猫のお話⑩「秋の気配と秋祭り行ってみた!」
朝の庭に、柔らかな金色の光が降り注いでいた。
木々の葉は夏の濃い緑をゆっくりと手放し、赤や橙、黄金色に染まり始めている。
風がそよぐたび、ひらひらと舞い落ちる落ち葉が地面を優しく覆い、空気はひんやりと澄んで、遠くから焚き火の煙のような香りが漂っていた。
のり子はサンダルを履いた足で落ち葉をカサカサと踏みながら、ゆっくり庭を歩いていた。
その音が心地よくて、つい何度も同じ場所を往復してしまう。
隣には太郎が、ゆったりとした足取りでついてきていた。
「夏、終わっちゃったね……太郎。」
のり子は足を止めてしゃがみ込み、太郎の大きなふわふわの背中を両手で優しく撫でた。
太郎は目を細めてゴロゴロと深く喉を鳴らし、のり子の手にその大きな頭をすりつけてくる。
「秋って、ちょっと寂しいよね。虫の声も小さくなってきたし、朝晩も冷えるようになってきて……」
のり子がそう言うと、太郎は「にゃー」と低く太い声で返事をして、のり子の膝にその重い体をゆっくり預けてきた。
ずっしりとした温かさが、のり子の体にじんわりと伝わる。
「重いよー、太郎……また太った?」
のり子はくすくす笑いながら、両手で太郎の大きな頰を包み込み、親指で頭のてっぺんを丁寧に撫で続けた。
太郎は気持ちよさそうに目を閉じ、太い尻尾をゆっくり左右に振っている。
のり子は太郎の大きな体を抱きしめるように撫でながら、頰を寄せた。
「太郎といると、秋の寂しさもちょっと飛んでいっちゃうよ。」
秋風が吹き始めるころには、夏の暑さが嘘みたいに、朝晩の風が涼しく感じられるようになった。
のり子は庭の端にある古い木のベンチに腰を下ろした。太郎はすぐにその隣に飛び乗り、のり子の太ももに大きな体を横たえる。
重みで少しベンチがきしむ音がして、のり子はまた小さく笑った。
「ほんとに太ったよね、太郎。食べすぎだよ・・・」
指先で太郎のお腹のふわふわを優しく揉むと、太郎は満足げに喉をゴロゴロ鳴らしながら、のり子の手に前足を軽く乗せてきた。まるで「もっと撫でて」とねだっているようだ。
その時、遠くから太鼓の音が聞こえてきた。ドン、ドン……と低く響く音が、秋の澄んだ空気に溶けていく。
「あ、今年も始まるんだね。秋祭り。」
公民館の方から、秋祭りの太鼓の練習の音が聞こえた。
10月に入ると、朝晩は寒く感じるくらいに冷える日も出てきた。
今日は秋祭り。
お父さんとお母さんが、のり子にも浴衣を用意してくれた。紺地に白い桔梗の柄が可愛い浴衣だ。お母さんが帯を締めながら「今年はのり子も立派にお嬢さんね」と微笑んだ。
「わあ、きれい……!」
のり子は鏡の前で少し照れながら袖を振ってみた。
夕方になり、一家は神社の境内へと向かった。商店街の人たちが力を合わせて、境内いっぱいに屋台を並べている。提灯の柔らかな明かりが木々を照らし、太鼓の音が遠くから響いてくる。
たこ焼き、焼きそば、りんご飴、金魚すくい……。いつもの商店街のおじさんおばさんたちが、浴衣やはっぴ姿で威勢よく呼び込みをしていた。
「のり子ちゃん、来てくれたか! 今日はたくさん食べて遊んでいきなさいよ!」
近所のおばちゃんが笑顔で声をかけてくれる。のり子は嬉しくて、浴衣の袖を揺らしながらお父さんお母さんと一緒に境内を回った。
射的で小さな賞品をもらったり、かき氷を食べたり。
……でも、境内の一番奥、大きな楠の木のそばにだけ、ちょっと不思議な屋台がひとつだけぽつんと出ていた。
その屋台には、誰も気づいていないようだった。
小さな屋台……明らかに小さい。みかん箱ほどしかない屋台。
