ep.11 “入隊試験編Ⅴ”
事件現場となった旧棟の地下フロアから解放されたのは、すでに外が濃い紺色に沈み切った頃だった。地上に久しぶりに出たからか、ひどく落ち着く感じがする。
湿った夜風が、焦げたような金属の匂いを運んでくる。空気はまださっきの混乱の余韻を引きずっているようで、どこかざらついていた。
犯人を隈なく探している中、僕らは緊張と恐怖を和らげるためにも指揮官に指示され、暗闇の中、二十人と外へ出ている。
「今日は全員、寮への帰宅は禁止とする。仮眠室へ移動しろ」
片浜指揮官の声は淡々としているのに、強制力があった。僕たち二十人の試験生は反論する気力すらなく、ただ頷くしかなかった。その流れで、僕はポケットからスマホを取り出す。
『今日は帰れなさそう。心配しないで大丈夫』
すぐに返信が来た。
慎二:『了解。変な無茶すんなよ』
和也:『お前なら大丈夫っしょ。むしろこき使う先生もすげえわ』
この二人は本当のことを何も知らない。でも、そのいつも通りの適当さに少しだけ救われた。
「蒼くん、連絡終わったら行くよ〜」
桐生先輩が声をかけてくる。いつも明るいはずの彼女も、すこし元気がなさそうだった。
桐生先輩に案内され、昨日と同じ仮眠室へと着く。けれど、雰囲気はまるで違う。昨日は、「この布団好きだわ」とか「布団柔らけぇ!」と、完全に修学旅行テンションで騒ぎ倒していたはずなのに……
今日は誰も声を張らない。むしろ、声を出すこと自体がためらわれるような、そんな重たい空気があった。
「……シャワー、先に浴びるやつ……早く入ってよな」
「……ああ」
返事のトーンまで沈んでいる。事件が僕のせいで起こった。そう考える人も少なからずいるかもしれない。だけど、少なくとも本物の敵が現れたことにみんなが困惑して、恐怖でいっぱいなのだろう。
(僕のせいで気まずくなるのだけは……やだな)
そんな気持ちを抱えたままシャワーを浴び、戻って布団に潜り込む。消灯から三十分ほどで、あちこちから寝息が聞こえてきた。昨日のような騒がしさは一切ない。ライトの明かりが落ちた部屋は、まるで“嵐のあと”のように静かだった。
天井をぼんやり見つめる。目を閉じても、嫌な残像が浮かんできてしまう。“血銃”。本来は渡されるはずじゃなかった、特別な銃。
――そして犯人の言葉。
『合っていると言えば合っている。正確には俺が本来の使い手。まあ、使うことを放棄したがな』
(使うことを放棄したって、一体なんなんだ……?)
布団の上でそっと拳を握る。考えれば考えるほど、心臓の奥が不安でざわついた。隣のベッドを見ると、優斗が寝返りを打ち、ぐーぐーと気の抜けた寝息を立てている。
「みんな無事でよかったけど……」
深呼吸しても、不安は拭えず、眠気は遠ざかるばかり。それでも、耳を澄ませば静かで穏やかな寝息ばかりが聞こえてきた。部屋の時計が、カチ……カチ……と一定に刻む音がやけに大きい。
「……明日もまた訓練だし……ちゃんとやらないと」
僕は小さく、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
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五月三日の朝。候補生寮の廊下には、昨日の緊張がまだ薄く残っているようだった。集合場所に向かうと、片浜指揮官が腕を組んで待っていた。
「全員そろったな。今日は訓練最終日だから、しっかりやれよ。では、今から日程を説明する」
壁にホログラムが展開する。昨日までの殺伐としたメニューとは違い、今日は“応用”と“思考力”を中心にした訓練らしい。
「障害環境適応訓練に協力の訓練……?」
「精密動作という訓練もあるわね。今までとは段違い」
「中村、その通りだ。最終日だが、一番辛いと思う。だが、これを乗り越えて明日から始める試験に望んでもらいたい」
「「はい」」
こうして、訓練最終日が始まった。
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「煙、音、光、足場……現場で変化する環境に適応できなければ意味はない。武器の扱いより優先すべきは、“状況を読む力”だ」
片浜指揮官の言葉が終わった瞬間、ホール全体が低く唸った。床の下から機械音が響き、次の瞬間、視界を覆っていた照明が一斉に落ちる。
「うわっ!?」
みんなの叫び声ほぼ同時に、白い人工煙が噴き出した。前後左右が一気に見えなくなる。距離感が狂い、さっきまで平坦だった床が、いつの間にか斜めに傾いていた。足を踏み出した瞬間、思ったよりも床が沈み、バランスを崩す。
「ちょ、ちょっと待て! 足場ヤバい!」
「視界ゼロ!? これ無理だって!」
あちこちから悲鳴が上がる。金属が擦れる音、誰かが壁にぶつかる鈍い音、遠くで鳴る偽の警告音。耳に入る情報が多すぎて、逆に混乱する。
――けれど。
(……あれ?)
