空を飛ぶことになるとはな
なんということもない人生だった。
いや、正確に言えば“特別だと思い込んでいた人生”だったのかもしれない。
高校1年の頃、少しだけいじめられていた。デブだの、厨二病でキモいだの、そんなありがちなやつだ。期間にすれば2〜3ヶ月程度だったと思う。
だが俺は、それをそこまで気にしていなかった。
――俺は特別だから、仕方ない。
本気でそう思っていた。
いじめていた連中も、そのうち俺に興味をなくした。反応が薄い人間をいじるのはつまらないのだろう。彼らは別の標的を見つけて、自然と俺の前から消えていった。
それはそれでいいと思った。
俺には関係のない世界の話だ。
昔から、俺は少しだけ“違っていた”。
周りの目は黒や茶色なのに、俺の瞳だけが赤かった。いわゆるレッドアイズ。理由は知らない。遺伝なのか、突然変異なのか、そんなことはどうでもよかった。
子供の頃は特に気にしていなかった。ただの目の色だと思っていた。
けれどある時、気づいてしまった。
――これは普通じゃない、と。
そこからだ。
俺の中にあった“物語”が動き出したのは。
俺は特別なんだ。
魔法が使えるかもしれない。
この目には何か意味があるのかもしれない。
そんな馬鹿げた妄想を、ずっとどこかで本気にしていた。
もちろん現実では何も起きない。空も飛べないし、魔法も出ない。けれど、それでもいいと思っていた。
いつか目覚めるなら、それでいい。
そう思っていた日常は、ずっと続くはずだった。
あの日までは。
その日、担任が何気なく言った。
「そういえば、あの子最近来てないな」
クラスの誰かのことだとすぐに分かった。いじめられていた、あの子だ。
誰も深く気にしない、ただの雑談。普通ならそこで終わる話だった。
だが、その言葉だけが妙に残った。
来ていない。
思い返せば、一週間ほど見ていない気がする。風邪にしては長い。
けれど結論はいつも通りだった。
――俺には関係ない。
そう思ったはずなのに、その日の帰り、なぜか足は学校に向いていた。
「……宿題、出してなかったな」
思い出しただけの理由だった。
やってもいないし、出してもいない。別にどうでもいいはずなのに、放置すると妙に落ち着かなかった。
図書館に寄ってやるつもりが、気づけばライトノベルを読みふけっていた。
気がつけば夕方はとっくに過ぎていた。
「……やべ」
外に出た時には、もう校舎は薄暗くなっていた。
その帰り際、廊下の奥に一瞬だけ明かりが見えた。
すぐに消える。
(……今の、なんだ?)
理由はない。だが無視できなかった。
教室へ向かう。
中には誰もいない。
ただ一つだけ違っていた。
いじめっ子の席だけが荒れている。机の中身が引きずり出され、最後の嫌がらせみたいに散らかっていた。
(……誰かがやったのか?)
そしてその上に、一通の手紙があった。
嫌な予感がした。読むべきじゃない。そう思ったのに、手は勝手に動いていた。
短い文章だった。
「お前のせいで、こうなった」
胸の奥が一瞬だけ冷える。
だがすぐに思う。
わざわざ残すなら、まだ終わっていない。
終わる場所がある。
一つしかない。
「……屋上か」
気付けばそう呟いていた。
そして走り出していた。
---
階段を上る。
「……屋上って、こんな遠かったっけ」
一段目で現実に気づく。
二段目で少し後悔する。
三段目で普通に息が上がる。
(いや待て、俺こんなに体力なかったっけ)
普段まったく運動していないツケが一気に来る。
途中で一度止まる。手すりに寄りかかる。
「……体育、もう少し真面目にやっとけばよかったな」
誰もいない階段で一人だけ息を切らしているのが、妙にバカらしかった。
それでも上へ行く。
理由は分からない。
ただ足は止まらなかった。
---
屋上。
風が強い。
そこに、いた。
そこ
屋上のフェンスの内側、すぐそこに立っている。
だがその足は、すでにフェンスの縁にかかっていた。
今にも向こう側へ乗り越えようとしている。
「なんで……来るの……」
震えた声。
頭が一瞬真っ白になる。
(え、これどうすればいい?)
だが無理やり言葉を出す。
「遺書があった。あと……教室の明かり」
うまく説明できない。
ただ、そこにいた理由を必死に並べただけだった。
「最近、見てなかったから」
それだけ。
慰めでも正しいとも言えない言葉だった。
いじめられっ子は首を振る。
「こないで……」
そのまま、もう一歩、フェンスの外へ出ようとする。
「やめろ!」
体が勝手に動いた。
掴めた。だが暴れる腕に引きずられ、バランスが崩れる。
「離して!」
確かに。助ける理由なんて、どこにもない。
それでも手は離さなかった。
必死に暴れる腕に引きずられる。
「っ……!」
バランスが崩れた。
体がフェンスに叩きつけられる。
ガンッ、と鈍い音。
「くそっ……!」
踏ん張るが、相手の力も必死でめちゃくちゃだ。
フェンスが軋む。
ミシッ。
嫌な音がした。
(まずい)
現実が一気に押し寄せる。
「やばいってこれ……!」
次の瞬間、フェンスが崩れた。
視界が傾く。空が広い。地面が遠い。
(……空を飛ぶことになるとはな)
そんな馬鹿みたいなことを思う。
(いや、これ普通に死ぬやつだろ……)
そして最後に思う。
(俺は……特別だと思ってたんだよな)
そこで、世界が途切れた。
---
その瞬間、落ちた。
思ったより痛くなかった。
むしろ、どこか遠くで体が浮くような感覚があった。
視界が白くほどけていく。音も、風も、全部が薄くなる。
(……ああ、これが“終わり”か)
そう思いながら――意識が沈んだ。
---
次に気がついた時、世界は静かだった。
「……?」
目を開ける。
そこは知らない天井でも病院でもない。
木々が覆いかぶさるように広がる森だった。
朝の光が葉の隙間から落ちていて、空気が妙に冷たい。
「……は?」
体を起こす。痛みはない。
さっきまでの感覚が嘘みたいに消えている。
(……夢?)
そう思おうとして、違和感に気づく。
空気が違う。匂いが違う。音が違う。
森の奥で、何かが小さく鳴いた。
辺りを見渡す。
森だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
(……異世界、か?)
そんな考えが浮かぶ。
怖さより先に、妙な納得が来る。
もしここが本当に異世界なら――
俺がずっと逃げ場にしていた“物語”が現実になったことになる。
ざあ……と風とは別に、水の音がした。
(……川か)
俺は音のする方へ歩き出した。
森を抜けるたびに、世界の輪郭が少しずつはっきりしていく。
やがて視界が開けた。
そこにあったのは、川だった。
澄んだ水が静かに流れていた。
鏡代わりの水面に映ったのは、見慣れた自分の顔だった。
最後までお読みいただきありがとうございました!初めての投稿なので、お話の感想や『もっとこうしたら面白くなるよ!』といったアドバイスがあれば、ぜひコメントで教えてもらえると嬉しいです!




