越中市八尾町水谷:ご迷惑でなければ攻略します
掲載作品中には今日的な観点からは不適切と考えられる食材が含まれますが、設定年代の産業構造や時代背景を記録する資料性に鑑み、原設定のまま収録することとしました。
「お座敷列車の方へどうぞ」
剱会長はお宅ではなくブルートレイン〈つるぎ〉へ僕たちを導く。若竹色の水平ラインを1本通した青の壁。腐った車を便利に活用するものだ。長いスロープでデッキに上がると、ドア脇には古びたペンキ書きのプレート『つるぎ (大)宮 TSURUGI』。現役時代、上野まで行かせてもらえなかったようだ。東北や新潟に比べて北陸の扱い悪いよね……。夜行バス関越事故を受けて県が復活させた〈北陸〉も、隅田川行とかいう漠然とした行き先で荒川区に連れて行かれる。
室内は四畳半間ぐらいの幅が細長く伸びた畳敷きのお座敷だ。列車の痕跡を残す網棚はもう荷物を載せることもなく、松並木の彫り抜かれた欄間を支えて、ここは何の変哲もない和室ですと主張している。その欄間の上辺が天井に合わせてカーブしているのがかえって不自然だけど。
「上着を預かろうか」
会長は網棚からハンガーを取り、上がり框で招く。網棚が大活躍している。
床の間まで設えられているから、背負わない位置取りで着座する。萬里一條鉄と綴った掛け軸が掛かっている。水色の壺に、青く鉄光りするお茶碗。こういったものを評せる美的感覚はないけど、県内に現存する窯元はどこも白や土色じゃなく青緑の焼物を焼いていたはずだ。そういうものだろう。
「このタイミングでいいのかしら……?」
奈月ちゃんが呟いて、リボンの付いた雪だるまの家を取り出す。新潟土産のお菓子だ。
「ささやかですが、お召し上がりください」
「おや、これはご丁寧に。お気遣いありがとう」
ちょ、ちょっと冷や汗の出る展開だ。手土産持参なんて発想はすこーんと抜けていた。気の利く幼なじみがいてよかった……。
「お昼は電化ウナギにしようと思っているが、問題ないかな」
「電化ウナギ! ご馳走になっていいんですか?」
「ご存じだったかい」
「それはもう、存じ上げてますよ」
新潟県に入ったあたりの鉱山が石灰石を焼いて生石灰にする余熱で育てているのだ。地理便覧に書いてある養殖限界の千葉県より北に存在することで地理好きには知られている。この興味深い高級ウナギは大都市圏へ出荷されるみたいで、富山では見かけない。元々、北陸にはウナギを珍重する文化がなかった。京都から赴任してきた大伴家持が喜んでウナギを食べたのを珍しがって書き残しているぐらいだ。金沢の近江町市場に行くとドジョウやゴリのついでにウナギが売られている扱いだし、富山県央ではドジョウも馴染みがない。
でも、ウナギの完全養殖には富山湾が重要な役割を果たす予定だ。ウナギの幼生は餌を食べなくて人工飼育できなかったのだけど、富山湾や八戸沖で揚がる深海ザメをすり潰した餌には食いつくのが最近判明した。これで人工再生産ループの道筋が見えた。富山や石川じゃサメ食べないからって長野県民に売りつけている場合じゃなかった。
「一応1人あて2切れだが、食べられるなら倍付けするよ」
「いや2つで充分ですよ」
ウナギは青魚で体にいいけれどコレステロールも結構多い。コレステロールというのは細胞膜で、必要な脂質なのだけど、余ると血管内にこびりついて悪さをする。奈月ちゃんの細い血管への負担を避けるためは1食に卵1つ分に抑えないといけない。ウナギだと2切れが目安になる。
「では、用意してこよう」
「あっ、ご迷惑でなければ攻略します」
奈月ちゃんが申し出る。攻略は富山ではゲーム以外にも使われていた死語で、加勢と訳せばレトロさが伝わるだろうか。方言本では田植えの手伝いの意味が用例に挙げられている。……でも、実は違うのだ。ネイティブお年寄りによると家事手伝いが攻略。田植えの攻略と言うと休憩にお茶や軽食を持っていく感じになるらしい。こんな元々のニュアンスは間もなく歴史に消えて、20年もすれば文献の記述が事実になってしまうんだろう。
「や、お客様にそんな……ああいや、そうか。チェックに来てもらえるかな」
