなきゃならない」やさしいが、内に厳しさを感じる声でアイリーンはきっぱりと言った。
「そんな…そんなの納得できない」
「愛理のお母さんはまだまだ未熟だから、色んな間違いを犯す。こっちでは愛理の方が上に居るの。だから、許す気持ちを持たないといけない。同じレベルに落ちてしまってはいけない。かわいそうにと同情してあげるべき存在、憐れんであげるべき存在なの」アイリーンはやさしく諭すように言った。
「へ? …私の母親なのに?」同情?憐れむ?何言ってるの?
「そう。こっちでの上下に年齢は関係ない。勿論、親の方が上の段階に居る事もある。けど、愛理の場合は逆」
「けど、でも…それじゃ、お母さんだって私にした事の責任をとるべきよ」
「ええ。勿論。もう取らされてる。愛理に酷い言い方されたでしょ?」
「あ…」
「あのホワイトボードの件もそう。愛理が優を妬んだから、愛理も誰かに妬まれた。その結果があれ。自分がした事は自分に戻るの。」
アイリーンの話、すごく納得できる。
「愛理の優への愛念が枯れてしまったから、優の愛理への愛念も枯れてしまった…」そう言ったアイリーンの声は本当に哀し気だった。
「愛理、良い事でも同じなの。良い事も悪い事も同じ。自分がした事が自分に戻ってくるだけ。親切にすれば、親切にされる。やさしくすれば、やさしくされる。愛せば、愛される」
なんでだろう、アイリーンの声を聞いていると、落ち着いてくる。
「素直になって。私を信じて。いつも一緒だから」そう言って、アイリーンは愛理を抱きしめた。
ぁぁっ! 光に包まれてるみたい。なんて、なんて気持ちが良いんだろう。
「あっちでも、あなたが辛い時、悲しい時、私はいつもこうしてる。肉体と負の感情に阻まれて感じる事は難しいと思うけど…愛理、忘れないでね」
アイリーンも、ユーディと同じだ…哀しげな表情をしているように感じる・・・
次の日、優が愛理の席までやってきて声をかけた。「愛理」
愛理は優に目をやった。
「私、バスケ部戻るから」
「そんなのわざわざ言わなくたって、勝手にすれば良いじゃない」愛理は優から目をそらした。
「うん。勝手にするつもり。一応、一言言っておこうと思っただけだから」
「そう。わざわざどうも」愛理は目をそらしたままそう言った。
素直になんて…なれない。
愛理は唇をかみしめた。
優は、何も言わずに教室を出て行った。
これ以後、優とは一緒に通学しないどころか、全く言葉を交わさなくなった。