魔王定食戦記〜三者三様の秋刀魚攻略法〜
「では、いただこう」
グリム様は静かにそう告げると、ゆったりとした動作で箸を手に取りました。
がっしりとした太い指が器用に箸を扱う様子は、なんとも不思議な迫力があります。その大きな手に収まった箸が、まるで小枝のように頼りなく見えてしまうほどでした。
やはり魔獣王ともなると、スケールが違いますね……ぼんやりそんなことを考えながら見ていると――。
ひょい、と秋刀魚を持ち上げました。
いやちょっと待ってください、それ丸ごといきます!?
骨とか頭とか、そういう概念完全に無視ですか???
さすがにそれは無理があるのでは……と思ったのも束の間、グリム様はがぶりと秋刀魚の半身に噛みつきます。
「……」
口いっぱいに秋刀魚を頬張った表情はどこか険しく、何かを確かめるような難しい顔つきでした。
心配でじっとその様子を見守っていると、徐々にその厳しい表情がほぐれ、口角が軽く持ち上がります。
「…………参ったな」
低く響く声に、私は思わず身構えました。けれどグリム様はすぐに瞳に楽しげな光を灯し、不敵な笑みを浮かべます。
「俺はこういうシンプルな料理が好きでな。複雑な調理法も確かに良いが、素材の旨味をただ一点に凝縮させる炭火焼きは、まさに力とシンプルさの極みだ。皮目のパリッとした食感、脂の甘さと旨み、炭火の香ばしさ。特に、この添えられた大根おろしのさっぱり感が脂の旨味を引き立てている。――実に美味い、気に入ったぞ」
「あ、ありがとうございます。お口に合ったようで良かったです! 炭火焼きにした甲斐がありました」
私はほっと胸を撫で下ろしました。ストレートな褒め言葉が気持ち良く、頬が自然と緩んでしまいます。
しかし、グリム様は真剣な顔で頷きながら、さらりととんでもない一言を追加しました。
「これは、あと三十匹は喰わねばな」
いや、無理ですって!
この店にそんな大量の秋刀魚ありませんからね!?
それに、いくら秋刀魚が美味しくても、三十匹焼けば煙が尋常じゃありません。
雑貨屋さんと村長に見つけられた日には、『秋の味覚~ラストダンジョン最寄りの村おこしキャンペーン』なんて企画が勝手に動き出すに決まっています!!!!(確信)
お願いですから、ほどほどでお願いしますね!
続いてアモルテ様が優雅な仕草で箸を手に取りました。
繊細な仕草で秋刀魚をほぐし、大根おろしを添え、すだちの果汁をそっと垂らして丁寧に口元へ運びます。
その様子は、先程のグリム様とあまりに対照的で、同じ料理を食べているとは到底思えません。
ヴェール越しのアモルテ様の表情は、次第にふわりとした微笑みに変わりました。
「……あぁ、これは素敵だねぇ。珍しい食材や凝った調理法ではないけれど、それゆえに素材そのものが持つ繊細な味わいが伝わってくるよ。香ばしい秋刀魚と、大根おろしのさっぱりした風味、すだちの爽やかな酸味、それに紅葉を模した可憐なにんじんが、舌の上でまるで小さな物語を語りかけてくるみたいだ。これはまさしく『愛』の味だね」
薄絹の向こうで穏やかに目を細めるその姿は、まさに『愛の魔王』そのもの。
そのあまりにも甘美な称賛に、私は思わず顔を伏せました。
私の料理は本当に普通なんです。
『愛』だなんて、そんな立派なものではありません。
「そ、そこまで言われると、なんだか恥ずかしいです……」
頬を染めながら小さく呟くと、アモルテ様はそれを楽しそうに見つめて、くすりと妖艶に笑いました。
やめてください、本当に今はこっちを見ないでください!
これ以上顔が赤くなったら『メルヴィの赤面照れ焼き仕立て』になってしまいますから!!!
そんなふうにひそかに狼狽えながらも、私は二人の魔王様が満足していることに、そっと胸を撫で下ろすのでした。
さあ、次はバルゼオン様の番です。
この流れからどうなるのか、正直かなり心配ですが……。
私は胸の中で祈るような気持ちを抱きながら、そっと魔王様へと視線を移しました。
堂々とした佇まいとは裏腹に、手元の秋刀魚を見つめるバルゼオン様の表情は、妙に難しく曇っています。
ちょっと待ってください。
まさか、本当は魚が苦手だったとか、今さらそんなオチではありませんよね?