のり子は気になってその屋台の方に近づいてみた。
のり子は、かがんで屋台の中を覗き込んでみた。
そこには、変わった格好の猫がお店を開いていた。
黒い毛並みに銀色の星模様が散らばった猫で、頭に小さな提灯のような帽子をかぶり、首に七色に光る鈴をつけ、古びた風呂敷を広げて座っている。
「わあ……猫さんが露天商さん? すごいね、これ何?」
猫の屋台主は、のり子の方を向くと、にゃーにゃーにゃーと何か言ってるようだったが、のり子には全くわからない。
のり子はわからないまま、屋台主と話をしていると、後ろから聴き慣れた鳴き声が聞こえた。
その時、どこからともなく太郎がやってきた。いつも通りののんびりした足取りだが、その瞳は鋭く屋台を見据えている。
太郎は屋台の猫の前で足を止め、鼻を鳴らした。
「……また、ガラクタばっかり売ってるのか?」
太郎がそう言ったのか、あるいは猫同士の不思議な通じ合いか、屋台の猫は驚いたように背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。
「親分! 先日は助けていただいて、どうもありがとうございます! いやあ、この人間がさっきからえらく話しかけてくるのですけど、言葉がさっぱりわからなくて。商売あがったりでして……」
太郎はため息をつくように一度瞬きをすると、ちらりと横にいるのり子を見上げてから、再び屋台の猫に向き直った。
「……この人間は、俺の飼い主だよ。」
屋台の猫は目を丸くしてのり子を見つめ、それからすぐにパンパンと手を打つような仕草を見せた。
「ええっ! そうだったのですか? それは大変失礼いたしました!」
慌てた様子で風呂敷の中をひっくり返すと、猫は小さな光を放つ粒を取り出して差し出した。
「これはこれは、親分の飼い主さんとは存じ上げませんでした。……親分、どうかこれを持って行ってください。七色カリカリです。もしよろしければ、飼い主さんも一緒に『猫の秋祭り』へ連れて行ってはどうです? 親分の飼い主さんなら、悪い人間ではないのでしょう?」
七色の光を放つ粒が、夜風にさらされてキラキラと揺れている。
のり子はそれを見た瞬間、胸の奥で何かが弾けるような懐かしさを覚えた。
(あ……!)
以前、これを食べて白猫になったこと。そして、ミケにこれをあげて人間にして、大好きなおばあちゃんに会いに行かせたこと。あの不思議な冒険の日々が、鮮明に思い出された。
「あの時の……七色カリカリだ! これ、もらっていいの?」
のり子が驚いて声を上げると、屋台の猫はニヤリと笑ったように、短く「にゃん」と鳴いた。
「ありがとう!」
聞くよりも早く、のり子の指は自然と動いていた。
「にゃあ! にゃにゃあ!」
隣で太郎が慌てたように鳴き声を上げ、何やら必死に止めるような仕草を見せる。けれど、のり子は躊躇することなく、そのキラキラと輝く粒を口の中に放り込んだ。
太郎は「にゃあ……」と弱々しく声を漏らすと、大きな体をガクッと落として、深いため息をついた。
まるで「またやってくれたな」と言わんばかりに、太郎は力なくその場に座り込んでしまった。
のり子は、淡い光に包まれて、みるみるうちに白猫に変身してしまった。
屋台猫は目を丸くして、「おやおや、思いっきりがいい飼い主様ですねえ」と感心したように言った。
太郎は呆れたように肩をすくめる。「まったく、後先考えないから困ったもんだよ。いい奴なんだけどな。」
「後先考えないってなによ。ちゃんと『もらっていいの』って聞いたでしょ?」
のり子は言い返そうとして、自分が猫語で喋っていることに気づいて驚いた。
(あ、猫になったのね……!)
