56 研究協力
いい推しの日
(なかなか更新できず申し訳ありません)
時は遡り、学年末試験を控えた某日。
私は一人、星灯騎士団の魔術部門の研究施設にきていました。
この身に宿る人間ではない血について諸々の検査を受けるためです。
「こんにちは。あれ、マクシムさんは? 今日は一緒じゃないの?」
「!?」
出迎えてくださったのはトップ騎士のミューマ様でした。
あれから何度もこの研究施設にお邪魔していますが、このようなことは初めてです。どうやら父に話があったご様子。
「こ、こんにちは。えっと父は、その、急な商談が入ってしまって後日伺うとのことで……申し訳ありません」
「そうなんだ。別にいいよ。協力してもらっているのはこちらの方だから。じゃあこっちに来て」
神々しいほど整ったお顔からそっと目をそらし、私は冷汗をかきながらミューマ様の後に続いて検査室に入りました。
握手会でもイベントでも騎士カフェでもないのに、至近距離に星灯のトップ騎士様がいる。ミューマ様推しの姫君の顔がいくつか浮かび、罪悪感で震えが……。
もちろん、二人きりではありません。
採血や魔力測定などの検査は別の研究員の方がしてくださり、ミューマ様はその数値を過去のものと比べているだけ。
何もやましいことはございません。
そう思いつつも私はいつもよりも緊張しながら検査を受けつつ、取り留めもないことを考えていました。
私とミューマ様のおじい様同士は友人だったそうです。
ハーティー家が没落に見せかけた雲隠れをしていなければ、もしかしたら孫同士でも交流があったかもしれません。
そう考えるとすごいです。
王都で知らぬ者はいない星灯騎士団の神童・ミューマ様と友人だった可能性が――。
「…………」
いえ、無理がありますね。急激に冷静になりました。
私の対同年代男子へのコミュ力を鑑みるに、幼なじみのような親密な関係ではなく、顔見知り程度にしかなれなさそうです。
世の中にはごく自然に異性のお友達を作れる女性がいるのですが、どうすればそのようなことが可能なのでしょうか。
自意識過剰だと分かっていても、いざ対面すると緊張してうまく話せません。
私が家族以外でまともにお話しできる男性なんて、社交性花丸のリリンちゃんと同好の士であるピノー先生だけです。
※ネロくんの前ではまともではいられないので除外するものとします。
私が己の交友関係の狭さを嘆いている間に、随分と時間が経っていました。
「さて、定期検査は全部終わったね。特に変化なし。でも、今日はもう少し付き合ってほしいんだ。ちょっと僕の個人研究室に来てくれる?」
「え⁉」
「きみに協力してほしい実験があるんだ。怖くも痛くもないから安心して」
ミューマ様からの突然の提案に、私は戸惑いながらついていきました。
急展開です。
「…………」
「…………」
研究室までの道中の無言がつらい。
こういう時は何か話しかけたほうが良いのでしょうか。
天気や気候の話? 研究についての質問?
そこから話を広げる自信がありません。
もちろんミューマ様に聞いてみたいことはいくつかあります。
最近、ネロくんとミューマ様は随分と仲良くなったようです。
騎士カフェでお見かけした時やイベントの解説の言葉の節々からそれが伝わってきました。
同い年ですし、二人とも落ち着いた性格なので気が合う部分があるのでしょう。
ネロくんがトップ騎士様と普段どのような会話をしているのか、大変気になります。
……でも、この話題は良くないですよね。
今日は研究員と研究対象という立場で相対しているわけですが、基本的に私は部外者で星灯騎士団のファンの一人。
抜け駆けのような真似は慎まなければ。
ああ、でも先日の遠距離攻撃部隊の訓練発表会の感想をお伝えするくらいは許されるでしょうか?