それとも、さっきの雑貨屋さんのせいで変なモードに入ってしまったのでしょうか……。
私が心配そうに見守っていると、意を決したようにバルゼオン様が秋刀魚を口に運びました。
その瞬間――。
「……美味い!!!」
びっくりするほどハッキリした声が店内に響き渡りました。
ですよね、知ってました!!!
いつもどおりすぎて逆に安心しちゃいますよ!
先程までの私の不安などどこ吹く風で、バルゼオン様はじっと皿を見つめ真面目な顔で食レポを続けます。
「まず、口に入れた瞬間に感じるのは秋刀魚の皮目の繊細な焦げ目と、その香ばしい香りだ。……炭火で引き出された魚の旨味が実に素晴らしい。皮はパリッと焼きあがり、舌に触れた瞬間に秋刀魚の脂がじゅわりと広がる。そこへすかさず、爽やかなすだちの酸味が旨味を引き立て、大根おろしが優しく調和をもたらしている」
「……さらに特筆すべきは、このにんじんの紅葉飾りだ。季節感というだけでなく、味や食感でも単調になりがちな焼き魚に彩りを加えている。メルヴィよ、お前の細やかな気遣いが、皿の上に小さな秋の風景を作り出しているのだな」
「あ……ありがとうございます! そんな丁寧に褒めていただけるとは思ってなかったので、正直驚きました……。でも、すごく嬉しいです」
――普段の魔王様は、あまり細かいところに気づかなそうなタイプなのに。
褒められて少し恥ずかしいけれど、やっぱり嬉しくて心がじんわりと温かくなります。
なんだか、明日からもっと頑張れそうな気がしました。
はにかむ私の姿を見て魔王様は満足そうに頷きましたが、急に何か物足りなさそうな顔に変わり、ぽつりと呟きました。
「……だが、この料理には大きな問題がある」
えっ、今になって問題発覚?
ジルヴァラク様に続いて私まで何か指摘されるんですか!?
うう、料理の評価って最後まで分かりませんね……心臓が持ちません!
「美味すぎて、ご飯が欲しくなってしまうのだ……白米、味噌汁、それに小鉢に漬物。この秋刀魚は定食として完成すべきであろう」
「魔王様ルールを思い出して!? 一品料理!! 定食ダメ絶対!!!」
それじゃあ完全にいつもの通常営業です!
バルゼオン様にルールという概念はないのでしょうか。
自由奔放に好きなものを求める姿勢、ここではやめてくださいよ!
「しかし、焼きたての秋刀魚には白いご飯が必須であろう?」
「くっ……それは全定食屋が共感する意見ですけど、今は忘れてください! 料理勝負じゃなくて、ただの『秋刀魚定食』になっちゃいますから!!」
私が思わずツッコミを入れると、バルゼオン様はむしろそれを当然だとでも言うように、堂々と胸を張って答えました
「料理勝負などどうでも良い。くだらぬ枷や些事に興味を示すほど、我は暇ではないのだ。そもそも、我がラストダンジョンという孤高の居城を出て、この店を訪れる理由が何だと思っている? ……それはメルヴィが作る定食を食べるためなのだ」
「いやちょっ……! 原因ーーーー!!!!」
そもそもこの状況、魔王様の軽率な発言から始まったんでしょうが!
うちの店、完全に巻き込まれ損です。
店主の努力を無駄にしないで欲しい!!
……しかし何故でしょうか?
毎回毎回、魔王様の発言には振り回されっぱなしですが、それでも『定食を食べるため』と言ってもらえると、なんだか料理人として報われた気分になります。
ああ、もう完全に感覚が麻痺していますね。
魔王様がラストダンジョンから通ってきていることを、『怖い』じゃなくて『ちょっと嬉しい』って思ってしまうなんて。
「まったくもう……本当に仕方のない魔王様ですね」
私は小さくため息をつきながらも、諦め半分、呆れ半分でゆっくりと口を開きました。
「……分かりましたよ。あとでご飯と味噌汁、それから小鉢もお出ししますから。今日はもう、一品料理勝負という趣旨を完全に諦めます!」
「うむ、それでよい」
バルゼオン様は目を輝かせました。
まるで、初めて勇者に勝った魔王が見せるような初々しい喜びの表情に私までなんだか嬉しくなってしまいます。
いや、本当にずるいですよ、この魔王様!
こんな無邪気で真っ直ぐなところを見せられたら、怒るに怒れないじゃないですか。
内心で軽く呆れつつも、私は密かに口元を緩めてしまったのでした。