猫になったのり子は、不思議と気持ちが弾んだ。
「じゃあ、屋台の猫さん。商品の説明してよ!」
「まったく、懲りないやつだよ……」と太郎がぼやきつつ、横で首を振っている。
「でも、ここの商品はガラクタしかないぞ。」
「親分、ひどいですよ!」と屋台猫が抗議する。
のり子は屋台の上の商品に目を輝かせた。「この小さい眼鏡はなに?」
屋台猫は得意げに説明した。「それは、どんな暗闇でもくっきりと見えるようになる眼鏡ですよ。」
すると太郎が横から冷や水を浴びせるように言う。
「なっ、役に立たないだろう。俺達猫は、最初っから夜でも見えるんだから……」
太郎が言い切る前に、のり子が目を輝かせて言葉を挟んだ。
「すごーい、夜でもちゃんと見えるの? すごい眼鏡だね! でも猫用だから、すごく小さくて可愛い!」
のり子は人間だった頃の好奇心そのままに、小さな眼鏡を前足でちょいちょいと触った。
のり子は次に、屋台に並んでいた小さな小瓶を指差した。
「じゃあ、こっちの小瓶は何?」
屋台猫は声を弾ませて答えた。
「こっちはね、お肌がつるつるになる『つるるん脱毛クリーム』ですよ。どんなに毛深くたって、一塗りすれば効果抜群!」
すると太郎が、呆れ顔で横から口を挟む。
「おいおい、そんなの塗ったら、風邪ひいちまうぜ。」
猫は毛皮があってこそ、という太郎なりの親心(?)なのだが、のり子は全く気にしていない様子だ。
「すごーーい! これ、お母さんにあげたら、めっちゃ喜びそう!」
のり子は、自分が猫であることも忘れて、すっかり感心して見入っていた。
のり子はさらに、良い香りがする別の小瓶に目を止めた。
「じゃあ、この良い匂いがする油は何?」
屋台猫は胸を張って答える。「これはね、肩こりがたちまち治る秘伝の油ですよ。疲れた部分に一塗りすれば、あら不思議!」
太郎はすかさず「……猫が肩こりなんてするかよ」と言いかけたが、のり子のキラキラした瞳を見て言葉を飲み込んだ。
「……人間ってのは、本当にわけがわからん生き物だな」と、太郎は小さくぼそりとつぶやいた。
のり子は全く気にしていない様子で、油の小瓶を愛おしそうに眺めた。
「すごい! これお父さんにあげたら、きっとすごく喜ぶよ。パソコンの前でいつも仕事してて、『あー肩が痛い、のり子ちょっと肩叩いて』って言ってくるの。そのあと、お小遣いもらえるんだけどね!」
無邪気に笑う白い猫の姿に、太郎は深いため息をつきつつも、どこか諦めたような、優しい眼差しでのり子を見つめていた。
「親分、せっかく飼い主さんが猫になったのですから、猫のお祭りも案内したらいかがです? 七色カリカリも、いつまでも効果があるわけではありませんし」
屋台猫の言葉に、のり子は目を輝かせた。
「え? 猫のお祭り行きたーい!」
太郎は、少し困ったように鼻を鳴らしてから答えた。
「……そうだな、行くか。あんまり遅くなると、のり子のパパとママが心配するから、少しだけな。」
そう言って太郎は、屋台の裏の方にある、木々の茂みに隠された秘密の猫の抜け穴をくぐっていった。
のり子もその後に続いて、ワクワクしながらその不思議な穴をくぐった。
穴を抜けると、そこは別世界だった。
どこからともなく漂ってくる濃厚な「またたび」の芳香に、のり子の心は一瞬でとろけそうになる。見渡す限り、柔らかい月光のような光に満ちた広場が広がっていた。
広場の中央では、何匹もの猫たちがまたたびの袋に顔をうずめ、うっとりと幸せそうな表情でゴロゴロと寝転がっている。
