少年の情緒2
注目を浴びてしまっていることに気付いて、慌てて放課後教会へ行こうと海斗を誘った。それまでは学校内で怪盗の話はしないようにと約束して、放課後を待った。
教会にはシスターが二人いたが、特に話しかけられることはなかった。
学校のある日はほぼ毎日通っているからか、悠司の顔を見てシスターたちはニコリとほほ笑んでくれた。
些細なやり取りに感激している海斗はなぜか悠司の腕を掴んで放さない。
「すげえ……。何、月館って教会の関係者? 熱心な宗教家?」
「二週間近く毎日のように通ってればこうなるよ」
「へえ……」
感心しながら教会の中を見渡す海斗を率いて向かうのは二階にある懺悔室。
シスターが話しかけずにほほ笑んでくれるのは懺悔室が空いているという意味のアイコンタクトなのである。
通い始めて四日目でそういう合図があると教えてもらった。
わざわざ懺悔室に入りたいと言う人は少ないのだそうだ。
一人でやって来て熱心にノートとにらめっこをしている悠司を見かねて、懺悔室が空いている場合は勉強部屋として使わせてくれると神父が許可を出してくれた。
四部屋ある懺悔室の内、空いているのは三部屋。一室は使用中の札が下がっている。
今は珍しい電話ボックスほどの広さの小さな部屋に二人で入る。
狭いことは狭いが、仕方ない。
部屋には仕切りがあり、仕切りの奥には話を聞いてくれるシスターや神父が入る。
さすがにそちら側に悠司が入ることは許可されていない。
「こんな狭い部屋に男二人で入って……もしかして月館ってそういう趣味が?」
「どういう趣味か言ってみろ。事と次第によってはシスターを呼んでくるから懺悔しろ」
わずかながら身の危険を覚えながらも壁に寄りかかって鞄の中からいつものノートを取り出した。
椅子がひとつしかないので海斗に譲ったつもりだったのだが、海斗も悠司と向かい合うようにして壁にもたれた。
「月館って、見た目に反して結構ズバズバ言うんだな?」
「言わせたのはそっちだろ」
「海斗でいいぞ?」
「そこまで仲良くないだろ。乙坂って呼ぶ」
「まぁいいけど。俺はいつだって下の名前で呼ぶ準備はできてるからさ!」
名前を呼ぶだけなのに準備は必要なのか。そう考えて悠司は躊躇ったのちに尋ねた。
「ちなみに、俺の名前は?」
名前で呼びたいならいつでも呼び始めればいいのだ。拒否はするだろうが、自由というものはある。
その自由を行使しないのも自由なのだが、海斗には理由がある気がした。
海斗は視線を逸らすだけで何も言わない。
月館という名前はどこかで知れたようだが、悠司という名前は得られなかったようだ。
やっぱり、と短く溜息を吐いて本題に戻る。
「怪盗イニクス。この街限定出没する怪盗で素性は不明。警察も女性であること以外は何も分からない状態ってのが現状だ」
「ふんふん。やっぱり狙ってるのって高価な宝石とか? それとも悪い奴らから盗んでバラまいてる?」
前のめり気味な海斗の姿勢をノートで隔てる。
「目的は分からないけれど、イニクスは赤い宝石ばかりを狙っているらしい。赤ければいいというものじゃない。特定の宝石みたいなんだ」
「赤い宝石……ルビー、とか?」
「いや、種類について詳しいことはどこにも出てなかった」
赤い宝石はルビーやガーネットなど種類が多いが、どの記事に目を通しても「赤い宝石」とあるだけで具体的に書かれたものは見たことがない。
それを知ったのは最近なので、ノートの後方にメモされている。
「いつから活動を始めたのか、その情報もない。中には怪盗は一人じゃなくて複数いると言う人もいる」
「いつから活動をって……そんなに前から怪盗イニクスは活動しているのか?」
「俺が調べた限りでは三十年前から存在している」
「三十年前⁉ うえー……夢が壊れる」
「街の人から感心がなくなったのがその辺りにあるみたいだな。仕方ないけど」
三十年も騒ぎが続けば、怪盗の存在はイレギュラーからレギュラーになる。
人々の関心の薄さには長期間に及ぶ活躍が原因にあった。
若い世代の関心は引けても、大人からは敬遠されるだろう。
悠司はこれまでに調べて判明していることをすべて海斗に話した。同じクラスになっただけの相手に話す内容ではなかったかもしれない。聞かれたから答えたと言えばそれまでなのだが、本音では誰かとこうして話がしたかった。
怪盗イニクスについて話し合える友達が欲しかった。
「何年かけて調べたんだ?」
海斗にも打ち解けた雰囲気が移ったのか、馴れ馴れしかった口調から柔らかいものに変わっていた。
「八年……かな」
直接会ったことがあるとはまだ言えない。
自分だけの思い出にしておきたい淡い感情もあれば、かつての不法侵入を暴露しなければならなくなると思うと憂鬱になる。
「八年か。片思いだったら重いな!」
「乙坂、シスターに言葉遣いを教えてもらったらどうだろうか」
初めて声をかけるから大仰な物言いになっているのかと思えば、どうやら海斗は元から一言余計な言い方をする性格のようだった。
教会を出て帰路に着きながら、海斗は夕焼け空を見上げた。
「八年ってさ、さっきはからかう言い方になったけどかなりすごいよな。熱量がないと続かない」
いきなり落ち着いた雰囲気を見せるので驚いて歩調が遅くなる。
「来るといいな。怪盗イニクス」
「……そうだな」
年に数回しか姿を見せない怪盗イニクス。
そういうものだと言い聞かせていたが、海斗の言葉に本当は会いたくてたまらないのだと気付かされた。
二日後、予告状の三文字が新聞やニュース、ネットを騒がせた。