賞賛の言葉をお贈りするのと、このまま沈黙を貫くのではどちらが失礼に当たるのか。
うぅ、分かりません。
もう一つミューマ様と話すべきことがあるのですが、どうにも私からは切り出しにくく……。
「そういえば、学校ではその後どう? あの子にはもう意地悪されてない?」
「あ! イリーネちゃんのことですね。大丈夫ですよ。授業で顔を合わせても会釈し合う程度です。その節はご迷惑をおかけしました。申し訳ありません!」
絶妙なタイミングでその話題を投げかけられ、私はピンと背筋を伸ばし、そのまま深々と謝罪の礼をしました。
ミューマ様の隠れファンだったイリーネちゃん。
入学当時に友達になったものの私とはすぐに疎遠になり、少し前にトラブルに発展して最終的にミューマ様に握手会出禁を言い渡された同級生です。
停学になったことがだいぶ堪えたようで、今は粛々と過ごしている印象ですね。
「こちらこそごめんね。嫌な思いをさせた」
「いえ、ミューマ様は何も悪くありません!」
イリーネちゃん本人に問題があったのは大前提ですが、私が推し活に目覚めてはしゃいでいたのもよくなかったのです。
急に美容やファッションに力を入れたり、精力的に活動し始めたり、周囲を戸惑わせていたかもしれません。
変化を好意的に受け取ってくれる人ばかりとは限らず、イリーネちゃんに悪い刺激を与えてしまったのは確かです。
……私の場合、この身に流れる血が人間の本能に影響を与えている可能性も少なからずあるのかもしれませんが。
「そう。大丈夫なら良かった。きみも悪くないから、何も気にせずこれからもネロのことを応援してあげてね」
「! ありがとうございます!」
「着いたよ。入って」
「はい!」
ミューマ様の研究室に辿り着きました。
扉を開けたままにしてくださったので密室に二人きりという状況は回避されましたが、人気のない場所であることには変わりありません。
心臓から変な音が……。
ネロくんにガチ恋しているとはいえ、国を代表するような同年代の美少年と二人きりになって冷静でいられるはずもありません。それとこれとは話が別です。
単純に緊張しますし、こういう状況に陥ったことがそれこそイリーネちゃんや他の姫君の耳に入ったらと思うと生きた心地がしません。
私がメンタルの生死の狭間を反復横跳びしている間に、ミューマ様は複雑な術式が刻まれた装置のセッティングを始めました。
針のついたメモリや七色に輝く液体が入ったフラスコが繋がっています。
装置から伸びる不思議な光沢の金属の輪を渡されました。
「これを手首にはめてくれる?」
「はい。えっと、これはなんの装置ですか?」
「未完成なんだけど、愛属性の魔力を観測する新しい装置。今の時点で計器がどれくらい反応するか見たい」
「……なるほど?」
愛属性の魔力は人の心から生まれるエネルギーゆえに測定するのが難しいものだと聞いています。
そして魔女と悪魔の弱点でもあるので、きちんと測定できるようになれば今後の戦いが有利になりそうです。
想像していた以上に重要な実験になりそう。
私は上ずった心を無理矢理沈め、真剣にミューマ様と装置に向き合いました。
装置が置かれたテーブルを挟んで対面に座ります。
やがてミューマ様が無表情のまま、「どうぞ」と手を広げました。
「というわけで、はい。恋バナして」
「……今なんと? コイバナ……専門用語ですか?」
まず自分の耳を疑ってしまいました。
そんな、まさかミューマ様の口からこのような俗っぽい単語が出てくるなんて……。
「いや、恋バナといえば恋愛の話でしょ。なんでもいいから聞かせてくれる?」
あまりにも雑な要求……。
ええ、でもミューマ様の狙いは分かりました。
愛属性の魔力を観測するためにそれが高まるようなこと――すなわち恋の話をしろということでしょう。
「え、えっと。その、そんな、急に言われましても恥ずかしくてとても……!」
ほとんど面識のない同年代の異性に自分の恋愛について話すなんて、私じゃなくともハードルが高すぎます!