招かれた立場でお手伝いなんて普通はかえって失礼にあたるだろうけど、食餌制限の都合という意図は伝わっていたようだ。雪だるまのスイートホームを大事そうに両手で包んだ会長が奈月ちゃんを伴って行く。
やがて、会長と奈月ちゃんがお盆を掲げてくる。艷やかな塗りの箱が眼の前に置かれると、蓋越しにでもほんのり芳しい香りがする。お茶は色が映える青い磁器だ。絵付の手塩皿。塩分も歓迎できない奈月ちゃんのお漬物は申し訳程度の欠片で、付いていった甲斐があったと分かる。
「あと、うどんも!」
真っ赤なまめきつねを、奈月ちゃんが自分の分は配膳せずに手渡してくる。
「任してくださいよ」
漆器に陶磁器、そしてポリスチレンと、一同に会した多彩な器。雰囲気は壊れるが、時代の流れと技術の進歩を感じさせて悪くない。ますのすしが付けば葉っぱというさらに古い時代の器が揃って最高だけど、富山県民は和歌山県民が何にでも鯖寿司を付けるほどますのすしを常食するわけではないのだった。
カップ麺は西日本版だった。東海道側の関ヶ原同様、人的交流を妨げる険阻が文化境界になるのはごく自然だ。……と思ったら大間違い。長尾(上杉)氏が親不知の断崖絶壁をものともせずに行き来したため、境界は富山県内までグラデーション状に押し入っている。なのでカップ麺も店によって入り乱れている。そばつゆの東西境界は富山駅で、電鉄富山の駅そばが東日本味、JL富山の駅そばが西日本味になっている。そば・うどんの境界は高岡駅で、ちゃんぽんというハーフ&ハーフメニューがある。
「これは輪島塗かな……。高岡漆器は螺鈿細工を塗り込めた感じだもんな、うん」
「輪島から技術を習って作られた八尾堅塗だね」
「え、初めて聞く単語です。ここ産ですか?」
「ここ産です」
「そ、それは珍しいものを拝見できてありがたいです」
「や、そんな畏まらなくていいのだけど。行き渡ったね。それでは、召し上がれ」
剱会長の号令を受けて、いただきます。蓋を開ければ一般のウナギがアナゴに見える圧倒的な切り身が2切れ載っている。一瞬遅れて、木の芽の清冽さを交えた甘辛い香りが暴力的に立ち上る。
「ふわぁ……」
時期的に鼻がほとんど利かないはずの妹も、防御貫通レベルが高い蒲焼の香りにはひとたまりもない。
「よし。まずは翡翠と石灰を刻む激流姫川のテロワールを楽しんでみよう……」
「な、なんかまた変なこと言い出したわね」
奈月ちゃんに半眼を向けられるけど、名産品は頭働きで捏ねくり回す情報も興趣の一部だ。ちょっとめくってみると身の真ん中が黒い。切腹だから……、関西風だな。ウナギは新潟県西まで西日本文化が越境しているようだった。程よく脂の落とされたあっさりめの味わい。ふっくらと解ける身をしっかり支える固めのご飯はいつもなじみの富山米に違いない。
「うーん難所親不知を挟んだマリアージュ。1世紀にわたって石灰石を焼き続けてきたこだわりみたいなものが、蒲焼きにもしっかりと活きていますね」
「お気に召したかな? なら良かった」
きっと石灰山由来ならではのカルシウムも豊富で、背まで伸びそうな気がしてくる。伸びてほしい。
「んー、美味し!」
食レポ完全失格のシンプルなコメントをするのは幼なじみだ。けれど表情は綻んで、慈しむように口に運んでいる。脂をまとって艶やかさを増した唇。本心からの嘆声なのが見て取れる。柑橘類である山椒を念のため省略したのも見て取れる。
「半分お持たせですまないが」
食べ終わると、会長がどっさりデザートをお皿に盛ってくる。
「なんかすごくてんこ盛りですけど」
「うん。ログイン中は脳が糖分を24倍速で消費するからできるだけ食べておいて欲しい。糖不足が検出されると強制ログアウトになるのでね」
「えっ……。あー、それでビタミンBが入ってるウナギとカップ麺だったんですね?」
糖をエネルギーに転換するビタミンB1と油脂を変えるB2を両方豊富に含む食材は少なく、天然食材だと豚肉とウナギぐらいだ。それから、インスタント麺と給食用のお米は足りないB2を添加しているので両方ある。雰囲気に合わないカップうどんは実用的な意味で必要だったみたいだ。
「ほう。男の子でそこがぱっと繋がるなんて珍しい」
「森鴎外と脚気の話を知らない男子の方が少ないと思います」
雪だるまと和紙のキューブ、飴やラムネ菓子の盛り合わせに希羽が手を伸ばす。
