聖夜の狂騒曲・5
イブは元々騎士の家系であり、代々人を守るのが信条だと刻まれて育っていた。
規範を重んじる。上司の言うことは聞く。曲げない。媚びない。己の信念のままに。
そう育てられ、彼女もそれをよしとして成長を遂げた。が。
学園アルカナにおいて、様々な層と出会った。
革命組織は現状の国の規範では居心地が悪いらしい。なにも悪いことをしていない後輩は、国の規範のためには処刑されないといけないらしい。いろんな規範が入り乱れた結果、たったひとりを処刑することで、校内生徒の意思統一をしようとしたのが、数ヶ月前の騒動であった。
このとき、散々な思いをしてイブが出した結論は。
正義はどうも必ずしもひとつではないらしいということ。
だとしたら自分はどうすればいいのか。イブは生徒会執行部の後輩たちを鍛えながら考えたのは。
「喧嘩をしても、揉めても。仲直りできるんだったらそれでいいんです。ただ……仲直りできなくなるほど溝をつくろうとする方がいたら、それは排除せねばなりません」
全員の正義が必ずしもひとつにはなりえない。しかし、皆が自分の正義を主張し続ける環境は守るべきだ。一番の問題は、誰かが自分の正義を押しつけたせいで、人の正義を踏みにじってしまうことだ。
イブはそう考えたからこそ、【黄金の夜明け団】は断固として倒さねばならなかった。
現在、囮に使った後輩たちは、強制的に魔力を吸われてぐったりしている。彼らは魔力が多少なりともあったから、それで済んでいる。もし魔力のない小アルカナが吸われていたらと思うと……。
イブはゴーレムに乗り、そのまま残っている面子に指示を飛ばす。
「ゴーレム部隊、前へ! 彼にゾーンをつくらせるな! 風部隊、ゴーレム部隊の後方より援護を! その他は囮部隊の回収をお願いします!」
「はっ……!」
土魔法の部隊は一斉にゴーレムから土塊を出して、ホルスを攻撃しはじめた。
彼に再びゾーンをつくられ、その中に閉じ込められたら終わりだ。しかしゾーンは大幅に魔力を消耗するため、回避行動を取りながらゾーン形成はできない。
イブは日頃からゾーン使いのエルナトと一緒に仕事に励んでいるため、ゾーンの扱いについては熟知していた……そもそも、それでなければ、わざわざカウスたち革命組織に喧嘩を売りに突撃をかますような真似はしないし、カウスたちも彼女を傷付けないようにデネボラを前面に出して抑え込む真似はしないのだ。
土塊がこちらに飛んでこないよう、風魔法の部隊が風で障壁をつくり、それらをガードする。その上風の障壁でホルスを取り逃がさないように心得る。
これでホルスを拘束できる……そう思ったときだった。
「……ふふ、遊びはこれまでです。騎士団ごっこに満足なさいましたか?」
「ご、……こですってぇ……?」
イブが眉間を吊り上げてゴーレムから唸り声を上げる。それに、ゴーレムでぐったりとしているスカトが慌てる。
「イブ先輩っ、今のは挑発だ」
「はっ! ……その手には乗りません」
「いえいえ。あなた方の頑張りには感銘を受けました……ただ。この国のシステムに取り込まれてしまった、大変に憐れな方だと感じました」
「それは……どういう」
途端に、再び光が辺りを包んでいく。土塊を出して攻撃をしていたゴーレム部隊も、風部隊も、だんだん力が弱くなっていく。
ゾーンにより、再び魔力を奪われはじめたのだ。
「本来、我々【黄金の夜明け団】は、力のある者たちが、より多くの魔法を使え、栄えるようにつくられてきました。ですが……現状はただ、力のある者たちは責任ばかりを押しつけられ、弱者の悲鳴を聞き届けなくてはなりません。それでは、力のある者たちが疲弊して、栄えることはできずに共倒れするばかりです。ですから……弱者を助けるために力をいただく。それにより栄光を手にするように世界を作り直そうとしているのです……その理想のなにがどう、間違っていますか?」
「……間違ってるじゃ、ないですかぁ……!!」
囮部隊の面々はこれ以上魔力を吸われたら、枯渇する。魔力が枯渇したあとは、命が尽きるまで吸われ続ける。
(私は……なんのために来たの!? もうこの子たちを傷付けないためなのに……!!)