姫君同士で推し騎士様の魅力を話し合うのとはわけが違います!
「そんなに恥ずかしいこと? きみがネロのことを本気で大好きだってことはもう知ってるよ」
「っ!」
羞恥心が着火して、顔が燃えるように熱いです!
それを見て取って、ミューマ様は一つ頷きました。
「ああ、ごめん。これだとなんらかのハラスメントに引っかかっちゃうかな」
「ごめんなさい。少々戸惑いが強く……恋バナというものは本当に親しい間柄の友人とするものだと認識しておりまして……えっとえっと、どうしましょう!」
「そういうものなんだ。じゃあいい。今日は諦めるよ。困らせてごめんね」
そんなに謝らないでください、と私は恐縮しつつ額の汗をぬぐいました。
「だったら、仕方がない。じゃあ僕がネロの話をするから――」
「え⁉ いいんですか!?」
その時、装置の計器の針がぐーんと動きを見せました。
「…………」
ミューマ様は数値をメモして、特に反応を見せずに淡々と話し始めました。
「夜の当直の時に、ネロとペアになると夜食を作ってもらえるんだ。それがものすごく美味しくてみんなに大人気なんだよ。前の任務の時に野外で作ってくれたご飯も美味しかったな」
「わぁ、すごい。羨ましいー!」
「この前は資料室で過去の使い魔戦の記録を見たいから、読み方を教えてほしいって頼まれた。当時のことをいろいろ話したよ。射手としての立ち回りを勉強し直してるみたい」
「さすがです! 勉強熱心で偉すぎます!」
「訓練発表会で一射外したことを気にしているんだって。多分、ジュリアン辺りに発破をかけられたんだと思う。少し訓練で行き詰っているってリリンたちも心配してた」
「そんな……大丈夫でしょうか……?」
どんどん出てくる貴重な情報に私は一喜一憂しながら夢中になりました。
計器の針がギュンギュン動いて、ミューマさんもメモを取る手が忙しそうです。
「……ありがとう。良いデータが取れたよ。装置が壊れそうだし、今日はこのくらいにしておこう」
「こちらこそありがとうございます!!!」
「そんなに喜んでもらえたのなら良かった。次はまた一か月後の都合の良い日に。……そういえば、夏季休暇中の旅行のことをマクシムさんから聞かされていたっけ。きみも行くの?」
一か月後の予定を思い出し、私は我に返りました。
「……そうなんです。家族と友人と旅行に。すみません」
「別にいいよ。アステルとジュリアンに許可を取っているなら」
私たちの一族は王国にとって特殊な立場にあることから、移動に制限が課せられるようになりました。勝手にどこかにいなくなるな、ということですね。
むしろ普段自由に生活させてもらっていることに感謝していますし、今回もあっさりと旅行の許可をもらえて驚いたくらいです。
「どうしてそんなに浮かない顔なの? 行きたくない?」
「いえ! 旅行はとても楽しみなんです。でも、でも……その間にネロくんの握手会が開催されたらと思うと……くぅ」
これまでずっと皆勤賞で握手会に参加できていました。
しかし今回、旅行で一週間ほど王都を離れることになり、ネロくんの握手会に参加できない可能性があります。
仕方がないこととはいえ、もったいない。ネロくんの役に立てる貴重な機会を失うことに……。
「しばらく使い魔は出ないはずだし、大丈夫じゃない? 普通の訓練や魔物討伐はあるかもしれないけど。ちなみにどこに行くんだっけ?」
「南部のリゾート都市・リンピアです」
「え。……そういえば、日程的に」
ミューマ様はしばし考えるように視線を逸らした後、小さく微笑みました。
「運命って本当にあるのかも。すごいね」
2026年にコミカライズ化することが決定いたしました!
書籍版2巻も鋭意製作中です。
今後とも推し騎士をよろしくお願いいたします。