「たまてーん!」
和紙に包まれた立方体の玉天は越中市名物の和風マシュマロだ。戦後の町おこしにあたって元祖のお店が快く製法を教えたという美談があって、旧市街に7軒もある和菓子屋さんはどこも玉天を作っている。
……ただし、美談が嘘であることをこの町で僕だけが知っている。師匠のフィールドワークに付いて回った時に聞いてしまった。製造技術を戦時中に盗まれたという話だった。戦時中に和菓子なんて……というイメージは大戦末期の話で、制海権を取れている間は大陸から普通に物が入ってきていたらしい。ただし統制で町内全店が1箇所に集められて、配給された砂糖や小麦粉で作るよう指示されていた。その時に製法を見られて真似されてしまった。
これは僕が初めて直接聞いた戦争体験だったから、爆弾が落ちなくても個人の都合を圧し潰していく戦争のかたちに強い印象を受けたものである。是非書いておいてくださいと言われたけど、師匠は軋轢に配慮したのか報告書に載せなかったので、この逸話も人知れず歴史に埋没していくことだろう。
「お腹いっぱいなのであんまりたくさんお菓子食べるのはきついですね」
「ふむ……。乗鞍君、炭酸は飲めるかい」
「え? 飲めますけど? 男ですし?」
「じゃあ、ログイン直前に越中市特産のダダあま地サイダーを飲んでもらうから、その分のお腹を開けておいてもらえるかな」
「え。僕の知らない越中市特産なんですけど」
そんなの越中市内で作ってたっけ。ジョーク飲料の富山ブラックサイダーや白エビサイダーを作っているのは富山市、富山駅からライトレールでちょっと行ったところだ。
「特認を……、特別に許可を得て購入しているのだが……」
「特認がいるサイダーって何なんです」
「これだね、全国に出荷されているよ」
会長は小瓶を手にする。ジュースの細い缶をキュッとくびったぐらいの瓶だ。
「ああ、急激に血糖値が上がるからまだ飲まないで」
さあ飲んでと言われてもキャップが王冠で開けられないけども。
白と水色のシンプルなラベルはサイダーというより試薬を思わせる。薬局に置いてありそうな感じだ。トレラーンG液75g、経口糖忍容力試験用糖質液……って。
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二酸化炭素封入 225mL
衝撃、高温注意
経 口 糖 忍 容 力 試 験 用 糖 質 液
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(ト レ ラ ー ンR G 液 7 5 g)
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成分・分量 デンプン部分加水分解物 100.0g
(225mL中) (ブドウ糖として 75.0g)
添加物 クエン酸水和物 0.45g
二酸化炭素 適量
製造販売 株式会社進陽堂製薬
越中市婦中町婦中鉄工団地36xx
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「薬品じゃないですかー! やだー!」
「医療用サイダーだよ」
それなら富山県から全国に流通するのも頷けるし、特別に許可が要るのも分かる。
「富山きときと空港の対岸で作ってるんですね」
「口頭でわざわざきときとを……。これ1本でリアル30分ログインできるだけの糖分が摂れるよ」
「ログイン中はブドウ糖75gが30分しかもたないってことですか」
「そうだね」
「医療用を難しい手続きして買わなくても、普通のサイダーじゃいけない……んですよね?」
「うん、市販の炭酸飲料はブドウ糖より甘い果糖を使っているのだね。ブドウ糖は甘みが半分程度だ。逆に言うと、人間が耐えられる甘さで糖分を大量に詰め込めることになる」
人間が耐えられる甘さで詰め込む……。
「それに果糖は糖新生を経てブドウ糖に転換されてやっとエネルギーになるからね。24倍速の消費速度に追いつかないのだよ」
エネルギー変換が追いつかない……。パワーワード連発だ。糖分を高速消費するから事前ドーピングしておかないといけないゲーム機なんて、誰が想像しただろうか。