警察と怪盗
怪盗イニクスを糺世率いる警察組織が追いかけている。
それを知って悠司は心の底が疼くのを感じた。
これまでは同じ街の出来事だったはずなのに遠くで起きているもののように感じていたのに、急に目の前で起きているのだと強く思える。
一度会ったことがあるとは糺世にも言っていない。
小さい頃の記憶なんて、成長するとともに真実なのか虚偽なのか曖昧になってくる。
自分だけが知るあの日の出来事は、夢なんかじゃなかったと思えた。
「それはそうと悠司」
「何?」
「お前、もしかして野次馬に行く気じゃないだろうな?」
「……うえっ⁉」
「高校生になったんだから、もう少しポーカーフェイスを覚えた方がいいぞ?」
学校ではあまり表情が出ないのだが、それを言っても強がっているだけに思えたので控える。そうでなくても中二病だと思われそうだ。
表情だけで読み取ったのか、「ははん」と笑って糺世が口端を上げる。
「友達ができたかもしれないと言っていたな? そいつとこれから怪盗見物か」
さすが殺人事件の担当を嘱望していただけあって観察眼と推理力が高い。
「顔に全部書いてあったぞ?」
「心まで読んでる……?」
「いやだから顔に書いてあったんだって」
肩書きに見合った能力に恐れおののいている悠司に対してただ呆れている糺世は、着信音に表情を引き締めた。呼び出しの連絡だろうと悠司は何も言わず三回の自室で着替えを済ませる。目的は怪盗イニクスをもう一度見ることだが、海斗と祭りを楽しむことを考えて財布の中を確認した。
祭りにおあつらえむきに百円玉が多く入っていた。スマホに入れている電子マネーには三千円ほど確認できた。
全力で祭りを楽しむなら足りないくらいだが、ついでであれば問題ない金額だろう。
後は海斗からの連絡を待つだけという状態で、再びリビングに戻ると今にも仕事に戻る様子の糺世が悠司を待っていた。
「もう行くの?」
「ああ。セキュリティのチェックで呼び出しだ」
完全に仕事モードに入っているらしい糺世は一切表情が緩まない。
殺人事件を求める人間とは思えないほど「警視」や「副署長」の肩書きにふさわしい顔付き。
「悠司、これだけ言っておく。警察の邪魔になるような行動はするな」
突き刺すような冷たい視線。身内でも容赦はしないと言われているのだと肌で感じた。
「もちろんだよ。今日は友達を案内するのが目的だし」
「案内?」
「この街の人じゃないんだ。街のことを何も知らないって言うから観光も兼ねて。今夜は屋台も出るし」
「ふむ」
悠司の言葉に一つ頷いた糺世は、おもむろにスーツの内ポケットから財布を取り出した。
中から取り出したのは千円札――を、五枚。
「これだけあれば足りるだろう?」
「い、いいの⁉」
「たまたまあったからな」
殺人事件を求める人間とは思えない聖人ぶりを崇めるように糺世を見つめ、両手に受け取った現金を大事に抱えた。
露骨に喜んでいる甥に向けて微笑んでいた糺世は時間が迫っていることを思い出して急ぎ玄関に向かう。それを見て悠司は呼び止めた。
「おじさん、聞いていい?」
「なんだ?」
靴を履く糺世の背中に向けて問いかける。
「怪盗を今夜捕まえる自信は?」
意地悪な質問だったと思う。完璧な自信がなければ警察官として落第点を得るに違いないのに、思わず聞いてしまった。
糺世は一瞬だけ動きを止めたものの、すぐに再開して答えた。
「まったくないな」
その答えは意外なものだった。
「前回現れたのは一年と少し前だった。その間に警察も成長はしている。だが、その分あちらも成長していると見るべきだ。さらに俺が関わるのはこれが最初だ。策を練るならここからだな」
自信があるようでないような後ろ姿。
現実感のある返答に、怪盗という存在が日常化しているこの街の異常さを感じ取った。
「これだけ活動時期にムラがあるのだから、同じ人間と考えるのも危ういと考えている。……俺が、ではない。警察組織が、な」
糺世のその言葉は衝撃とも言えた。
怪盗イニクスは複数人存在しているという説を証明するようなものだ。
あの日あの夜に会った怪盗は複数いる中の一人だと言われたも同然だった。
それでももう一つだけ、悠司は聞きたかった。
「もし、警察より先に怪盗を捕まえたら、どうなる……?」
警察を馬鹿にしているのではない。可能性を考えるならば、こういったことも考えられる。
警察以外の誰かが怪盗イニクスを捉える。
決してあり得ないとは言い切れない現実だ。
それを目的として現地に行く人だっているかもしれない。
糺世は靴を履き終え玄関の扉を開けながら答えてくれた。
「どうにもならない。犯罪者が一人いなくなるだけだ。捕まえた人間も表彰されて一時的にヒーローともてはやされるだろうが、いつまでもは続かない。街は平和になり、すべて元通り。……それだけだ」
そう言うと振り返ることなく家を出て行った。
夢を求めていたわけではないが、こうも現実を突きつけられると怪盗の存在そのものを疑いたくなる。
それこそ、怪盗イニクス複数人説が濃厚になる。
「糺世は現実主義だよなあ。だからこそ警察官に向いていたのかもしれないけど」
のっそりと背後に現れた父親は欠伸をしながら笑った。
「父さん、帰ってたんだ?」
「今日は午前中だけだったからねえ」
悠司の父親は大学で教鞭をとっている。昨日は遅くまで作業をしていたようだから、午後に帰って来てから寝ていたのだろう。
寝ぐせがついている。
父親は二度目の欠伸をしながら弟に対する苦言を呈した。
「顔も肩書きも悪くはないのに結婚できないのは性格がああだからなんだよなあ」
兄として心配しているようだが、それが本気であるとはどうしても思えなかった。
「糺世らしいと言えばらしいんだけど。それはそうと悠司、出かけるのか?」
眠気から覚めつつある父親が悠司の服装が余所行きのそれだったのを見て指摘した。隠すことでもないので素直に頷いて肯定した。
外の街から来ている友達に街を観光がてら案内するのだと言うと、目を細めて微笑む。
糺世と同じ笑い方だった。
「気を付けてな」
「あ、うん」
両手に持った五枚の千円札を握りしめて、曖昧に頷いた。
気を付けて、の中に小さいころの話が混ざっているような気がした。