オリーブちゃんの話
◆◆◆
私たちの元に大金が送られてきたのは、お姉様が王宮にお勤めに出てから少ししてのことだった。
百万ギルスという大金が、王宮に出入りしている身元の確かな配達人によって届けられて、それがお姉様からの仕送りだと知った時、私はローズマリーと手を取り合って喜んだものである。
私のお父様と、あまり記憶にはないのだけれどお母様という人は、親としては駄目な部類に入る人たちだった。
お父様は学者肌の好事家で、お母様はともかくのんびりした人だった。
お姉様もお父様とお母様に似て、どことなくふわふわのんびりした人だったように思うけれど、私たち妹を守るためだろう、率先して働いてくださるしっかり者へと変わっていった。
私たちが伯爵家の実情に絶望して、もう駄目だと言っても、いつも大丈夫だと励ましてくれた。
お姉様は私たちの希望であり、お姉様に頼るしかない私はいつも歯がゆい思いをしていた。
そして、お姉さまはお金を稼ぐため侍女試験を受けて、巷では冷酷だと恐れられている皇帝陛下の侍女になった。
お姉様は喜んでいたけれど、状況を聞けばそれは誰もやりたがらない仕事を押し付けられたようなものだ。
常日頃落ち込んでいるお父様はますます落ち込み、私とローズマリーは手を取り合って、こっそりと泣いた。
不安な日々を過ごす中で、お姉様がお給金の前借りができたと、私たちに送ってきてくださったのが百万ギルスというわけである。
お姉様が必死に働いて稼いでくださったお金だ。
大切に使わなくては。お父様に見せてはいけないとローズマリーと話し合っていた矢先のこと。
いつもの借金取りの方々が現れたのは。
「噂によれば、お前の姉ちゃんは王宮で働き始めたらしいじゃねぇか。せっかく、うちで働かせて稼いでやろうと思ってたのによ」
借金取りの男とも長い付き合いだ。
まるで我が家のように、悪趣味な金飾りをじゃらじゃらつけた男がリビングの古びたソファに座って足を組んで言った。
男はマグノア商会から来ている商会の人間である。
いつも部下の男たちを連れている。
お姉様は私たちには隠していたけれど、マグノア商会とは娼館の運営やら賭博場の運営やらのあくどい仕事で稼いでいる、商会とは名ばかりの破落戸の集まりのような集団だと私は知っている。
お姉様が娼館に売られそうになっていたことも。
私は、ローズマリーとお父様、それからティグルちゃんやシスちゃんには隠れて貰って、男たちと対峙していた。
「お嬢ちゃん、可哀想になぁ。父親が屑のせいで、まだ小せぇのに、怖いお兄さんたちの相手をしなきゃいけねぇなんてよ」
「お兄さん? おじさんの間違いじゃないですか?」
「お嬢ちゃんから見るとおじさんか。まぁ、お嬢ちゃんももう少し大きくなれば、そのおじさんの相手を喜んでするようになる」
男は下卑た笑みを浮かべながら言った。
私は背筋を正して、男を真っ直ぐ睨む。
毎月のお金は、お姉様が送ってくださったお給金で準備できている。
きっかり三十万ギルス。金貨が三十枚である。
一万ギルスもあれば数か月は贅沢をしなければ十分暮らせるのだから、大金だ。
私は袋に入れた三十万ギルスを差し出した。
「ぴったり入っています。受け取ったらお帰り下さい」
「甘いなぁ、お嬢ちゃん。貴族連中は、考えの甘い馬鹿ばかりだ。お前たちが支払えねぇっつうから、仕方なく月々三十万ギルスにしてやってるんだよ。お前の父親が借りた金の、月の利息が四十万だな。つまり、三百万ギルスの返済は、少しもできてねぇ。その上、月々十万ずつ負債が増えてるってわけだ」
「そんな……」
それって、かなり悪辣なのではないのかしら。
お金を借りたら、借りたお金が増えるというのは理解できる。けれど、利息分しか月々支払うことができていないというのは、酷い話なのではないかしら。
「お姉様はそれを知っているのですか……?」
「言ってねぇから知らねぇんじゃねぇか? お前の姉ちゃんは顔は悪くねぇが、頭は悪そうだからな」
「お姉様の悪口は許しません」