そうイブがどうにか脱出するために、ホルスに土塊をぶつけるべくカードフォルダーに手をかけようとしたとき。ふいにルヴィリエから手を掴まれて止められた。
「ルヴィリエちゃん?」
「……だいじょーぶです、イブ先輩……もう、来ますから」
「来ますって……」
ルヴィリエの言葉にイブが声を上げたときだった。
先程まで誰もいなかったはずのゾーンに、ひびが入った。ありえない。
生徒会執行部はなにも寮だけに布陣していたのではない。現在は【黄金の夜明け団】最高幹部の捜査のために、相当人を裂いているはずなのだから。
しかも、そのゾーンのひびは土魔法による無骨なものでも、【力】によるごり押しでもない。嬲る風が、ゾーンを叩き割ったのだ。
これだけの風魔法を使いこなせる人間は、そう多くはない。
「やれやれ。本当に好き勝手ばかり言ってくれるな」
このしばらく、全く聞いていなかった声だった。
誰の言うことも聞かず、それどころか校則も法律も無視して、己のしたいことしかしなかった声……生徒会執行部も、革命組織も、五貴人すらも、彼の心を縛ることはできなかった。
「その栄光に、本当に愛はあるのかい?」
そこに存在していたのは、ウォームグレイのスーツに黒いコートを着て、風で浮いているエルメスであった。その隣には、当然のようにレダが赤いイブニングドレスの上に毛皮のコートを着て寄り添っていた。
【恋人たち】のカードを手にしたふたりが、連携技でかまいたちを引き起こして、ゾーンを割ったのである。
「……エルメス先輩に、レダ先輩? でも、先輩たちは退学して……」
「人手が足りないから、手伝うように言われたんだよ。おおかたゾーン使いには苦戦するだろうとね。なにより」
エルメスは相変わらずのように、レダの腰に手を回す。レダは嬉しそうに彼にすり寄った。
「放置していたら、大切な彼女が死んでしまうような真似、捨て置ける訳がないからね」
当然ながら【黄金の夜明け団】のテロが成功し、アルカナカードのシステムが書き換えられてしまったら、小アルカナは皆魔力供給源として死に至る……小アルカナであるレダも当然ながら死ぬのだが。
そこでスカトは気付いた。
「……レダ先輩が使ってるのは、【恋人たち】では?」
「当然ながら、彼女が小アルカナのままでは、トートアルカナに魔力を搾取されて死に至りますからねえ。私がアイオーンに進言して、彼女に一時的に【恋人たち】の力を貸し与えた訳ですよぉ」
そう言いながらひょっこりと出てきたのは、出かけていたはずのヨハネであった。
相変わらず神官服を着たままの彼にイブは「えっと?」と困り果てた顔で見る。
ヨハネはにこやかに、周りを見た。
皆、魔力を吸われてヘロヘロしていて、元気なのは追加投入されたエルメスとレダに、帰ってきたばかりのヨハネだけである。
「皆さんは少々休んでいてくださいね。魔力、あとで差し上げますから。エリクシールがないと、こういうときちょーっとだけ困ってしまいますね」
そうにこやかに言ってから、ゴーレム部隊たちの前に、ストンとヨハネは降り立った。
そのままホルスと顔を見合わせると、今まで神聖な雰囲気を誇っていたホルスが、あまりにも嫌悪感丸出しの顔を示す。
「……もう帰ってきたのですか」
「ええ。ちょうど迎えに行った矢先で、仲のよろしい恋人同士の方々も一緒に連れ帰ってきたんですよ。しかし……あなたも少しは聖書を噛み砕きなさいと、私何度も申したと思いますが?」
「なにを言っているのですか。あなたは……それで世界が、本気で変わると思っているんですか?」
「……憎悪を煽って憎悪を再生産させたところで、滅びの未来は変わりませんよ。我々がすべきは、滅びるのならば、せめてもっと緩やかに痛みのないようにの、そのはずです」
ふたりの会話は、なにがどういうことなのか、傍からはわからなかった。
ただひとつ。
いつも穏やかににこにこと笑っているヨハネの目が、本当に珍しく笑っていないことだけ。
同じ神官服を着ているにもかかわらず、片や真っ黒な神官服、片や真っ白な神官服。
まるで水と油のようにそりの合わないように見えた。
****
ホルスとヨハネが知り合ったのは、幼少期。
ふたりとも初等学校時代から、神官学校に通っていた。神官学校は高等学校を卒業してから入る道と、幼少期から入る道とある。前者は主に一般人に向けた道であり、後者は神官長候補を育てるための、貴族からの道であった。
ヨハネは幼少期から神官学校に定期訪問に来ていた王族のアイオーンの看病をする内に気に入られ、ふたりで一緒に遊ぶようになった。
それをホルスは忌々しく思いながら見ていた。
(王族に媚びて、神官長になろうとするなんて……この国で王の次にえらいのは神官長だ。神官長になるのはぼくだ)
同じ試験を受け、同じ聖書をそらんじ、同じ賛美歌を歌う。
ふたりの実力は拮抗し、天才少年ふたりの内、どちらかが神官長になるのではないかと期待されていたところで。
先代神官長から選ばれたのは、わずか十二歳のヨハネだったのだ。
そのときのホルスの荒れようは異常だった。
いつの間にやら舞台に傾倒し、聖書だけでなく舞台の話をするようになり、神官長に着任したあとでも子供たちに積極的に劇を教えるようになったヨハネ。職権乱用の上に、王族とのコネもある彼が、憎くて憎くて仕方がなかった。
(私とあれの、なにがどう違うのか……!!)
そうホルスは激情に駆られたものの、それは表に出すことなく、神殿付属図書館で静かに勉強していた。図書館はいい。あのヨハネの脳天気な笑い声を聞くことも、演劇雑談を聞かされることも、彼を信仰している人々の顔も見ずに済むのだから。
彼は聖書を読み砕き、自分の中に吸収していく術を、共に勉強していた頃にヨハネから教わっていた。
そんな彼はある日、珍しく真新しい本が本棚に刺さっていることに気付いた。
「あれ、新しい聖書……?」
神殿付属図書館は、基本的に読み古された本しかなく、もし新しい本が入ったとすればそれは神殿に寄付している貴族の寄贈品だ。
どこの貴族が寄贈したのだろうと思って手に取った本の表紙には、黄金の船が描かれていた。そんな表紙の使われる説話は、聖書を十数年読んでいるホルスでも見たことがなく、興味を持ってページを捲ったのだった。
ひとつ、嫉妬に身を任せるなかれ。
ひとつ、全てを鵜呑みにするなかれ。
ひとつ、おかしいと思ったら引き返せ。
神殿で聖書を読む際に、講師たちから口酸っぱく教えられてきたことを、ホルスはスコンと抜け落ちてしまっていた。




