魔王様にクッキーをあげた翌日の惨劇・続々編
【前回のあらすじ】
グラフが定食屋の扉を吹き飛ばしたので、魔王様が謝罪した。
「あの……グラフ、グラフさん? ちょっと、大丈夫ですか? 聞こえてます?」
慎重に声をかけてみたものの、グラフは虚空を見つめたまま完全に固まっていました。銀縁眼鏡は片耳からずれ落ち、いつも整っている髪は乱れて額にかかっています。
「丸がハート?……いや、しかしあれはどう見ても丸……いや、でもバルゼオン様が……ハート型と……?」
思考が無限ループしているようです。
もはや自問自答どころか、迷宮に迷い込んだ冒険者のような状態。いつも冷静なグラフが、たかだかクッキーでこんなに壊れてしまうとは。
完全に脳の処理能力を超えてしまったようですね。いや、魔王様の謎理論を聞かされた後では無理もないのですが。魔族も人間と同じように、理解を超えた現象に直面したら混乱すると初めて知りました。
……これ、放っておいたら話が全然進まないのでは?
「あのですね……とりあえず扉、直してもらってもいいですか?」
「……ッ、定食屋の……人間の、女……!」
「えっ?」
私が控えめに頼むと、グラフがゆっくりと顔を上げました。
その目には、怨嗟の色がこもっています。
「貴様……!よくもバルゼオン様を誑かしたな……!! この私の、知らぬ間に……ッッッ!!!」
「待って待って待って! 違いますから!! 絶対違いますから!!!」
巻き込まれ事故もいい加減にしてほしい!!
そもそも私は普通のクッキーを作っただけであって、誑かすつもりなど毛ほどもないのです!!!
しかしグラフの疑念は晴れず、その目は疑い深く扉へと移りました。
そうです、まず扉です。これを何とかしてもらわないと、このままでは今日の営業すら始められません。
「とりあえず、この扉を先にどうにかしてくれませんか? このままだと、お店が続けられないんです……!」
「まあ、確かに……仕方ない、バルゼオン様ご命令の通り、修復してやろう」
「ほ、本当ですか!? よかったぁ……!!」
心の底から安堵の息が漏れました。よし、これで営業再開の希望が見えてきました――が。
「だが、人間の女よ……貴様の動向は、今後一切見逃さん。これからは常に監視させてもらう」
「……はい???」
なんか今、とても物騒な単語が聞こえた気がするんですが!! 扉が壊れた時より、店の存続に関わる問題じゃないですか!!!
「バルゼオン様に、人間が手作りクッキーを渡したなど前代未聞……ッ! このまま放っておくわけにはいかん……」
「ただのお礼ですよ、普通のお返しクッキーですってば!」
「甘いな、人間の女……甘味だけに!!」
「どうしてこのタイミングで言おうと思ったんですか!!!!」
何でこの店、ツッコミ役が私一人なんでしょう……。
頼むから、これ以上私の仕事を増やさないでください!!!
私はありったけの力を込めて反論しましたが、グラフの瞳に宿った決意は微動だにしませんでした。
「お前の定食屋は、放っておくと世界の危機につながる予感がする。よって私が監視を担当する」
「大げさすぎます! うちはただの場末の定食屋ですから!!」
「それを判断するのは私だ」
「 人の店を勝手に危険判定しないでください! 絶対嫌ですからね!!」
抵抗する私の声など意にも介さず、グラフは静かに頷きながら、何やら本気で段取りを考え始めました。
「……扉の修理が終わり次第、この店の様子を監視する。場合によっては、この私が偶に定食屋で働いてやっても構わん」
「えっ!? ちょっ、それ何て展開!?!?」
「皿洗い程度なら問題ないだろう」
「問題しかない!!!!」
私は叫びながら頭を抱えました。
扉が吹き飛んだだけでも十分すぎる迷惑なのに、この上なぜ魔王様の側近が店の臨時スタッフになるなどという、意味不明な事態が起きるのでしょうか。
「クッキーなんて焼くんじゃなかった……!」
粉々になった扉の破片を前に、私は再び深いため息をつくことしかできませんでした。