「うわぁ……みんな、すごく幸せそう!」
のり子が思わず声を上げると、太郎は少し照れさそうに耳をピクリと動かした。
「……これが『猫の秋祭り』だよ。一年に一度、猫たちが一番リラックスできる日なんだ。」
見上げると、木々の枝には無数の「猫の光球」が提灯のように吊るされている。優しい暖色系の光を放つその玉は、近くを通るたびにゆらゆらと揺れ、周囲を柔らかな光で包み込んでいた。
光球を提げた猫たちが、嬉しそうに連れ立って歩いている。その姿はまるで、星空から降りてきた小さな妖精たちのようだ。
小さな猫用の、猫の光球を配っている屋台もあった。太郎が何か屋台の猫と話すと、小さな光球を太郎とのり子にくれた。
屋台の猫によると、この猫の光球は、信頼している家族や恋人、親友同士でつけるものらしい。
二人がそれを首から下げると、小さな淡い光が、首元からふわりと広がった。
さらに耳を澄ませば、どこからか可愛らしい歌声が聞こえてくる。
広場の隅では、数匹の猫が円を作って座り、体を揺らせながら楽しそうに声を合わせていた。
「にゃんにゃん、にゃにゃん、にゃんごろにゃん……」
それは、秋の虫の声とも重なる、不思議で心地よい猫たちの合唱だった。
「すごい……みんなで歌ってる!」
のり子は目を輝かせ、そのリズムに合わせて自然と体でリズムを刻んでいた。
「……あまりジロジロ見るなよ。恥ずかしいだろ。」
太郎は少しぶっきらぼうに言ったが、その尻尾は楽しげにパタパタとリズムを刻んでいて、本当は満更でもない様子だった。
太郎とのり子は、猫の秋祭りをひと通り歩いて見て回った。
「そろそろ帰らないと、のり子の親が心配してるぞ」
「そうだよね、太郎また連れてきてね」
「そうだな」
首から下げた光球を淡く光らせながら、二匹は元来た抜け穴を戻っていった。
元の場所に戻ると、屋台の猫が眠そうに座っていた。
「お店の商品、全然売れていないね」
のり子がそう言うと、
「ガラクタしかないからな」
と太郎も答えた。
屋台の猫は、一つため息をつくと、
小さな、脱毛クリームと、小さな良い匂いがする肩こりが治る油を、のり子に手渡した。
「持って帰りな、今日は商売あがったりだ」
「ありがとう」
「人間に使ったら、数回も持たないだろうけどな」
そう言うと、屋台猫は、商品を片づけ始めた。
その時、淡い光がのり子を包んだ。
「太郎、ありがとうね」
「にゃーん」
優しい光が消えるころには、のり子はもう人間の姿に戻っていた。
人間に戻ったのり子は、慌てて両親を探そうとした。
しかし、太郎が動かない。
「太郎、早くいかなきゃ」
「にゃ、にゃ」
太郎が首を回すと、そこには、太郎の弟分のしまねこがいつの間にかいた。
しまねこは、ひとつ「にゃーん」と鳴くと、ついて来いとばかりのり子の方を振り返りながら先導した。
しばらく、のり子と太郎は、しまねこについていくと、のり子の両親がそこにいた。
「もう、どこに行ってたのよ」
「はぐれてしまって、心配したぞ」
「ごめんなさい、奥の方の屋台見に行ってたの、お父さんと、お母さんに、プレゼント」
のり子は、猫の手のひらほどしかない、小さなケースと、小さな小瓶を両親に渡した。
「これはなんだい?」
「かわいい入れ物ね」
のり子は、にこにこしながら言った。
「帰りながら、説明してあげるね」
のり子の首と、太郎の首には、おそろいの小さな光球が淡く揺れていた。
その光だけは、人間には見えない猫たちの世界と、のり子を結ぶ、小さな約束のように静かに輝いていた。
おしまい