「許さねぇっていわれても、お嬢ちゃんに何ができるんだか。俺たちは金を受け取りに来た。きっちり金を用意できてるってことは、もっとあるんだろ? 王宮で働いて、給金が三十万ぽっちなんてことはねぇだろうからよ」
男は座ったまま「探せ」と、部下に命じた。
部下たちは立ち上がって、家探しをはじめた。
大丈夫だ。お金は見つからない場所に隠している。ローズマリーたちも、隠れて貰っている。
私はどきどきしながら、じっと堪えていた。
「どこかなぁ、お嬢ちゃん。どこに隠したのかな、金を、さ。さっさと出せよ。そうすりゃ、乱暴なことはしねぇ」
男たちが家じゅうを探し回る音が聞こえる。
お父様が「何事だ……」と、青白い顔で部屋にやってきた。
「お父様、寝ていなくては駄目ですよ。具合が悪いのですから」
「おお、久々に会うな。伯爵様。娘たちに借金の返済をさせて、自分は寝てるのか? 酷い親だなぁ、お嬢ちゃん」
「あなたたちが甘い言葉で、お父様にお金を貸したから……」
「金がねぇって困ってる相手に、金を貸すのは普通のことだろ?」
マグノア商会は、街にごく普通の質屋のようにして店を構えている。
質草がなければ、証文一つでお金を貸してくれるのだという。でも、一度お金を借りてしまうと、一生付きまとわれるのだ。
そういう、悪い人たちなのである。
「いいから吐けよ、お嬢ちゃん。お前の姉ちゃんは素直だったぞ。出せと言われたらはいはい金を出した。その点は賢かったんだろうなぁ。お嬢ちゃんが子供でも、金を返してもらわなきゃいけねぇ俺たちにとっちゃ別に関係のねぇことだしな」
男は立ち上がると、私の髪を強く引っ張った。
「綺麗な髪だな。切って売ったら、多少の金になる」
「痛い、やめて……!」
「やめてくれ、オリーブに手を出さないでくれ……!」
ぶちぶちと、髪がちぎれた。
痛みと情けなさに涙が零れる。髪を引っ張られて、私の足はつま先立ちの状態から少し浮いた。
頭の皮膚が痛い。お父様が男に歯向かおうとして、片手で簡単に突き飛ばされて床に転がった。
「グルゥ……!」
──その時だった。
天井裏に隠れていろと伝えていたティグルちゃんが、天井を突き破って落ちてきたのは。
「ティグルちゃん、駄目!」
ティグルちゃんは、男に噛みつこうとする。
男は驚いて私を離した。私は慌てて、ティグルちゃんに抱きついた。
危害を加えたら、次に何をされるかわからない。全身が、恐怖に震える。
お姉様はこの恐ろしさと、一人で戦っていたのだ。男たちに言われた通りにしていたのは、私たちを守るためだったのだろう。
「ガル……!」
「駄目! 隠れていてって、言ったのに……私は大丈夫……!」
我が家の魔生物たちは、お姉様の言葉にとても忠実だ。
お姉様がティグルちゃんに私を守るようにと言っていたことを思い出した。
男から私は解放されたけれど、でも──。
「……魔生物じゃねぇか」
男は飛びかかられた拍子に床に転がったせいで汚れた服を手ではらいながら、立ち上がった。
それから天井を見上げる。
怯えた表情のローズマリーが、金貨の袋を抱きながら、私たちを見下ろしている。
「よこせ」
ローズマリーは私の顔を見た。私が頷くのを確認した後、お金を天井から床にどさりと落とした。
男は部下たちを連れて帰って行った。
なんだかすごく嫌な予感がした。
そしてその嫌な予感の通り、男はその数日後に、魔生物ハンターを連れて、魔封じの檻を持って現れた。
「家にいるのは二匹だけか? 水色大虎と天馬じゃ、売ればお前たちの借金の半額が賄えるぐらいの金になる。大人しく差し出せ。そうじゃなければ、家が燃えるかもしれねぇな」
男はそう言った。
ティグルちゃんとシスちゃんは、とても賢い子たちだ。
抵抗もせずに、檻に入って――そして、連れていかれてしまった。
お読みくださりありがとうございました!
評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。