僕はその場で一度、足を止めた。無闇に動くより、まず「今」を感じ取れ。そう脳に支持されたかのように立ち止まる。
ゆっくり周りを眺めると、煙は完全に止まっているわけじゃないことがわかる。ゆっくりと、一定の方向へ流れている。
(空調……? いや、床の傾きに引っ張られてる)
足の裏に伝わる微かな振動。揺れはランダムじゃない。一定のリズムがある。
(次に沈むのは……右、か)
そう思った瞬間、右足を引き、左へ体重を移す。直後、右側の床がぐっと沈んだ。振動がする方へと傾くのか。
「……当たった」
自分でも驚く。考えたというより、「わかった」という感覚に近かった。煙の向こうで、誰かが転びそうになる気配がする。
「段差ある! 気をつけろ!」
「え、どこ!?」
声の反響する位置、床を踏む音。それらが、頭の中で自然と立体的に組み上がっていく。
(ここを越えれば、たぶん直線……)
回転する床も、完全に予測できるわけじゃない。それでも、回転が始まる直前の“間”がわかる。足を置く。一拍置いて、跳ぶ。
――成功。
「宮本、早いな」
煙の向こうから、片浜指揮官の声がした。驚きが混じっているのが、はっきりわかる。
「蒼、なんでそんなスイスイ行けんだよ!」
「お前……忍者か!?」
「いやいやいや、僕だって必死だから!」
本当だ。余裕なんてまったくない。ただ、身体が勝手に“正解”を選んでいるだけで――。結果、僕は一番にゴールへ飛び出していた。
用意されていたドーナツはきっちり五個。オールドファッションを手に取ると、指先が少し震えているのに気づく。
(……今の、なんだったんだ)
そんなことにも気づかず、桐生先輩が羨ましそうに見ていたが、あえて目線を逸らしておいた――。
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次の訓練に移る頃には、まだ足元がふわふわしていた。先ほどの揺れが身体に残っているのか、顔色の悪い候補生も多い。
「休憩はなしだ。時間が惜しい」
鬼だ、と誰もが思っただろうが、誰も文句は言わなかった。
「この訓練は、制限時間内にこの空間から脱出するだけの簡単なものだ」
“簡単”という言葉に、誰も騙されない。
「一人で突っ込む者ほど、真っ先に脱落する。仲間の動きを見て、声を出せ」
僕のチームは、A組の四人。顔を見合わせ、自然と円になる。
「蒼、さっきの感じ……頼っていい?」
「うん、できる限りでよければ」
スタートと同時に、少し照明が暗くなる。視界は先程より比較的クリアだが、通路が複雑に分岐している。
(……ここ、嫌な感じがする)
理由ははっきりしない。でも、右の通路だけ、空気が“重い”。
「右、罠あると思う。床が……少し不自然」
「じゃあ左だな」
指示を出すと、全員が迷わず動いてくれる。その感覚が、少しだけ心強かった。途中、天井が低くなり、床が崩れるエリアに差し掛かる。
「待って。ここ、一気に行かないで」
「了解」
一人ずつ、タイミングをずらして進む。最後の一人が渡り切った瞬間、床が音を立てて崩れた。
「……今の、全員で行ってたら終わってたな」
「蒼くん、ナイス判断」
「宮本くんがいなかったら脱落だったわね」
「たまたまだよ」
でも、心臓はドクドク鳴っていた。間違えていたら、全員が脱落していた。最後の扉を開いた瞬間、クリアの表示が出る。
――最速ゴールのようだ。周りには誰もいない。
「蒼の指示が正確すぎんだろ……」
「これ絶対なんかあるって……」
「チートじゃね?」
「だから違うって!」
笑いながらも、胸の奥がざわつく。“たまたま”で済ませていい気が、どうしてもしなかった。
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最後の訓練は、光点をタッチする反応試験だった。円形に配置されたパネル。ランダムに点灯する光を、制限時間内に押すだけ。
――ただし、光の切り替わりが異常に速い。
「え、無理無理!」
「目が追いつかない!」
何人かが挑戦するが、ほとんど反応できずに終わる。そして、僕の番。
光が点く瞬間、微かに鳴る電子音。それが聞こえることに数回前から気づいていた僕は、それを頼りに、反射的に腕を伸ばす。
右。左上。背後。
考える暇はない。音と感覚だけで、身体が動く。そうして、終了のブザーが鳴る。一瞬の静寂の後一人が呟く。
「……は、はやっ……」
「いや蒼、反応速度バグってね?」
「普通だよ!? むしろこれ苦手なんだけど!」
「苦手でこの速度かよ!!」
顔が一気に熱くなる。
視線を落とすと、指が少し震えていた。
片浜指揮官は、何も言わずに端末へ記録を残す。
(……僕、何かおかしいのか?)
その疑問だけが、胸の中で重く残った。
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昼食の時間。今日は場所を用意できなかったのか、もしくはまとめて見てた方が効率が良かったからなのか、全クラスで同じ会議テーブルを囲んで食事をした。昨日までと同じようになんて行かないけど、みんな少しずつ元気を取り戻しているようだ。
「蒼くん、今日は凄かったね!昨日といい今日といい、すごく……かっこよかったよ」
「お、ついに岩城さん告白か?」
「宮本くんと岩城さんならお似合いなんじゃない?」
「優斗はともかく中村さんまで……!そんなんじゃないからやめてよね……」
岩城さんが妙に最近近かったりこういう発言をしてきたりするせいで、みんなから囃し立てられる。
「そんなのじゃないの……?」
隣で少し涙目になって僕の顔を見上げてくるようにそういった岩城さんにちょっと恋愛感情を抱いてしまった昼食のひとときだった。
もうすぐ、もうすぐだ。試験が始まるのがもうすぐだぁ!




