北へⅢ
「どけよブス」
あまりにも失礼なその言葉。
言葉をかけられたゆえは、一秒でキレた。
「誰がブスだオラァ! あぁん、ぶちのめすぞクラァ!」
怒りから吐き出した言葉だが、実は言葉の前にとっくに相手をぶちのめしていたりする。だけどそれでは怒りは治まらない。
つい反射的にぶちのめしたわけだが、反射行動であったがゆえに、ぶちのめした達成感は皆無なのだ。
それなのにムカつかされた怒りはあるので不完全燃焼。
感情的な面で言えばマイナス以外の要素が一切ない完全敗北と言えるだろう。
ボコられた相手はもはや虫の息であり、そんな相手に追撃と言うのは気分の良いものではないから余計に気分が悪い。
誠実すぎて損な性格よな、とゆえは自分を評価する。
「キャー!」
「何事だ!?」
「お巡りさん、あのブスが暴力を!」
「怖い!」
だけど周りは大騒ぎ。
ゆえはゆえあって目立つわけにはいかないので何事も穏便に済ませたいのに上手くいかないものだ、と世の不条理に嘆く。
北へ向かうための大型列車が動き出して、ある程度乗客が自由に動けるようになったので、ゆえは早速列車の中を探検してみようと思った。
相棒の男は「目立たないようにしてくださいよ」とゆえを送り出して自分は客席で休むつもりのようだ。
一応は国営の旅行列車なだけあって客席もでかいのだが、やはりこういう乗り物だと共有スペースを見てみたいと思うのが普通だろうに。
ゆえは相棒に対して若いのに冷めとるのー、と思っていたが個人の趣味にとやかく言うほど精神が若くないので流すことにした。
むしろ自分の見たことのないものに対する興味の方が大きい。
なにはともあれ、そんなこんなで一人で列車を探検して、列車内のいろんな施設を見て遊んでいたのだが、食堂スペースは人が多いこともあり、他人とぶつかってしまったのだ。
真剣に避けようと思えば避けれたが、別に通路で人と接触するくらいなんだというのか、そう思って軽く肩がぶつかっても「失礼」とでも一言で通りすぎようとしたのだが、ぶつかった相手、それなりに見映えの良い男が言ったのだ。
「どけよブス」
と。
これは殴らないわけにはいかないだろう。
だがそのせいで連行されるのだから、たまったものではない。
とはいえ、列車の警備隊に抵抗せずに取り締まり室まで連行されるしかないのだが。
下手に抵抗すると目立って仕方ないし。
で、列車の中の警備隊の取り締まりスペースで、警備隊隊員にゆえは良いわけを重ねる。
「ぶつかった、てかね? むしろすれ違いぎみだよ。マジ一瞬。そこでブスとか言われたらカッとなるじゃないか。アタシは中身はともかくガワは若い美人だってのにさ。だからムカついて、気付いたらボコボゴにしてたのさ。アタシは悪くない」
「普通は女に男をボコる体力なんて無さそうだが・・・・・・いや、それ以前に・・・・・・君はその容姿でブス呼ばわりされて怒るのはちょっと、な」
ゆえの言い分けに警備隊隊員は失礼な返事をするが、現代日本と違い人は他人に対してあまり遠慮をしないのが普通らしい。
目立つな、と言われた以上国家権力の一端である警備隊相手には素直に事情聴取を受けるし、多少ブスとか言われても怒りを堪えるゆえだが、そろそろ暴れてくれようか、と、思わなくもない。
「いやいや、あーた。アタシが美人だってわかんない? 目はついてる?」
「ほれ鏡」
お前は美人じゃないぜ、と言われたに等しいゆえはちょっとムカつきかけたが、鏡を見せられて思い出す。
「あ、アタシ今顔を変えてたんだっけ。こりゃ失敗」
と。
本来はちょっとキツめな印象はあるもののかなりの美人な容姿なのだが、今は顔の肉をボコボコに膨らませたりして、かなり不細工な顔にしていたのだった。
「こりゃ確かにブス言われても仕方ないかもね。いやでもすれ違っただけの女をブスって言うのはおかしいよね? 殴っても許される気がする」
ゆえは今の自分がブスであることを認めた。
しかし自分が悪いとは認めたくないようだ。
だから、自分は無罪で解放という形で決着だよね、などと思って警備隊にの人達の顔色を伺うのだが、様子がおかしい。
列車内の取調室だからか、人間が三人も入れば窮屈に感じそうな狭い部屋なだけあって、取調室には最初はゆえと警備隊の人が一人しかいなくて、一応は警戒のためと、入り口の横の小窓から覗いてる人がいたくらいであったのに、今やどうだ。
部屋に警備隊の人がもう一人入ってきて、さらに小窓からの視線も増えて感じるし、出入り口の向こうで慌ただしく人が集まってる気配も感じる。
「はてな? 何事だろう。まあいいや。アタシよりボコられた奴が悪いって分かったろうし、そろそろ出されても良いのでは?」
「・・・その前に」
周りの慌ただしい気配。なにか知らんが自分とは関係なかろ、と思ったゆえだが、なにか嫌な予感も感じるのだった。
その勘は正しい。
「君は今、顔を変えている、と言ったな? それは、なぜだ?」
「えっ・・・・・・どりゃー!」
警備隊の人の質問への答えに詰まるものの、ゆえは気合い一発、ジャンプと同時に両腕を天に突き上げ列車の天井をぶち破った。
その際、身を螺旋状に捻り、貫通力と破壊力を上げる小細工も忘れてはいない。
「中々の威力・・・よし、今の技はスクリュードライバーと名付け・・・おや?」
年甲斐もなく新しい技を開発したかも知れない、なんて達成感に浸ろうとしたゆえだが、妙なものを見た。
列車の真ん中あたりの側面に穴が開いているようなのだ。
「なんか事件かね。面白そうだし見に行ってみっか」
警備隊に目をつけられてしまったとはいえ、自分の不味い点は顔を変えているのと、いま列車の壁に穴を開けた程度。
おそらくは穴を塞ぐ応急修理のために、多少は速度が緩んでも列車事態を止めたり、引き返すなんて事はしないだろう、客は沢山いて一度の運行ですごい金額が動いてるはずだから。
多少の不穏分子をのせたままでもこのまま列車は動き続けるに決まってる。
そう思ってるゆえは一度逃げたらもう自分の身は安全だと思い込んで、目の前の他人のトラブルに野次馬しよう、なんて考えていた。
もちろん、そんな事なかったと後で思い知ることになるのだけど。